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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第102号)

発行日:平成20年6月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 男女共同参画の核心-「なぜ家事はそんなに辛いのか!?」

2. 非権力行政」としての「社会教育」推進

3. お知らせ: 第84回生涯学習フォーラムin行橋-福岡

4. 形式と内容 -社会的承認と親睦のさじ加減-

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

形式と内容 -社会的承認と親睦のさじ加減-

 お葬式も、結婚式も、総じてセレモニーというのは、「社会的承認」と「親睦」を兼ねた方法です。両方の要素を兼ねているということは、セレモニーの形式と内容を組み合わせる「バランス」が大事だと言うことです。形式に偏れば無味乾燥、「中身さえよければいい」と開き直れば、社会の認知や正当な評価は頂けません。両方が揃わなければならないというところが難しいところです。しかし、バランスのさじ加減は言うは安く、行うは難く、決して容易ではありません。
 社会教育に限ったことではないでしょうが、内容のある形式、形の整った 内容をお見せすることは努力と力量を要するのです。
 筆者が参加している山口県の研修同窓会は親睦と各メンバーの活動の進化を報告し合う会合ですが、ややもすると懐かしい研修の思い出話の続きになって終る傾向があります。遠くから都合を付けて集まって下さる人々の会が、親睦だけで終るのであれば、やがて、参加者を失うでしょう。親睦だけでは、日々、前進しようとする活力を生み出すエネルギー源にはならないからです。同窓会が、活動する個人の報告会を兼ねたものでないのであれば、筆者は抜けたいと100号に書きました。個々人の進化に対する社会的承認を意図しなければ、時間とお金をかけてわざわざ集まる意味がないというのが筆者の思いだったからです。
 今回、山口同窓会のメンバーが関わる、学校主導の「放課後子どもプラン」が下関市立神田小学校で始まり、学童保育主催の夏休み保教育プログラムが山口市の阿知須で始まります。岩国では夏休みの「元気塾」が、下関、周南、防府でもそれぞれに同窓生の企画が動き始めます。これらの動きはメンバーのエネルギーが進化に向かって集中して来ているからだと喜んでおります。当方も負けてはいられません。福岡県桂川町の桂川東小学校の城谷登志江校長先生と2人3脚で「生きる力の向上」プログラムに挑戦する予定です。今年の「同窓会」の「酒の肴」となる各人の報告が楽しみです。
 このように、会の形式が目的を規制し、当該目的を実現するために個別のメンバーが頑張るという循環が起こるのです。形式が内容を規定すると言い換えてもいいでしょう。親睦を重視し過ぎれば、社会的な意味が薄れるのです。
 過日、友人の皆さんが筆者のために「風の便り」100号記念のパーティーを準備して下さいました。自分自身のことでしたから、セレモニーと親睦の間をどう調整するかというある種の葛藤を経験しました。結果的には、人生の苦しい時期を10年近くに亘って支えて下さった方々に率直に感謝の気持ちを伝えようという個人の思いと、型を踏んだセレモニーを同時に進行させることになりました。形式を踏んで行けば、「本人のあいさつ」を含め、どこか100号まで書いて来た己を誇るような会になるのではないかとひたすら恐れました。心境は複雑でした。形式は「形式張る」という表現の通り難しいものです。しかし、形式にのせない限り、感謝・親愛の思いも表現できないのですから「さじ加減」はますます難しいものです。
 いずれにせよ、己のやって来たことを語る記念の会など2度としないというのが結論になりました。難しいものはやらないに限るのです。
 成人式も、お葬式や結婚式と原理は同じですが、型通りの紋切り型で、祝う理由も、資格もない人々が若者の人生を祝うというところに「しらけ」の原因があるのではないでしょうか。毎年悪評さんざんなのに、祝う側に必然性がないので、無味乾燥な型通りのセレモニーに堕することは目に見えているのです。自治体は税金まで使って成人式など祝ってやらなくていいのです。社会的評価の点で、大部分の若者はいまだ評価に値せず、親睦の面で、祝う自治体の側に若者との親密さが存在しない以上、形式と内容がまったくマッチしていないのです。 
 先月終了した第27回の生涯学習実践研究交流会のあと、加勢してくれた学生諸君の慰労会を企画しました。ここにも同じ問題が発生しました。結果的に、参加者の日程調製に失敗し、実行委員会の代表も実行委員も参加しない学生と担当教員だけの「親睦会」をやることになりました。しかし、身内だけの「打ち上げ」では社会的承認も、感謝の意も、関係者の評価も、学生に伝わらないことは明らかでしょう。どのような感謝の夕べも、学校の研究発表会も身内だけでやっては駄目なのです。形式の意味を忘れれば「社会的承認の機能」が抜け落ちるという結果を招きます。社会教育が人々のネットワークをつくる上で一番大事なことはセレモニーと親睦の間のバランスを組織化するということです。飯塚市の学び塾も、豊津寺子屋も、今回ご案内した山口の発表会も、形式(=社会的承認)と内容(=楽しい出会い)の組み合わせのさじ加減に「発表会」の成否の鍵があるのです。


   

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