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風の便り

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「風の便り」(第109号)

発行日:平成21年1月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 新刊あとがき 男女共同参画ノート「変わってしまった女」と「変わりたくない男」 

2. 「自己決定権」の時代-「地域・機能集団」の待たれる時代

3. 「自己決定権」の時代-「地域・機能集団」の待たれる時代(続き)

4. 健やかに生きる―「負荷の原理と方法」

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

新刊あとがき 男女共同参画ノート「変わってしまった女」と「変わりたくない男」

 2008年の執筆が完成しました。出版社の編集長面接も無事に合格いたしました。5月の連休前後に世に出ます。テーマは初めての「男女共同参画」です。あとがきには結論を箇条書きにして列挙しました。本書の構成の概要をご想像いただけると思います。
新しい世界に踏み込む興奮と戦慄を感じています。願わくはまじめに戦って来られた女性のみなさんのご賛同が得られますよう祈るような気持ちです。

 勉強の途中で鹿野政直氏の「現代日本女性史」(有斐閣、2004)を拝読しました。女性解放に貢献した先人の努力も、フェミニズムが展開して来た流れも、数々のすぐれた女性の生き方についても多くを教えられました。まさにアカデミズムの勉強の仕方のモデルを見る思いでした。しかし、同時に、現場の体験を通して、このような学問の成果を紹介するだけでは、地方の社会教育のみなさんには聞いていただけないという実感を強く持ちました。施策の解説やアカデミズムの研究成果の受け売りをやっても、人々の共感は得られないのです。社会教育の現場は、学校教育のように"囚われた学習者(Captive Learner)"は存在せず、教師よりも学習者が主体です。自由な学習者は、自分の問題意識に対応し、自分が感覚的に納得しないものは受け付けません。"研究の結果はこうです"と言っても、"なに言ってやがんだ"と言われれば、その先には行けません。改めて、問題提起も解釈も解説も自分流で行くしかないと覚悟を決めた次第です。本書に集録したものは、地方の勉強会で色々試した中で、聴衆に滲みていったという実感のあるものを取り出して、まとめました。
 実感の確認は講演や講義の後に、"印象に残った言葉がありましたら、理由を添えてお書き下さい"というようなアンケート評価票をお願いしています。提案の方法は最初に結論を言い、理由を説明し、最後にふたたび啖呵を切るように結論を言います。提案が受け入れられれば、"印象に残った言葉一覧"の中に結論が繰り返されて出て来ます。さらに聴衆と担当者が結論と理由付けを評価して下されば、次の「お招き」があるのでさらに嬉しい確認ができます。
 本書の構成は、聴衆に受け入れられた主な結論を各章の主題にしました。舌足らずになりますが、箇条書きにすると次のようになります。


* 何万年にも亘って生産と戦争を男の筋肉に頼った以上、男の支配体制は必然でした。支配体制は「筋肉文化」と総称することが出来ます。

* 男女共同参画(Gender Equality)の意識と運動は、生産と戦争の自動化・機械化の結果、男女の筋肉差が極小になったところから始まりました。

* あらゆる性役割分業は「筋肉文化」が創り出したものであり、「男の勝手」と「男の都合」が歴史を貫徹しています。それが現状の「らしさ」であり、ジェンダーバイアスです。

* 現状のジェンダー・バイアス・フリーを実現しても、男女の違いが存在する限り、必ず新しいジェンダーが生まれます。過去の「らしさ」を全否定するだけでは、新しい未来は生まれません。新しい「らしさ」の摸索を男女共同参画の"後戻り(バックラッシュ)"と勘違いしてはならないのです。

* 男の支配体制が続いた中で、女の上位に坐り、居心地の良い地位を占めた男は、その既得権の故に「変わりたくない」のです。男女共同参画に目覚めた女はすでに「変わってしまった」のです。あらゆる領域で両者の衝突は避けられないでしょう。

* 家事は総じて「些細なこと」です。しかし、男女共同参画が私生活に導入できるか、否かはその「些細な」家事の分担にかかっているのです。家事の一つ一つは些細なことでも、積み重なり、連続すれば、「重大事」になり、やがて「奉仕する側」と「奉仕される側」に分かれるからです。

