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生涯学習通信

「風の便り」(第74号)

発行日:平成18年2月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 夢の過疎対策構想 「森林ボランティア」は可能か!?

2. 夢の過疎対策構想 「森林ボランティア」は可能か!?(続き)

3. 第64回フォーラムレポート 『みんなちがってみんないい』

4. 子育て支援−「ボランティア指導者」の評価と意見

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

夢の過疎対策構想 「森林ボランティア」は可能か!?

   N町から講演の依頼をいただき、担当者と打ち合せをする中で本当のねらいは町の活性化と過疎対策にある事が分った。しかし、従来の生涯学習まちづくり論のほとんどは役に立たない。役に立たない理由は提案も実践も「単発でシステムにならない」こと、さらに「農山漁村に都市人口を継続的に呼び入れる事ができなかった」からである。筆者の知る限り、真に有効な対策はかつて国土庁が提案した「セカンドスクール」構想しかない。

1. 埋もれた国土庁構想−「セカンドスクール」

   昭和50年、国土庁は「セカンドスクール」構想と銘打った調査報告書を刊行した。当然、当時の文部省を始め多くの関係者の目にとまった筈であるが、研究成果を具体化するための政策化の動きは筆者の知る限り皆無であった。

(1)   教育プログラムの抜本改革と過疎対策の統合

   「セカンドスクール」は「セカンドハウス(別荘)」をもじった和製英語である。国土庁の発想は、教育課題への対応と過疎対策をドッキングしようとしていた。自然接触体験を欠損し、異年齢集団体験の機会を失った子ども達には「日常の学校」を離れた新しい教育活動の舞台が必要であった。そうした「必要」に対処するための、当時の文部省の発想は、「青年の家」であり、「少年自然の家」であった。しかし、そのどちらにも「過疎対策」の視点はまったく欠如していた。当然と言えば当然であるが、文部省は教育のことしか考えていない。それゆえ、地域活性化や国土の均衡発展は文部省の管轄外であった。地域の均衡的発展や過疎対策は国土庁の課題であった。もちろん、この当時、現在の「生活科」や「総合的学習」の発想は提起されていず、歴史的に積み上げられて来た「合科教育」の視点は忘れられたままであった。文部省は、地域の発展と教育問題を重ね合わせた総合的視点は有していなかったのである。
   国土庁報告は、教育界の優れた研究者が名を連ねた提言書であったから、当然、文部省においてもその研究成果は読まれたであろうが、教育分野の官僚が他省庁の提案に重きを置く筈はなかった。セクト主義は当たり前の時代であった。「国益」よりも「省益」と言われ、官庁の縦割りは甚だしく、「省益」優先真っ盛りの時代であった。かくして、教育施策立案の権限を有さない国土庁提案は日の目を見ることなく埋もれたのである。

(2)   「交流人口」の拡大

   「セカンドスクール」構想の最大特徴は教育施策による「過疎対策」の視点である。セカンドスクールの物理的目的は、都市の学校の交流拠点を田舎の学校機能に隣接して創設することである。
   構想では、都市から日帰りで保護者が行き来することのできる交通可能距離圏内の地方の学校と協力して宿泊・教育活動の施設を整備するというものであった。結果的に、セカンドスクールを訪れる子ども達は、過疎地域にとっては「交流人口」の確保を意味している。保護者が日帰りで現地を訪問できるという条件を加味したのは、小学校児童の発達段階や親の心情を考慮したものであったことはいうまでもない。副次的ながら、過疎地にとっては、保護者の訪問も「交流人口」の拡大を意味した。
   セカンドスクールのプログラムに子どもがうまく適合できれば、結果的に、短・中期の山村留学の規模の拡大を意味する。交流人口の拡大は、都市と地方の交流を促すだけではなく、過疎の町村に経済効果を生み出す。わずかであっても宿舎や賄いの世話に関して雇用の機会も増大するであろう。義務教育レベルで予算化され、すべての市町村で「セカンドスクール」構想が動き出せば、都市と地方の交流は子どもを核として間違いなく活性化したであろう。その他考えうる限りの文化的交流、自然環境の保全、「合科教育」など、教育の新しい試みもセカンドスクールの自然発生的な副産物となるはずであった。

