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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第61号)

発行日:平成17年1月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「主体性」の原則と謙譲の美徳 −ボランティア文化の異質性−

2. "シリアスゲームジャパン"

3. 部分課題から全体課題へ−教育課題から政治課題へ−

4. 第52回&第53回生涯学習フォーラム報告

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

★MESSAGE TO AND FROM★

  更新手続きに添えて沢山のメッセージをありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。みなさまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。

★ 福岡市  松田 久 樣                 
 
活動のご感想を身に引き寄せて拝見いたしました。前号宰相論に書いた通り、そして今回「意識の壁」、「組織の壁」に書いた通り、日本人の敵は日本人です。『急がず、たゆまず、諦めず』は老境に入った本年の自分の生活指針ですが、現代日本のあらゆる活動の指針にも通じますね。やれるところから少しずつやりましょう。

★ 長崎県長崎市  藤本勝市 樣              

心身の衰えの実感が深まれば深まるほど、偶然のいたずらとは言いながら、社会教育の仕事に関わって来たことの幸運を思うこの頃です。生涯学習や生涯スポーツは理屈よりも習慣の問題ですね。今月のフォーラム論文は「熟年の活力」を取り上げましたが、参考にした優れた書物の中にいくつかの鍵になる概念を見つけました。例えば、「命の介護と文化的介護」、「人と会うのは"力仕事"」、「シニア下宿屋バンク」などでした。生涯学習はもちろんですが、活動しない高齢者が社会を破綻させる日が現実のものになってきました。生涯学習は立国の条件に関わるのに政治も、行政も、「遊びや教養」程度にしか理解していないところが社会教育の悲劇なのだと思います。

★ 佐賀県基山町  斎藤八穂子 樣            

  キルトのご専門とは存じ上げませんでした。お心づかいに感謝申し上げます。お便りで指摘のあった子育て支援策の貧困は、今のところどこの実践も見るべきものはありません。社会は、高齢者にお金をかけたようには、子育て支援にはお金をかけて来ませんでした。日本の「油断」です。現在、各自治体が厚生労働省の指示で作成している「次世代育成支援計画」の実態を見て下さい。ほとんどは「外注」で福祉と教育の総合化は全く配慮されておりません。あなたがお聞きになった福岡のアンビシャス広場の試みも政治課題として出発した故に、宣伝だけが先走っているのです。実態を見れば、子育て支援の原則を大きく外しています。沢山のお金をかけたにもかかわらず成果を上げること無く終わるでしょう。

★ 熊本県植木町  上田博司 樣             
 
 お便りの中の「教育行政と福祉行政のクロスした取り組み」、「世話役の高齢者」、「高齢者と子どもの活動の接点」など私の課題と重なっています。医療費も県下有数の少ない町というお言葉にも頷けます。学校がこの問題に「活動プログラム」を引っさげて参加できるようになった時には是非お知らせ下さい。楽しみにしております。

★ 鳥取県南部町  石塚智康 樣             

  子育ての原点は家族ですから、ご指摘の「親育て」も「共育」も社会教育やPTAの課題ではありますが、実行不可能な幻想ですね。現在関わっている家庭教育推進のための文部科学省の事業があるのですが、委員の皆さんが論じれば論じるほど、子どもを健全に育てるには子育て機能を失った家庭から離さなければならないという方向に進みます。虐待はその典型です。子どもをどう守るか、「生きる力」をどう育てるか、家庭には期待できない養育機能の社会化をいかに確立するかに問題が集約されて行きます。子育ての「外部化」、養育の社会的「委託」が不可欠になった時代と覚悟しなければならないのだと思います。

★ 埼玉県八潮市 松澤利行 樣                

  新年に貝原益軒先生の養生訓をお読みと知りました。私も高齢者論文の執筆時に読みました。晩学の方であることもその時に知りました。60才ぐらいから精力的に執筆活動を開始し、数々の優れた書物を表したと解説がありました。研究者にとっては人生80年時代のモデルです。「益軒先生の後を歩く」事を目標にして、今年の1冊目を目指します。

★ 佐賀県佐賀市 小副川ヨシエ 樣            

  過分のお言葉、過分の郵送料をありがとうございました。実践に寄せられた評価を霞翠小学校の先生方にお聞かせしたいと思いました。年度が改まりましたら、こんどは「佐賀市女性の会」の皆様にお世話になった豊津の男女共同参画懇話会の委員が実行委員を勤める「豊津寺子屋」の「有志指導者」の活躍を見ていただきたいと思います。昨年の52名に加えて、今年は新しく68名のご推薦をいただいたところです。「寺子屋」は全小学校に導入される予定です。佐賀の「乙女座」と豊津の「さそり座」が男女共同参画劇で競演できたように、こんどは「通学合宿」で競演ということになるでしょうか?新しい展開を楽しみにしております。

★ 長崎県野母崎町  本村信幸 樣             

  学校週5日制は教職員のための「週休二日制」を言い換えたインチキだと申し上げて来ました。「総合的学習」も、「生活科」も「ごっこ遊び」に毛の生えた指導時間の無駄にすぎない、とも指摘しました。これらに代表される「ゆとり教育」の罪は論じるまでもないことです。「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」が答でしょう。「ゆとり」で少年期の「負荷」を減らそうということでしょうが、少年の「負担」も、子どもの「ストレス」も相対的なものです。弱い子どもにとってはわずかの困難も「負荷」や「ストレス」に転じます。鍛えられた子どもにとっては「負荷」は挑戦にこそなれ、「ストレス」には感じません。
  「ゆとり」論は教育における「相対性原理」を忘却したが故に登場したのです。ゆとり教育は、結果的に、負荷に耐えられる子どもと負荷に耐えられない子どもの格差を拡大しました。劣悪な環境の中で意識的に子どもを防衛する親と、問題を自覚せず、子どもを防衛することを意識していない親の「養育格差」も拡大しました。「ゆとり時間」の選択的活用は、一気に、放課後や休暇中の「生涯学習格差」の拡大をもたらしました。「ゆとり」に甘えた大部分の弱いものは更に弱くなり、「一寸の光陰」を重んじて、負荷に耐えた少数の者だけが更に強くなって向上したのです。「弱いもの」の「体力や耐性」を鍛えずに、「ゆとり」や「保護」を与えれば更に弱くなることは自明のことです。生きて行く上での土台が形成されていなければ、学力の平均値が下がるのも当然のことです。その単純な原理に気付かない中央教育審議会委員や文部科学省や地方教育行政の担当者の無知こそが最大の問題なのです。
 

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