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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第51号)

発行日:平成16年3月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 生涯学習の構造改革分析−市場検証の実験

2. 今、なぜ子どもの「居場所づくり」なのか?

3. 第44回生涯学習フォーラム報告 「行政による子育て支援システムの創造」

4. 見えない証 『自分の子どもがこの学校に来れればいいのにね!』

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

お知らせ

第45回生涯学習フォーラム「この指とまれ」
日時: 平成16年4月17日(土)15時?17時、のち「センター食堂にて夕食会」
場所: 福岡県立社会教育総合センター
テーマ: 学力とはなにか?学力向上の方法とはなにか?
事例発表者: 交渉中
参加論文:学力とはなにか?学力向上の方法とはなにか?(仮題)  (三浦清一郎)
フォーラム終了後センター食堂にて「夕食会」(会費約600円)を企画しています。準備の関係上、事前参加申込みをお願い致します。(担当:肘井)092ー947ー3511まで


◆◆◆◆◆ 編集後記 少年の歌、熟年の歌 ◆◆◆◆◆◆
  薩摩の郷中教育には「朝読み、夕読み」という優れた伝統がある。音読による表現形式や文学作品の習得法である。しかし、日本の学校では、「つめこみ主義」のレッテルを貼って「型の学習」を排斥してきた。「朝読み、夕読み」は久しく捨てて顧みられることのなかった教育法である。しかし、ようやく近年「声に出して読みたい日本語」などが注目され始めた。何よりのことである。
  筆者は「朝読み、夕読み」の手法を20年前の少年キャンプの研究に導入した。今回は、その時の記憶を再現して、ある町の子育て支援事業の活動に「朗誦」のプログラムを入れようとしている。すぐれた日本語を子ども達に音読させ、気息を整え、併せて表現文化の基本教養を培うことが目標である。さっそく音読の素材になるような詩歌を探してみた。ところがぴったりする材料がなかなか見つからない。素材は指導者や保護者にとって親しみ易くなければならない。表現文化の基本教養であると同意していただけるようなものでなければならない。もちろん、すぐ理解できるとは期待しないが、繰り返している内に子どもにもそれなりに理解可能なものでなければならない。指導者の説明を聞き、朗誦を繰り返している内に徐々に身体に染み込んで行くようなものを選びたい。
   久々に書棚から様々な詩歌集を引っ張り出して拾い読みをした。かなりの時間を費やしたあげく、結局は定番の詩歌に落ち着いた。「始めの詩」は宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」、中間の素材には日替わりができるように複数の俳句と短歌をそれぞれに選んだ。悩みに悩んだが日本人の評価が定まっていることを重視して、俳句は一茶、蕪村、芭蕉の中から選んだ。短歌もそれぞれに捨て難いが、人々の好みもあろうかと配慮して、「自分、父母、ふるさと」を主題として6人の歌人から一首ずつを選んだ。「終わりの詩」は全力投球した一日の終わりの静かな充実を子ども達にも実感させたいと願って、堀口大学の「夕暮れの時はよい時」を選んだ。20年前の少年キャンプの研究の時と同じ結果になった。
  拾い読みを繰り返した選別作業の過程で、若い頃には気にも止めなかった歌に気付いた。今になって読むと実に新鮮であった。同じ年齢層の読者もいらっしゃることだろう。熟年が見つけた新しい歌を紹介して編集後記に代えたい。

いつのまに別れしものぞ別れむと君も云わなくわれも云わなく (吉井 勇)

  60年も生きて来るといろいろある。別れのあいさつをせずに別れた人も一人や二人ではない。忘れることはないが、これから会うこともまずないであろう。今更に勇の歌が心に滲みる。

男をば罵る彼等子を生まず命を賭けず暇あるかな(与謝野晶子)

  平塚雷鳥が創刊した女性解放運動誌「青鞜」に「山は動く」と一文を寄せたのは晶子である。そして上記の歌を詠んだのも晶子である。この歌の前では、筆者が関わってきた男女共同参画の仕事が惨めに思える。家を守り、何人もの子どもを生み育て、歌人としてすさまじいばかりの作品を残した晶子のエネルギーに讃嘆せざるを得ない。かつては多くの母がこの歌のように生きた。

桜ばないのちいっぱい咲くからに命をかけてわが眺めたり(岡本かの子)

  この歌は子ども達の朗誦素材に取り上げてみた。はたして彼等がどのように分るだろうか?筆者も少年の頃にかの子のようなはげしい歌を知っておきたかったと深く思ったことが採用の動機であった。

われ死なば靴磨きせむと妻はいふどうかその節は磨かせくだされ(吉野秀雄)

   わが娘と息子に教えてやりたいと思った歌である。ひたすらおのれの病いと戦い、子を守り、妻を守り、妻に先立たれ、二人めの妻も必死に守ろうとする秀雄の気迫は"おどけて"いても読むのが辛いほどである。

  中原中也に「冬の長門峡」という詩がある。"蜜柑のような夕日欄干にこぼれたり、ああーそのような時もありき、寒い寒い日なりき"と詩は終わる。誰の人生にも家族のために戦おうと思った日はあるだろう。心細くても自分でやるしかない。哀しくて切なくてどうしようもない時でも自分でやるしかない。寒い寒い日もある。

新しき明日の来るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘はなけれどー(石川啄木)

 少年時代以来一番わかるのが啄木である。幼き日から啄木に巡り会えてつくづくよかったと思うこの頃である。

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