(3)   教育を活用した過疎対策路線の実質的崩壊

   セカンドスクール構想は、学年ごとあるいはクラスごと、あるいは学校ごとの中期の集団移動・教室移動を想定している。それに対して、少年自然の家や青年の家は、単発的、固定的、部分的なプログラムしか提供できない。山村留学は、教育的発想に於ては類似の視点から出発しているが、制度的過疎対策という視点では、「個別」/「単発」の留学に過ぎない。山村留学生の実数は1校あたりわずか数人である。
   都市の労働雇用能力、都市の華やぎと文化の魅力を考慮すれば、都市の人口を過疎地に移動させることはほぼ不可能である。それゆえ、山村留学が長期の「定住」留学を目ざす限り数量的には決して効果は上がらない。結果的に、自治体の過疎対策には程遠いのである。これに対して、セカンドスクールは「交流」型であって、「定住」型教育プログラムではない。学校と学校を繋ぐ「季節移動」型の教育プログラムである。既存の田舎の学校にてこ入れして、施設の充実と宿泊施設の条件を整えれば、一定期間に限定して、体験活動、教育活動の充実を旗印として、多数の子どもを地方に移動させることが可能になるのである。
   文部省は上記の通り「セカンドスクール」を選択せず、「少年自然の家」政策を選択した。結果的に、国公立を含めて社会教育施設の役人の数が増えただけで、過疎の自治体へのてこ入れには全くなっていない。福岡県篠栗町の「萩尾分校」では、学校の存続と地域の活性化を兼ねて、地区の共有林を伐採して資金を作り、山村留学生募集のための住宅を建設した。家賃は3万円である。定住を希望する家族ごと義務教育の留学生を獲得しようというものである。鳥取県会見町でも同じような試みが行なわれた。ここまでやれば希望者も殺到するのである。文部省や県の教育行政が過疎対策を兼ねたセカンドスクールの発想を一部でも取り入れていれば、学校の存続も地域の活性化もわけなく実現できたであろうに、と誠に惜しまれることである。全国に何百の国公立の少年自然の家や青年の家を建設し、その職員に給料を払い続けていることを思えば、地元と協力して作るセカンドスクール施設は遥かに安く上がったであろう。過疎の村の雇用にも貢献し、新しい息吹を与えることも出来た。都市の学校との交流による教育効果は地元の学校を巻き込んだ全く新しい「総合的学習」を創造し得たかも知れない。それにひきかえ、「少年自然の家」は都市の学校の短期自然体験プログラムを教育行政の専門施設に分散しただけで、全国の自治体はもとより、過疎地の学校に分散することに失敗したのである。当然、過疎対策の助けには全くなっていない。

(4)  都市の学校と農山漁村の学校との交流

   少年自然の家の利用は、長くて精々1週間。通常は、2〜4日の短期である。利用者が、自らのプログラムを優先すれば優先するほど、他のグループとの交流もお座なりになりがちである。これに対して、セカンドスクール構想の場合は、地元の学校と合同・密着が条件である。当然、地元の学校との協力・交流は不可欠の条件である。自然条件を活用できる都市の学校の利点が多々あることはもちろんであるが、地方の学校も都市の学校から様々な刺激を受ける。合同の授業も可能になる。当然、都市の子と地方の子が一緒に遊ぶことも、生活を共にすることも可能である。教師間の交流も可能である。国土庁の発想は、「少年自然の家」構想の何倍も地域の社会/経済的条件を考慮している。過疎問題と格闘せざるを得なかった「山村留学」の歴史を顧みれば、「自然の家」構想が地域の活性化に如何に役に立たなかったか、明らかであろう。過疎が進行して、山村留学や「住宅提供留学」に頼らねば、村の学校を維持することが出来なくなった現状から振り返る時、埋もれてしまった「セカンドスクール」構想は、いかにも惜しいのである。埋もれた提案は、「釣り落とした大魚」に似ている!?
   セカンドスクール構想は、短・中期の山村留学制度の必修化・制度化を発展させたシステムである。システムが機能すれば、教育の地域間格差の是正、学校間格差の修正、子どもの欠損体験の補完、過疎地の経済的・文化的支援など多様な機能を同時に果たすことができた筈なのである。N町では近々に二つの学校が閉鎖される。セカンドスクールが実現していれば集落から子どもの声が消えなくて済むのであるが.....。
 

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