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風の便り

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生涯学習通信

「風の便り」(第106号)

発行日:平成20年10月

発行者:「風の便り」編集委員会


1. 「感化論」再考

2. 「感化論」再考(続き)

3. 男社会が目をつぶって来た「傷害罪」

4. 男社会が目をつぶって来た「傷害罪」(続き)

5. MESSAGE TO AND FROM

6. お知らせ&編集後記

お知らせ  
1 第86回生涯学習フォーラムin福岡 
(1) 午前の部:桂川東小学校創立50周年記念発表会
   日程:11/22(土)9:00AM-
   場所:福岡県桂川町立桂川東小学校(0948-65-1200)
   内容:「子どもの生きる力」をどう表現するか―「桂東朗唱組曲」ほか
(2) 午後の部:第86回生涯学習フォーラムin福岡 
   日程:11/22(土)13:30-15:30
   場所:飯恷s穂波公民館(0948-24-7458)

2  第87回生涯学習移動フォーラムin SAGA
(1)日程:12/13(土)-14(日) 
(2)場所:佐賀市勧興公民館「まちの駅」(佐賀市成章町3-18 0952-23-6303)→(移動)→佐賀市富士生涯学習センター(佐賀市富士町古湯2624 0952-58-2882)
(3)参加費:5 0 0 円 (2日間通しでも、1日でも同額です)
◇ 12月13日(土)第1部
10:00 「勧興まちの駅」自由参観
11:15 生涯学習サミット「生涯学習・社会教育の未来を探る」
議長:古市勝也(九州共立大学教授)
登壇者:田部井洋文(佐賀市教育長)、大草秀幸(佐賀県立生涯学習センター館長)、吉木靖範(佐賀県公民館連合会会長)
移動:フォレスタふじ(佐賀市立生涯学習センター)へ
◇ 第2部
14:15総括コメント「勧興まちの駅」の先駆性と今後の課題  森本精造(福岡県飯恷s教育長)
14:45 シンポジューム「学校・家庭・地域の連携を考える」
コーディネーター:大島まな(九州女子短大准教授)
登壇者:永渕 薫(佐賀市立嘉瀬公民館主事)、宮崎幸太郎(佐賀市PTA連合会副会長)、赤田博夫(下関市神田小学校)
16:15 講話「映画とまちおこし(仮)」 西村雄一郎(映画評論家)
18:30 情報交換・交流会   古湯温泉

◇ 12月14日(日)第3部
9:30 インタビュー・ダイアローグ「教育はどこへ行くのか」
進行:三浦清一郎(「風の便り」編集長)
登壇者:横尾俊彦(多久市長)、古賀桃子(ふくおかNPOセンター理事長)、橋詰 空(佐賀市青年会議所理事長)、秋山千潮(佐賀市立勧興公民館館長)
11:10 総括-「佐賀フォーラムは何のために何を論じたのか? 三浦清一郎
申し込み/問い合せ
佐賀県立生涯学習センター 「生涯学習フォーラム係」、0952-26-0011 E-mail: avance@manabisaga.jp
〒840-0815佐賀市天神3丁目2?11

3  第88回生涯学習フォーラムin岡山(案)
◆趣 旨:学校・家庭・地域社会の連携・協力を推進し、社会全体で教育力の向上に取り組むための方策を考える。
◆期 日:平成21年1月25日(日)〜26日(月)(前号で土-日と日程をお知らせ致しましたが、こちらが正しい日程です。お詫びして訂正します。)
◆会 場:1月25日(日) 岡山県生涯学習センター 大研修室
       1月26日(月) 岡山市立岡輝中学校、岡山市立清輝小学校、岡山市立岡南小学校
◆プログラム
◎ 1月25日(日)
1 シニアスクール生の発表(コンサート)
2 実践発表
 テーマ「学校の教育力、地域社会の教育力」(仮)
発表者 @保小連携の必要性     (大山町:佐藤康隆先生)
  Aこうこうネットワーク   (瀬戸内市:邑久町公民館)
  ※高等学校と公民館が相互の教育力を活用している事例
  B教育支援コーディネーターの取組(雲南市:コーディネーター)
3 インタビュー・ダイアローグ
 テーマ「学校と地域社会はいかに連携・融合できるか」(仮)
 司会  三浦 清一郎 
 登壇者 森本 精造 (飯塚市教育長)
      土江 博昭 (雲南市教育長)
      森谷 正孝 (岡輝中学校長)
      藤井 敏明 (シニアスクール)
4 論文発表 三浦 清一郎 
5 シニアスクール見学
1月26日(月)
登校・授業などシニアスクール参観
意見交換
閉校(場所:岡輝中学校、清輝小学校、岡南小学校)

