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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第40号)

発行日:平成15年4月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 未来課題−未来予測(第21回大会デルファイ調査)、自由席

2. ”小人の閑居”−学校週5日制の1年、八王子市の「教育特区」構想

3. 熟年の共感

4. 進化する図書館 −第34回生涯学習フォーラム報告

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

未来課題−未来予測(第21回大会デルファイ調査)

 ご協力有難うございました。

   昨年のアンケートは64件の回答をいただきました。「交流会」の慌ただしいスケジュールの中にもかかわらず、ご記入いただき有難うございました。年々少しづつ積み重ねて生涯学習課題の変化を見て参りたいと考えています。報告は1年前の結果です。今年の調査にもよろしくご協力下さい。

直観勝負!

   生涯学習実践交流会はいかにも慌ただしい。複数のプログラムが同時進行している。一年振りの再会に話も弾んでいる。その中で書いていただくアンケート調査であるから、じっくり考えるゆとりはない。回答は直観勝負であったと理解している。しかも。回答は「敢えて一つ」に絞った。設問の選択肢は重要なものに絞ったつもりであるから、絞ることは難しい。従って、一つにはしぼれない、と言う回答も散見した。それらは残念ながら「無効票」とした。「一番大事なもの」として選ばれることに未来課題の意味があると想定したからである。それぞれが大切であることは最初から分かっている。しかし、未来の課題を抽出するためにはそれぞれがギリギリの選択をしなければならない。

垣間見た方向

   問いの1は「本人の生涯学習行動」を聞いた。問いの2は「少年の危機」の根本を尋ねた。問いの3は「個人学習の振興方法」を選んでいただいた。問いの4は「システム改革の方向」を聞いた。問いの5は自由記述である。「生涯学習の緊急課題」を書いてもらった。

   問1の1位は「ボランティア」である。問2の1位は「家庭教育」、問3の1位は「グループ・サークルへの補助金」、問4の1位は「生涯学習省」の設立であった。自由記述は千差万別であったが、一言「予算」、「金」と書かれていたのが筆者の目を引いた。あらゆる活動は「金」を伴う。回答者に行政関係者が多いのが一目瞭然である。

問1   なぜボランティアか?

   個人の「生涯学習活動」の対象として、横文字のボランティア活動が一番に選ばれたことは意外であった。しかし、同時に、”そうだろうな”と実感するところでもあった。統計的な処理は大した意味はないが、2位の項目を倍以上引き離している。選択の理由は書いてあるものもある。しかし、書いていないものが断然多い。出て来た理由には、「恩返し」の思想があり、「お陰さま」の感情がある。「新しい生き甲斐」や「自己実現」を模索している人もいる。定年後の人間関係のネットワークを想定している人もいる。日本社会の弱点、日本人の精神的不足要因、と診断している人もいる。自助努力の必要、青少年に対するモデル提示の必要など様々な理由が並んでいる。

   ボランティア活動が選ばれた背景には日本型共同体が崩壊しつつある事実が存在する。日本人の感性も「共益」の確保から、「公益」の増進に向かっている。NPOが誕生したのはそれを反映している。従来の共同体の中では個人が自己実現を図ることも、主体的に社会貢献を実感することも難しい、と感じている。ましてや人間関係の自由「選択」は基本的に許されない。「自分流」に生き始めた日本人にとって、もはや伝統的共同体は安住の地ではないのである。輸入された外国思想が「ゆるやかな個人主義」が広がった日本社会の未来をになうことになると予感しているのであろう。

ちなみに、第2位は「職業に関する学習」、第3位は「余暇・趣味の活動」であった。

問2 圧倒的な危機意識−「家庭」が問題

   問2は少年問題の対処方法を聞いた。少年の危機の原因の認識は多様であろうと予想していた。それゆえ、対処方法も多様であるかと予想したが、結果は異なった。「交流会」の参加者は圧倒的に「家庭教育」の責任を問うている。家庭が子育ての原点、子どもの成長の基本であると言う認識である。「子どもは目の前にいるではないか」と指摘している。「もっとも長く接しているのも家庭である」という意見である。

   しかし、家庭に責任があるとしても、どうすれば家庭がその責任を全うすることができるのか?どうすれば親の姿勢・態度を変えることができるのか?子育てパンフレットは山ほど配っているではないか?PTAの研修も年々飽きるほどやって来ているではないか?相談事業も、子育て支援もやっているではないか?結果的に何も変わってはいないのである。家庭に教育責任を求める限り少年の危機は変わらない。

   家庭の責任を追求しても対処方法は生まれない。状況が悪化し続けるのはそのためである。家庭は危機対応の当事者能力を失っているのではないか?家庭に重大な責任があるとしても、対処方法を持たずに原因の指摘をしても問題は解けない。アンケートには、大会シンポジュームを始め、教育問題を男性だけで論ずるな、という女性の記述があった。もっともである。その女性は地域の子ども指導を抜本的に変革すべきであるという意見であった。

