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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第84号)

発行日:平成18年12月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 『放課後子どもプラン』の卓越性

2. 男女共同参画オンチ!!

3. 進化する「宅配便」、挫折したか!

4. 向老期の生涯学習処方 −『読み、書き、体操、ボランティア』−

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

男女共同参画オンチ!!
■1■  「女人禁制」でも「世界遺産」にするか!?

  地元の事は書きにくい。しかし、論理は論理だと主張する以上、状況のしがらみは排除して言わなければならない。テレビが「沖の島」を世界遺産に!、という運動が展開されていることを紹介していた。「沖の島」は古代史の宝庫である。「盗まれた神話」や「失われた九州王朝」(古田武彦)の熱烈支持者としては「海の正倉院」は浅学の身の想像を掻き立てる。宗像大社のお許しを得て、2度訪れたことのある「沖の島」の神秘と荘厳さにも感じ入っている。頂きから眺めた日本海の碧さも忘れ難い。この島から日本海海戦を眺めた島守が居たことも歴史の不思議であろう。しかし、「沖の島」は、所有者の方針が変わっていない限り、「女人禁制」の島である。祭神が女神だから女性の入島を妬くのだという俗説もある。女性拒絶の理由は「私有地」であるかぎり、どうでもいい。しかし、いかなる事情があるにせよ、アフガニスタンの「タリバン」のような急進的女性蔑視の国ではあるまいに、現代の日本が、人類の半分が上陸することを許されない場所を「世界遺産」にしていいのか?「女子は半天を支える」のである。
  宗教法人の「私有地」のままにしておくのならともかく、「女人禁制の島」を世界遺産にしようという感覚は残念ながら男女共同参画オンチである。「女人禁制」もまた文化の特性の一つであるというのであれば、「風の便り」22号に書いた論理を再掲するのでお読みいただきたい。

■2■  タリバンの国へ行け??「相対主義」の限界

  平成8年、中央教育審議会は「21世紀を展望した我が国の教育のあり方について」において次のように言う。
  『文化には「違い」はあっても「上下」はない』。『この事を理解する事が文化理解の最大の課題である』。(*)これこそが学校教育における国際理解教育の課題であり、この事が理解できれば異なった文化圏の人々とも「共生」が可能になるというのである。
  中教審の「文化相対主義者」は、女性であれば、自分みずからタリバンの国へ行くであろうか。男性であれば、自分の娘や女房をタリバンの国に行かせることができるだろうか。中教審メンバーに限ったことではないが、「文化に上下はない」と発言している人びとに聞いてみたいものである。
  「文化の相対主義」は「原理主義」の存在を許して来たが、「原理主義」は「文化の相対主義」を認めはしない。かくしてタリバンのもとでは、その「教義」は絶対化される。問答無用で、女性の職業は否定され、教育も否定され、普通に人前に顔を出して社会生活を送ることすらも一切否定される。タリバンの支配下にあって、夫に先立たれた女性が"物乞い"をして暮らさざるを得ない映像はなんとも悲惨である。英国のブレア首相が、元首の中では初めて、文化的な観点から明確にタリバンの存在を否定したが、日本のテレビや、新聞からは、政治家はもちろん日本の女性からもタリバンの存在を否定する声は聞こえてこない。アフガニスタンの女性問題は、「ひと事」だというのだろうか。
  文化の相対性を認める文化は、文化であるが、それを認めない文化は「文化」ではない。それゆえ、「文化」を守るためには、「文化の相対性を認めない文化」は否定しなければならないのである。それは「自由」を守るためには、「自由」を認めない人びとの自由を束縛しなければならないのと同様である。愚にもつかぬ昔のしきたり以外に「沖の島」に「女性」の上陸を禁ずる理由があるのであれば、世界遺産に申請を行う前に女性に説明する責任があるであろう。それをいわない限り文化の相対主義のきれいごともまた「毒」であることに変わりはない。この国には、是非ともタリバンの国へ行かせたい人びとがたくさんいる。

(*) 平成8年中央教育審議会の第一次答申 、国際化に関する学習のすすめ方、国立教育会館社会教育研修所編、平成11年、 P.14
 

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