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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第53号)

発行日:平成16年5月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「子ども」と「児童」 −「半人前」の親と「4分の1人前」の子ども−

2. 「状況変化」の評価方法 −単位のないものをいかに比べるか?−

3. 「翻訳学問」を疑え

4. 雇用多様化時代の生涯学習

5. 「他者の人権」、MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

「他者の人権」


  人権講座の講演依頼が来るようになった。驚きである。筆者の主張は世論の大勢とは相容れない。筆者は「加害者の人権」と「被害者の人権」を同じには考えていない。人権論者が平気な顔をして女性を見下しているのもまことに信用ならない。「半人前の子どもの権利」と「一人前の社会人の権利」も対等とは思っていない。「外人」という言い方を変えようとしない日本人に人権を問う資格はないと考えている。個人の権利や既存組織の利益よりは常に全体の福祉や利益を優先させるべきだと思っている。
  それゆえ、学校は「子どもの側」に立たずに「社会の側」に立つべきだと説いている。個人の人権が社会的に多くの人々の自由や権利を阻害するような「ごね得」や勝手な「ミーイズム」はいつも不快に思っている。自らの権利を振り回し、自己組織の利益を全体社会の改革や革新に優先させる組織のエゴにもうんざりしている。したがって、前号で論じたように、イラクに飛び出した無謀で、無責任なボランティアやフリージャーナリストの安全よりは国益の方が遥かに重要であると考えている。このような前提で研究成果を発表してもそれがイデオロギー的批判の対象になる事は目に見えている。ことと次第によっては、外部からの抗議で家族にも迷惑をかける。それゆえ、ガリレオのように「それでも地球は動いている」と呟いているしかない。
  例外的に、男女共同参画に関する女性問題については、近年、問題の背景を明らかにすることができた。講演も少しずつ引き受けることにしている。しかし、その他の対象については、人権講座は筆者の鬼門である。社会はもはや筆者の意見は聞かない。既存組織のイデオロギー論争に巻き込まれる事も避けたい。特に、子どもの人権となると多くの保護者や教育界と大いに見解が異なる。筆者のキャンプ研究は心身ともにたくましい子どもを育てたいという願いにおいては世間と同じである。しかし、その他のやり方はほとんど正反対である。筆者は基本的に子どもの主体性も、自主性も一定の枠のなかでしか認めない。「半人前」を「一人前」に遇することは明らかな誤りである。初めから自主性を認めれば子どもは厳しいプログラムには到底耐えられない。辛いことが好きな子どもはいない。楽なことが好きでない人間もいない。
  キャンプ長であった私は、子どもが著しく活動を阻害し、他の子どもの安全を脅かす場合には体罰を導入すると宣言した。キャンプの方針については、保護者に同意書の提出を求めた。同意が得られない子どもの受け入れは認めなかった。キャンプでは、多くの子どもの安全を脅かしたり、活動計画を妨害するような行為を厳しく罰し、時には、体罰をもって対処した。もちろん、わが子もそのように育てた。
  しかし、現代、子育て支援のプログラムを実施しようとして、アンケートを取れば、わが子は"どんな理由があっても、尻一つ叩かないで"という答が出る。子どもの人権を侵害しないで!という。そういう人はそういう人で自分の信念に従って、勝手に育てればいいのである。しかし、自分の子を好き勝手に振る舞わせて「他者の人権」を犯してもらいたくない。子宝の風土の子育てはわが子に甘い。甘さの副作用は子どもに出る。甘いしつけの毒はなによりも親に復讐する。子育てにおいて「因果応報」の原則は基本的に貫徹している。それゆえ、通常は余計なお世話をせず、口を噤んできた。しかし、子どもの「生きる力」がここまで衰退した以上、このまま「児童中心主義」を放置するわけには行かない。社会の安全のためにも、学力の向上のためにも、子どもの鍛錬を開始しなければならない。鍛えられた子どもは結局は「親の幸福」に繋がる。今、何人の親が、心身がひ弱で、親を尊敬しない子どものために泣いているか?それは鍛錬を怠ったからである。鍛錬を主張する以上、「子どもの嫌がる事」でも、「子どもが興味を示さない事」でも、ある程度の強制をしなければならない。強制する以上、子どもの意見を聞く事はできない。強制する以上、親は子どもより「偉い」のである。それが子どもの「人権」や「主体性」を損なうという事であれば、私の意見は参考にはならないでしょう、と申し上げる。人権教育は己の人権を言わず、「他者の人権」から教えればいい。「己を律し」、「迷惑をかけるな」とは「他者の人権」から始めよという風土の教えである。人権講座は自らの人権から始めていないか?「自分の人権」から始めれば限りなく「わがまま」と「勝手」を増殖するだけである。子どもに関する限り戦後教育は大いに間違っている。今、目の前にある、親や教師や社会に対する子どもの態度は「人権教育の成果」である。「自分の人権」だけが伸長し、「他者の人権」はぼろのごとく捨てて顧みない。子どもの人権教育はお断りするしかないのである。