   数の上では問題にならないが、少年問題解決策の第2位は、学社連携による少年プログラムの抜本改革、第3位はさらに少なく「学校教育」の抜本改革であった。

問3 「グループ支援」と「行政主導プログラム」の二極分解

問3は生涯学習活動の促進策を聞いた。結果は、「私的グループ・サークルに補助金を交付してその自主性に任せよ」という意見と「行政主導の公的プログラムを充実せよ」という二つの意見に分かれた。もちろん、両意見とも「活動プログラム」の内容・方法については踏み込んでいない。したがって、「中身次第である」という意見も出るであろう。生涯学習予算が縮小している現在、どちらの方法も停滞の方向を辿ることになることが懸念される。結果的、最終的に、生涯学習は、個人が、個人の判断で学習投資を続けることになるのであろう。それゆえ、生涯学習は「立国」の条件とはならず、「生涯学習格差」の拡大は止まらない。

問4 総合的生涯学習行政は確立出来るか?

   文科省の発想を見ても、厚生労働省の方策を見ても、現行の生涯学習政策を健康学習や職業教育と統合してより総合的なアプローチをするようになるとは考えられない。臨教審答申は全く生かされてはいない。しかし、参加者の意見は、断然「総合的」行政の確立が制度改革の最重要事項であるという判断である。縦割行政への批判が背景にある。連携の重要性を全面に出した意見もあった。

   総合行政の必要論に比べれば、民間移行論も、学校の生涯学習化の発想も半分に満たない。参加者に行政関係者が多い分だけ、「総合化」論も、当分は行政主導で行くということを選択しているということであろう。制度改革案の第二位は、均等に2分された。一つは、「生涯学習のプロバイダーをNPOや個人に任せるべきであるという「民間移行」の意見、他の一つは、「学校の抜本的な生涯学習化」論である。

   自由意見も多い。生涯学習は「個人支援・補助」に転換して個人の選択に任せるべきである。民間と行政の「協働」もあるではないか。「パートナーシップ」という考え方を導入して、システムをネットワーク化すべきである、という指摘もあった。制度改革は「予算」である、注文もあった。「予算を付けずにその重要性を示すことは出来ない」という意見である。

問5 未来の課題はいまだ不明

   自由記述はバラバラである。無記入も多い。設問項目のくり返しになっている例も多い。心がけ論も多い。要するに具体的、制度的に生涯学習の未来課題はいまだ不明ということである。さて2003年の意見はどのようにでるか?時代は急激に動いている。

自由席

  生涯学習フォーラム「この指とまれ」の研究同人である正平辰男さんが東和大学へ転出された。その報告もかねて企画会議で話題になった「青少年のための青少年活動」の一つを御紹介したい。

(転載)

義姉義兄体験の場面設定

 福岡県庄内町が町立の生活体験学校という本格的な社会教育施設を設置したのは平成元年のことであった。ここでは通学合宿というプログラムが年間20回実施されている。平成13年10月から、小学校二年生を公募して二泊三日の通学合宿を実施している。少子化の時代である。兄弟姉妹はいない、子どもは自分一人という家庭も珍しくない。「異年齢集団」という言葉が重みをもって語られる。しかし、四年生と五年生を一緒に合宿させたからといって、常に五年生がリードした姿で生活が展開されるとは限らない。四年生に引っ張られて暮らす五年生だっている。今や、「異年齢」だろうが「同年齢」だろうが、生活技能・態度は千差万別、一様ではない。来訪者の中には、異年齢集団で合宿させていると聞くとそれだけで妙に納得して安心した顔をする人がいるが、今の子どもの実態をよく知らないのではないかと思う。とはいえ、小学校二年生の合宿となると、これは明らかに「義姉義兄」と呼べる場面が頻繁に見られる。二年生の合宿には支援する上級生を公募する。応募してきた上級生は六泊七日の通学合宿をする。最後の三日間に二年生が参入してくるのである。昨年十月の班は六年生の女子四名が二年生七名と合宿した。上級生はあらかじめ、二年生と一緒に作る献立で食事を作る。つまり、二年生がやってくる前に、「練習」をしておくのである。この週は秋の遠足が行われた。常ならぬ負荷が一つ増えたことになる。六年生は大事をとってリハーサルと本番、二度の弁当づくりをした。本番では二年生の弁当にだけ隙間が生じた。原因は二年生が自分でオニギリを握ったことにある。そのオニギリは一回り小さかったのである。「練習」までして作った弁当の不具合に六年生はしばしパニック状態になったという。六年生四人は二年生相手に悪戦苦闘した。しか

し、終わってみればそれまで味わったことのない充足感にひたることができたのである。叱り方が強すぎて泣かれてみたり、少し誉めてやると突然元気を出したり、一から十まで指図を乞われて「私は役にたっているんだ」と実感したのである。最後には、「二年生はおもしろい子たちばっかりで、あと一週間ぐらいいっしょに生活体験学校で過ごしたいです。」という具合である。義姉義兄体験の場の設定がもたらす効果は絶大であった。(月刊教育資料「自由席」、正平辰男、東和大学総合教育センター長、教授)

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