* 文化の変革には「タイムラッグ」が生じます。筋肉文化も同様で、男女共同参画の理念に照らして、言葉や道徳や法の修正が遅れているのです。

* 「お上」の風土の日本では、男女共同参画もまた上からの改革です。筋肉文化を修正し、男女共同参画を推進するためには、たとえ私生活といえども国家及び地方の権力が介入せざるを得ないのです。この時、男女共同参画の理念に照らして、地方の政治・行政が著しく遅れていることが最大の問題です。

* 農村文化は筋肉文化の凝縮です。結果的に、農村文化は女性を対等に扱いません。それゆえ、多くの農業後継者にお嫁さんは来ないのです。したがって、現状の農業は早晩崩壊します。理由は農村を仕切って来た男性ボスたちが男女共同参画をまったく理解せず、女性蔑視のしきたりと伝統を変革する展望を持たないからです。

* 「変わりたくない男」を育てたのは「母」です。やがて自分が育てた男が女としての母を支配し、女の自由と対立します。それは「母のジレンマ」と呼ぶべきでしょう。

* 嫁と姑の対立の原因は「所有の子育て」にあります。嫁は終生、母の息子に対する「所有」を脅かす侵略者だからです。両者の対立は「家制度を支える思想」と「子宝の風土の子育て慣習」が生み出した宿命的な争いです。

* 男女共同参画社会基本法の時代が来ても、多くの女性は未だにものを言わず、ものを言おうとしません。女性の沈黙の背後には文化の掟があるからです。「秘すれば花、秘せざれば花ならざるなり」こそが日本の表現文化を支配した原理です。控えめは美しく、直接的な自己主張は美しくないのです。「言わぬが花」で、「聞かずもがな」なのです。なかんずく、世間に「ことあげする」女は疎まれるのです。文化を変えるのは容易ではありません。

* DVは実質的に傷害罪です。メディアがDVに沈黙しているのは男たちが仕切っているからです。男の世間は見て見ぬ振りをしているのです。DVを傷害罪にしないのは筋肉文化の最悪の偏見です。

* 家事と育児と介護のアウトソーシングは男女共同参画の基本条件です。家庭機能のアウトソーシングは"冷たい"と言われますが、真の問題はアウトソーシングの「徹底」が不十分であることに尽きるのです。

* 戦後教育は育児にも教育にも失敗しています。子どもは「へなへなの半人前」で、家族の「後顧の憂い」となっています。女性の社会参画が進まず、少子化が止まらない重要な理由の一つは「半人前」に手を焼いていて、次の子どもどころではないからです。

* 子育て支援事業の中身と方法が間違っています。原因は政治と役所の男たちが「養育の社会化」の重要性を理解せず、保育と教育の統合を実行できないからです。結果的に、子どもはへなへなのままで、女性は社会参画が出来ず、少子化は止まらず、福祉のサイクルは崩壊します。

* 地方における「お上」の風土は健在です。「お上」の風土は相変わらず男が仕切っています。役場から変えなければ生涯学習も、地方の男女共同参画も進展しません。

* 高齢者を軟弱化し、最終的に不幸にするのは「安楽余生」論の影響を受けたライフスタイルです。安楽な余生こそが心身の生活習慣病の原因です。結果、医療費と介護費は高騰します。生き残るのは女ですから、女の孤立と孤独も必然です。


 最初の原稿は筆者が編集を務める月刊生涯学習通信「風の便り」と、九州、中国地方で行って来た「生涯学習実践研究フォーラム」に提出したものです。1冊の本にまとめるにあたって、それぞれの課題に関係があると思った参考書を通読し、事実や背景については最小限の必要な補筆修正を行ないました。参考書の大方のものは門外漢にとってあらためて退屈でした。執筆と編集は、やはり、聴衆の受け入れ感覚と自分の実感の通りにやろうと決めました。先行研究者や実践運動家には"叱られるだろうな"、と思うところもいっぱいありますが、覚悟の上で書きました。 "ノート"という副題を付けたのは勉強の途中ですという言い訳です。
 今回の出版もまた、学文社の三原多津夫氏のご理解とご支援によって可能になりました。学文社が赤字を出さなくて済むよう、今後一層、現場感覚を磨き、研究に精進することをお約束して感謝に代えたいと思います。イチロー選手が異郷にあって200本安打を打ち続けている間は、老境に入った筆者も一年に一冊の執筆を心掛け、現場に入って社会教育の担当者と語り、聴衆の中に入って、生涯学習の課題を掘り起こし続けたいと願っております。



 


 

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