4 第4回人づくり・地域づくりフォーラムin山口
 日時:平成21年2月14?15日(土?日)
 場所:山口市秋穂 セミナーパーク
5 第89回生涯学習フォーラムin宗像:
 日程: 平成21年3月14日(土)
 場所: 宗像ユリックス
 内容: 「むなかた市民学習ネットワーク」事業発表会見学と論文発表
 


■■■■■ 編集後記: 「山頭火フォーラム」 ■■■■■

 山口県生涯学習センターの地域寺子屋ゼミナールにご参加の重村太次さんは小郡俳句同好会の会長さんでもあります。10/4はその重村さんが関わった第17回全国山頭火フォーラムでした。畑違いの領域でしたが、個人的な興味と重村さんの応援を兼ねて山口へ出かけました。
 子ども俳句の表彰があり、続いて講演とシンポジュームがありました。講演者は梅光学院大学の北川徹さん、シンポジストは、山頭火の研究家や中原中也の研究者でした。以下は筆者の印象記です。
俳句は一行詩 俳句は一行詩であるという考え方があることを知りました。しかし、詩と言ってもたったの一行では、一般詩の独立性はもちようがありません。一行詩の論理が自己完結する筈はなかったのです。それゆえ、俳句には多くのまえがきがあるというのです。一般の詩にまえがきがあることは稀でしょう。北川さんは、俳句のまえがきは、俳句における論理の独立性が脆弱であることの象徴である、と指摘されました。翻ってその「脆弱性」こそが読者の想像力と解釈の自由性を育む俳句の魅力だというのです。なるほど、ですね。むかし読んだ萩原朔太郎の「郷愁の詩人与謝蕪村」を思い出しました。
665調の特性 名句「分け入っても 分け入っても 青い山」は665調だという指摘も新鮮でした。「歩いても歩いても青い山」ではだめだというのです。「分け入っても」を重ねたことによって句の音象性(オノマトピア)が増すのだというのです。もちろん、「分け入る」ことも「青い山」も象徴と比喩を用いているということです。山頭火の時代はすでにボードレールやベルレーヌの象徴詩論を知っていたということでした。同郷の詩人には擬音を多用し、音楽性を強調した「耳の詩人」がいました。いわずと知れた中原中也です。山頭火は中原家にずいぶんお世話になったということでしたが、同時代を生き、同郷でありながら生前の二人が会うことはなかったそうです。しかしながら、作品のもつ音楽性から、どちらかがどちらかを意識していたことは間違いないのではないか、というシンポジストのご意見でした。
 解説して頂いた665調の「型」にはめ、象徴の意図を表に出した筆者の施策です。「恋しくても 恋しくても 天高く」とか、「ただひたすら ただひたすら 木の葉散る」というようになりました。なるほど音の美しい一行詩が整います。
山頭火の童謡性 「あざみあざやかあさのあめあがり」。「あ」を重ねた音の効果をねらっているというのです。「あるけばカッコウ、いそげばカッコウ」。歩くスピードにカッコウの鳴き声を重ねているというのです。山頭火の句からは音が聞こえてくるというのです。「雨だれも歳をとった」と歌い、「月が丸くて恋のフクロウ」と歌います。月夜の森の奥からほうほうと声が聞こえて来そうです。北川さんは山頭火の句の多くに「世間的な意味」が希薄であることに気づきました。「もりもりもり上がる雲へあるく」や「てふてふ ひらひら 甍をこえた」などです。
「かるかやへ かるかやが ゆれている」という句に人の世のどんな意味が込められているでしょうか?北川さんはそこに「童謡」との共通性を見、「童謡詩人」山頭火を見ると指摘したのです。帰宅して句集を開いてみたら、「呼びかけられて振りかえったが落ち葉林」とか「身のまわりはくさだらけみんな咲いてる」など、なるほど童謡かもしれないと思う句がありました。いい一日になりました。


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(代表) 三浦清一郎 E-mail:  kazenotayori (@) anotherway.jp

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