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生涯学習通信

「風の便り」(第75号)

発行日:平成18年3月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 拝啓 少子化担当国務大臣 猪口邦子 殿

2. A小学校への提案−「一石数鳥」、DOG YEARの生涯学習

3. 「情緒的貧困化」−熟年期の社交と交流の創造−

4. 第65回生涯学習フォーラムレポート

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

第65回生涯学習フォーラムレポート

  今回の報告は行政評価が基本テーマであった。今回の発表は2件。一つは福岡県穂波町教育委員会の五年に渡る実践の総括である。報告・分析は森本精造教育長と同町楽市小学校の川原田寿史校長にお願いした。他の一つは福岡県立社会教育総合センターの評価と展望である。就任1年の過程を展望し、次年度の企画に繋げた施設評価を菊川律子所長にお願いした。

1 評価の核心ー「集中と選択」は「集中と選択」に成り得たか?

  センターの事業評価結果の公開はお見事であった。分析も論理的であった。向上と改善の結果も報告の通りであろう。しかし、筆者の関心はそこにはない。
  人も施設も金と力が衰えてくれば突破口は「集中と選択」を断行するしかない。この数年筆者は自らの身の回りのあらゆる人間関係と暮らしの要素に「集中と選択」の決断を下してきた。しかし、果して「集中と選択」は本人のスローガン通りに「集中と選択」に成り得ているか?過去を捨てることは決して簡単ではない。これが報告を聞くにあたって筆者の興味の核心であった。
  己を取り巻く条件が先細りし、金も力も時間すらも無くなって行く状況下では、先細りして行く己の戦力を限られた目標に集中する以外物事は達成できない。したがって、「選択」しなかったものは目をつぶって切り捨てるしかない。結果的に「集中と選択」は過去との訣別を意味している。訣別は義理を欠き、大事にしてきたものを切り捨て、相手関係者の心情を害することを意味する。それでもやるか!?それでもやらなければいずれは当事者自身が空中分解する。基本原理は先年の金融機関における不良債権処理と同じである。
  我が人生の諸々の活動が「不良債権」であったとは言わないが、放置すれば自分自身の衰退とともに「不良債権」に転落することは明らかであった。筆者も自分のやった「集中と選択」にそれほどの自信はないが、先細りする能力ですべてを抱えて行くことはできないことだけは自明である。
  公民館に代表される生涯学習施設も生涯学習施策も財政難、人事難の状況下で「集中と選択」の断行に失敗したのである。失敗したから財政難と人事難が一層の悪循環を辿るのである。多額の人件費と運営費を投じた多くの公民館はすでに不要である。多くの生涯学習センターも不要である。要するにシステムも事業も時代遅れで制度疲労を起こしているのである。センターもこの轍を踏んでいないか!?暴論に聞こえるであろうがこの時期に至って、一般県民のための中途半端なプログラムなどは不要である。また自立が可能な県民に対する支援も基本的にやる必要はない。これまでのセンタープログラムを継続しても社会に衝撃は与えず、世間が未来を垣間見ることもない。市町村が参考とすべきモデルも生まれない。「集中と選択」の対象は「未来の必要」であり、自立の叶わない子どもと年寄りと働く女性への支援である。「お上」の風土において県が今も市町村に対して「上位」に位置しているとすればその役割はなにか?「集中と選択」の方向は生涯学習の実践的未来モデルを提示することしかない。何人かの質問者の意見と提案はそのことを聞きたがっているとお見受けした。

2  教育の革新は学校の革新であり、生涯学習の革新もまた学校の革新にある

  教育の革新は学校の革新であり、生涯学習の革新もまた学校の革新にある。穂波町の教育改革の結論はここにあると理解した。報告者に校長先生が登場した一事をもって「なんと羨ましいことか!」と「子育て支援」の拠点の確保で苦労している豊津町の担当者が述懐したのが印象的であった。それくらい学校はあらゆる生涯学習施策から遠いのである。穂波町は学校を改革しつつ、生涯学習施策を改革し、生涯学習施策を改革しつつ、学校を改革しようとした。その成果がようやく形になり始めたところである。学校選択制の断行から始まった改革は、各学校の教育マニフェストの作成に結実し、住民のための学校として動き出す下地を作った。そこから従来の社会教育実践の成果を活かし、学校施設を活用した「学校週5日制」対応事業:「生き生きサタデースクール」が誕生するのである。
  学校週五日制の空白を埋めなければならない、とは誰もが言う。しかし、誰が継続的、効果的にその空白を埋め得たであろうか!?上記で「未来モデル」と言ったのはこの種の事業を意味しているのである。「サタデースクール」はやがて「穂波子ども塾」に進化し、年間300日もの子育て支援実践に昇華する。同様の発想で始められた「熟年学び塾」は学校で学ぶ高齢者の活動が「子ども塾」と繋がり、学校と繋がり、ゆるやかに学校教職員の意識も変革して行く。すべての事業は学校を連結の「環」として子育て支援システムや学校支援システムとして結実して行くのである。結果的に学校はコミュニティ・スクールとして機能し始め、学校安全会の保険がカバーする子どもの安全のための「学校宣言」に収斂して行くのである。当然、このような開かれた学校運営は開かれた教職員の意識に繋がって本来の学校教育そのものを革新して行くであろうことは疑いない。これら一つ一つの実践もまた上質の「未来モデル」であることは言を待たない。

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