 


MESSAGE TO AND FROM
   メッセージをありがとうございました。今回もまたいつものように編集者の思いが広がるままに、お便りの御紹介と御返事を兼ねた通信に致しました。みなさまの意に添わないところがございましたらどうぞ御寛容にお許し下さい。

福岡県甘木市 太田政子様
  懐かしいお便りに接し、又このたびの交流会でご尊顔を拝し、うれしく存じました。新しいお仕事のシルバー人材センターの改革に期待しております。現状の活動分野を大幅に拡大して、費用弁償を伴う熟年のボランティア紹介センターと融合できた時、教育と福祉が「協働」して、この国の「介護予防」のあり方が変わると思います。特に、少子化防止の意味でも、男女共同参画推進の意味でも、「子育て支援」は社会が引き受けるべき重要課題となりました。しかし、子ども達の活動を保障する指導者がいません。シルバー人材センターが取り組むべき新しい分野がここにあります。

島根県益田市 大畑伸幸様
   ご活躍を注目して見守っております。エネルギーのある社会教育関係者が激減しているなかでお見事です。本格的な子育て支援は学校の開放なしには拠点の確保ができません。問題はウィークデーです。すでに、保護者の側の学校週5日制の「自衛措置」は終わりました。今後は、少年の「生涯学習格差」が広がって行くばかりでしょう。「格差」の拡大を緩和するためにはウィークデーや休み中の子どもの活動を新たに創造するしか方法がありません。しかし、文部行政の開放通達が届いていないところで学校の開放を進めるのは手強いですよ。奮闘を祈ります。

茨城県土浦市 三浦清次郎様
  中城ふみ子の「乳房喪失」の英訳本ただただ感動して読みました。俳句が世界に広がりつつあるように短歌もまたこのようにして世界に出て行くのでしょう。学生時代に読んだ桑原武夫氏の俳句「第二芸術論」は見事に外れました。17文字や31文字で人生は表現出来ないとしたのでしょうが、世界中の方々が今や俳句を第一芸術と認めていることは明らかでしょう。翻訳の仕事を思い立って外国の方との「協働」でこのような仕事を為さった川村はつえ先生にも脱帽です。日本の文化を発信することを仕事の一つに考えていながらとうとうなまけものにはできないままに年を取りました。

母を軸に子の駆け巡る原の昼
木の芽は近き林より匂ふ
−Children run around the axis of their mother , in a daytime field the fragrance of leaf bud comes from a near-by forest (Breasts of Snow ジャパンタイムス社p.10)−

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このたびの第23回中国・四国・九州地区生涯学習実践交流会では過分の郵送料を頂戴しまことに有難うございました。

広島県府中町 中村由利江様
島根県掛合町 和田 明様
福岡県宮田町 植田武志様 
 

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