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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第74号)

発行日:平成18年2月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 夢の過疎対策構想 「森林ボランティア」は可能か!?

2. 夢の過疎対策構想 「森林ボランティア」は可能か!?(続き)

3. 第64回フォーラムレポート 『みんなちがってみんないい』

4. 子育て支援−「ボランティア指導者」の評価と意見

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

2. 森林ボランティアと生涯学習の結合

   N町は広大である。県の10分の1の面積を占めるとお聞きした。町有林も広大である。しかし、人を雇用して森を守る財政的余裕はすでにない。かくして山は荒れて行く。講演の末尾でたとえばの話として筆者は「森林ボランティアと生涯学習の結合」を提案した。2007年は団塊の世代が定年を迎える。多くの定年者は労働から新たな活動への移行に失敗する。そうなればこれまで論じてきたように定年者は「自由の刑」の無聊と戦い、交流機会の貧困化の中で精神の活力を失い、社会から必要とされなくなった「存在の無用感」に打ちのめされる。生涯学習も生涯スポーツも選択しなければ、心身の機能は加速度的に衰弱し、降下する。医療や介護の世話になるのは時間の問題である。かくして2007年問題は「厄介老人」の大量発生を予感させる。
   「森林ボランティアと生涯学習の結合」論は一度島根県H町でも提案したが実現していない。講演の終了後関係者の質問に答えて話しているうちに講演に費やした時間と同じくらい熱弁を奮っている自分に気付いた。聞き上手の助役さんや町長さんが相手だったのでますますのぼせ上がって喋った。以下はその概要である。

 (1) すでに田舎に「定住人口」をお招きする施策の失敗は明らかである。都市住民の多くは田舎への郷愁は感じても定住は望んでいない。

 (2) それゆえ、過疎対策は「交流人口」の拡大に重点を置くしかない。しかし、特別な文化・歴史・観光の資源をもたないところへ都市人口を引き付ける事は容易な事ではない。交流人口の継続的大移動をシステム化する方法は上記の「セカンドスクール」構想であるが、政治が選択しない限り「絵に描いた餅」にならざるを得ない。

 (3) そこで森林ボランティアである。N町の夏の平均気温は平地の町より5度低い。大都市のメディアと組んで季節にあった「田舎暮らし」と「地球にやさしい森の守役」を提案する。通常、役場の職員ではこの種の企画の営業はできない。メディアの「案内機能」と「価値付与の機能」に任せるべきである。応募定員は100名。100名にならなければキャンセルすると初めから謳っておけば良い。この時の参加人員は政治と同じく「数は力」である。午前中は地元の森林組合の指導を受けて森の整備作業に当たる。午後は原則自由。生涯学習や生涯スポーツのグループ・サークルに分かれて活動する。活動場所には公民館はもとより廃校になる学校施設を活用すればよい。週末は家族の日と定めてそれぞれの家族の訪問を歓迎する。

 (4) 町には使わなくなったかつての中学生寮があるのでそれを若干改修して住居を提供する。朝食は個人負担とするが、ウィークデーの昼と夜の食事は町が費用弁償のつもりで負担する。昼は森の作業の後に食べる弁当になるが、夜は町のレストラン・食堂の協力をえて「自由食券」を発行して好きなところで食事をしていただく。午後の自由時間と夕食の団欒を通して生涯学習やスポーツのグループ・サークルが生れるはずである。レストランはお客を獲得するためにメニューもサービスも工夫をする。筆者はかつてドイツの田舎町でドイツ語を学んだ時このシステムを大いに楽しんだ経験を有している。

 (5) この種の企画に応募してくる人々は総じてエネルギーがある。興味・関心も豊かで、好奇心旺盛である。腕に覚えのある人も多いはずである。講座を開設する人も出るであろう。展覧会やコンサートを企画する人も出るであろう。学校のゲスト・ティーチャーを引き受ける人も出るであろう。生涯学習・スポーツは彼らの活力と能力を引き出し、地元住民との交流を生み出すであろう。

 (6) 週末の家族の訪問には赤字で苦しむ「第3セクター」の温泉施設などを割り引き制度で活用するのである。1〜2か月経てば「経験の共有」が「同じ釜の飯」に進化する。森を守る苦労を共にした分だけ人々の連帯は深まる。活動の経緯は小さな石に刻んで手入れをした森の入り口に飾れば個人の貢献の歴史が顕彰される。人生には「語り草」が不可欠なのである。町に溶け込んだ優れた人々はやがて町の広報大使に育って、次の活動に繋げて行くであろう。

 (7) 旅費も日常経費も保険も装備も基本的に個人の負担とする。町は住民の親切と住居と限定的な食事を提供するだけである。結果的に町有林の荒れが少しでも止められるかも知れない。ボランティア本人の基本生活費は町に落ちるお金である。家族の訪問も町に落ちるお金である。生涯学習まちづくりはそれが町の繁栄に繋がるような施策にすべきである。各地で盛んなスポーツ大会や生涯学習まちづくり大会のような一過性のイベントに手を染めてはならない。この種の事業に関わっている多くの町の実態はお金は出て行き、ごみだけが落ちるのである。

 (8) "2007年問題と過疎対策の結合です。やる気があるのなら企画は引き受けますよ"と言って町を辞した。後日担当者からは到底自分達の「手に余る」と連絡があった。かくして夢の企画はいまだ夢のままである。

3.  後日談

  3月には合併で「豊津寺子屋」の母体であった豊津町が消滅する。これまで報告してきた「豊津寺子屋」の事業は新みやこ町の豊津支所の事業となる。筆者は町長さんに顧問の辞表を提出した。その際四方山の話の中で「森林ボランティアと生涯学習の結合」論のいきさつを語った。町長さんのアンテナが動いて、眼が輝き、膝を乗り出した。新しい町にも広大な森林があるという。そこでやってみてくれませんか、という話になった。人の世の巡り合わせは面白い。果たして夢の企画の実験は始められるか?

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