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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第110号)

発行日:平成21年2月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 生涯学習事業編成の視点の変化 

2. 司会者の目線-インタビュー・ダイアローグへの抗議

3. 司会者の目線-インタビュー・ダイアローグへの抗議(続き)

4. 子どもに貢献の志、生きる姿勢を教える -教育公害を予防するために-

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

お知らせ  
110号お知らせ:第89回生涯学習フォーラムin宗像
 -「宗像市民学習ネットワーク」事業:生涯学習における「市民力」の活用- 

 日程: 平成21年3月14日(土)
 場所: 宗像ユリックス(宗像市久原400)
 受付の14時以前は宗像ユリックス大ホール(イベントホール)内の展示発表をご自由に見学して下さい。(見学の問い合せ先:市民学習ネットワーク事務局:0940-36-3721)
 
フォーラム会場・受付は「ユリックス2階、会議室2」です。13:00から借りていますので、展示見学の際に、お荷物のある方は「ロッカールーム」としてお使い下さい。
時間:(1) 14:00-15:00「むなかた市民学習ネットワーク」事業発表会見学の感想発表
  (2)15:00-1600 論文発表
 「市民による市民のための生涯学習教授システム(仮題、三浦清一郎)
 16:00-17:00 茶話会(宗像ユリックス内レストラン「葡萄の樹」)
*「むなかた市民学習ネットワーク」事業は、5名集まればクラスが成立する「市民による市民のための教授システム」です。現在100名余の「有志指導者を」を擁し、年間5万人が学んでいます。毎年1回、学習成果の発表会を企画し、今年25周年を迎えます。
 


■■■■■ 編集後記: 愛とホルモン ■■■■■


 「愛とホルモン」はアメリカの刑事ドラマの掛け合いの台詞である。男女の機微を女は「愛」だという。男は「ホルモン」の働きに過ぎないと言う。人間は難しい。男と女はさらに難しい。わが家の犬は森の散歩のあとは満足しておとなしい。ところが何かを嗅ぎ付けたのだろう。ある日の帰り道は気が狂ったかのように何かを追跡し始めた。野うさぎや狸なら森の方に向かう筈であるが道に沿って一直線に突っ走ろうとするのである。ヒート(発情期)にある雌犬のフェロモンに引かれていると考えざるを得ない。かれらにとって「愛」は「ホルモン」なのだろう。
 ホルモンと言えば、素晴らしい朗唱をしていた小学生の女の子たちが突然蚊の鳴くような声しか出さなくなることに遭遇したことがある。一度や二度のことではない。豊津寺子屋でも、Y小学校でも、K小学校でも同じ現象を見た。大体小学校の5年生くらいが分かれ目である。胸が膨らんで来て、初潮が始るころなのだろう。ホルモンが彼女たちを変え、その自意識を変えるのである。それまであれほど親身に下級生の世話をしてくれていたのが、急に遠くを見る目をするようになって、縦集団に加わろうとしなくなるのである。朗唱はしなくなり、歌は歌わなくなり、下級生との踊りも踊らない。発表会の前日のリハーサルでは突然許可もなく集団を離れて「見学」をすると言い出す。指導者が口頭で注意したくらいではてこでも動こうとはしない。あの素直で、生き生き、ハキハキしていた「子ども」が何と難しい「女」に変身したことか!頭や精神が半人前で図体だけ一人前の中高生ならさらに難しい。前号に書いた「援助交際」の「自己決定権」を主張する中学生がその一例であろう。
 遠い学生時代、1年生の筆者に女の講義をしてくれたのは3年生のKさんであった。時々彼は盛り場の「すすきの」から朝帰りをする型破りの先輩でした。北大馬術部の集合は朝の5時半、夏は毎日練習の前に馬たちのための朝の草刈りがある。Kさんにとっては、ドギマギしながらも、固まって耳傾けている筆者が面白かったのだろう。決まってまじめに草を刈っている筆者のとなりに来て「講義」のえじきにする。「すべすべして、温かくて女ほどいいものはない」というところから始って微に入り、細を穿った講義は半分迷惑、半分胸躍るものであった。国家でも、女でも「品格」が論じられる時代に誠に慎みのない直接的な表現で、今は、爺さんになった筆者でも、Kさんの講義の中身を繰り返すことは出来ない。いいか、みうら、「女を思うと勉強なんぞはどうでもよくなる」。「そういうときはまじないを唱える」。「一度でも二度でも声に出して言う」。「美人美人と威張るな美人、美人屁もすりゃ、糞もする」。やがて「胸騒ぎは収まるものだ」。
 他のことはみんな忘れてしまったのにKさんのおまじないは今でも筆者のおまじないである。「女を思うと勉強なんぞはどうでもよくなる」というのは若者のホルモンの問題であろう!一方、「おまじない」を唱えることによって、我に返って現実を直視することができる。女の多面性を想起すれば、若者もホルモンの呼び声を押さえ、冷静さを取戻すことができる。意識は精神の入り口である。朗唱をためらう女子児童もホルモンの怒濤を押さえ難く、揺れているのであろう。彼女たちにおまじないを教えようとすればどのようなものになるだろうか?すでにKさんはこの世にはいない。
 


『編集事務局連絡先』  
(代表) 三浦清一郎 E-mail:  kazenotayori (@) anotherway.jp

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