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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第58号)

発行日:平成16年10月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「戦力」のグレイゾーン

2. KJ法の威力と男達の呪縛

3. 「寺子屋」効果と「母の便り」

4. 第50回生涯学習フォーラム報告 「素読、朗誦、暗唱の教育論」

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

お知らせ

第51回生涯学習フォーラム     11月は移動フォーラムです
 「文化芸術による創造のまち」フォーラム in 多久 
1  日時  平成16年11月20日(土)13:30?16:30
2  場所  佐賀県多久市 中央公民館大ホール
3  次第  総合司会  林口 彰(孔子の里)
    13:30  論語朗誦   多久保育園児
    13:40  開会  尾形善次郎(教育長)
    13:45  主催者あいさつ  横尾 俊彦(市長/実行委員長)
    13:50  基調講演  現代に生きる論語(仮)
           講師交渉中
    14:40  多久市納所小学校児童
    15:00  インタビュー・フォーラム;
           「いま、なぜ朗誦か?子どもの学力の基本条件」
      第1部  基調提案  三浦清一郎
           「朗誦の意義、朗誦の効果、朗誦の応用」
      第2部  登壇者
           横尾 俊彦(市長)、 市丸 悦子(中部小学校)
           柿木スミ子(元多久保育園保育士)
           森本 精造(福岡県穂波町教育長)
           司会: 三浦清一郎
    16:30  西山 英徳(多久市文化連盟会長)


編集後記 新しい表現形式の試みー近代詩講談ー

10月の第50回生涯学習フォーラムは「素読」や「朗誦」を主たる素材とした「型の学習」について論文を発表した。フォーラムレポートに紹介した通りである。論文は、東北大学の川島隆太さんの脳生理学の実験的研究の成果を援用して執筆した。川島研究は、これまでの教育実践における「経験則」に明解な科学の証明と説明を付加することになった。音読/素読は大脳の「前頭前野」を著しく活性化することが医学的に解明されたのである。音読/素読は一躍時代の脚光を浴びることになったのである。
  幸福なことに、筆者は少年の頃たくさんの音読をする機会に恵まれた。父の口癖は「読書百編、意おのずから通ず」であった。佐藤春夫や若山牧水の詩歌を暗唱していて、飯時に聞かされたこともたびたびであった。巡り会った先生の中にも音読を勧める方が何人もいらっしゃった。そういう時代であった。
  川島隆太さんの研究が高齢者の痴呆の治療に有効であることを証明して以来、音読は更に重要な意味を持ち始めた。友人のなかにも川島さんが編集した本をもとに音読を始めた人がいる。私も本棚から古い詩集を引っ張り出して読み返すようになった。パイロット事業として始めた「寺子屋」の子ども達のために音読の資料を選定する作業も一つの切っ掛けになった。各種の資料を一通り読み返してみたら懐かしい音読の昔が蘇ってくる。なかでも石川啄木の歌は格別のものであった。森の散歩の時に口ずさんでみると50首ぐらいは思い出すことができた。記憶が曖昧なところは原本に戻って確かめてみた。少年の日に味わった情感や心象風景が熟年の我身にはまた新しい意味をもって心を満たしてくる。音読体験への回帰は新鮮な驚きであった。前回の生涯学習フォーラムの夕食会で、思い出した啄木の歌の一端をご披露してみた。参加者からは、自分達も音読や素読のトレーニングを受けてみたかった、という感想がいくつか出た。
  また、長崎講演の際に聞きに来てくれた教え子にも問わず語りに語ってみた。彼女は国語が専攻である。幼稚園の園長でもある。幼い子には音読や物語が特に重要であろう。筆者の説明は、内容も、方法も明確ではなかったので初めはしどろもどろの、漠としたものであった。しかし、聞き上手に促されて語っている内に、作品の内容を暗唱しているので、朗誦と説明を組み合わせた実演型の講義になった。
折しも、北九州市の高齢者の学び舎である「穴生学舎」の南 京子さんからお便りが届いた。「学舎」では、大分県宇目町の矢野大和さんをお招きして「落語」を聞いたこと、話の内容はもとより、彼の活躍ぶりに大いに刺戟を受けたこと、交流が楽しかったこと、筆者が共通の知人ということで矢野さんの伝言も兼ねて、おまえも"がんばれ"と言うメッセージが添えてあった。
  朗誦の思い出を通して私が工夫した表現形式は、気が付いてみれば、どことなく「講談」の雰囲気である。宇目町の矢野大和さんの『生涯学習落語』にヒントを得て『生涯学習講談』と呼んでもいいかも知れない。詩人を論じたので「近代詩講談」と呼んでもいいだろう。折り返し、私も、"近代詩講談をやるぞ!"、"実験の舞台をください"と返事を送った。さて、新しい舞台は生まれるだろうか?
  筆者が考えているのは文学表現の新しい形式の試みである。素材は自分がその多くの歌を暗唱している歌人である。「近代詩歌講談ー石川啄木」と名付けた。
  折しも、来月の佐賀県多久市は本年度の第51回移動フォーラムである。フォーラムのテーマは音読/朗誦である。多久市は孔子を祭っていて、保育所の子どもや小学生が論語の朗誦に取り組んでいる。筆者の役割は朗誦の教育的意味を提案することであるが、少年時代の暗唱に基づく実演も教育効果を示す上では悪くはないだろう。幸いなことに多久市の事業名は「芸術によるまちづくり」である。生涯学習講談師のデビューになるだろうか!?


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(代表) 三浦清一郎 E-mail:  kazenotayori@anotherway.jp

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