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(第62回生涯学習フォーラム 参加論文)

「豊津寺子屋」に見る「子どもの居場所」の総合評価
−行政の評価、保護者の願い、女性の視点、子どもの思い−

平成17年12月17日(土)

三浦清一郎

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分析者の結論

  以下は2005年豊津寺子屋2学期を終了するにあたって行政・学校/保護者/子どもの3者による活動評価の分析である。分析者の結論は次の通りである。

1  行政及び学校幹部による評価は基本的に思弁的であり、現場の実態を踏まえてのものではない。それゆえ、評価の大部分は主観的な印象に基づく「世論調査」の域を出ず、政策提言と言う意味では全く正確さに欠けている。事実、担当課長および町長以外はほとんど全く現場の事情を知らない。それでも各人の経験の範囲内で、推察と想像によって回答書を提出した人々の意識は変わり始めていると理解すべきであろう。彼らの意識が変われば、行政のあり方が変わる。なぜなら、終始一貫本事業を黙殺し、関心を持たず、協力もしなかった幹部は今や少数派になった。彼らは役場内担当者の丁重な懇願にもかかわらず調査票の提出すらしていない。「寺子屋」はようやくロジャースのいわゆる「初期多数派」(全体の約34%)を獲得したに過ぎない。「抵抗勢力」はどこにでも存在するのである。

2  「豊津寺子屋」は複合課題に対する総合政策的処方である。目的は「子どもの居場所の確保」と「子どもの教育の補完」と「熟年の活力増進」と「女性の社会参画」と「コミュニティ・スクールの創造」と「財政難への対策」を含んでいる。それゆえ、役場内の連携、異分野間の共同が不可欠である。実行委員会との連携を含めて、最低限、首長の発想の中には「多部局協働」の政策意識はあったが、「縦割り」の壁を越えた実際上の協力はほとんど実現していない。総合政策の実行を阻む最大の壁は行政の「縦割り」であり、それを保守する役人の固い「なわばり意識」である。かつて時代をリードし、システムや事業の革新を先駆した役人が、今や、変化の早さについて行けない時代に突入しているのである。特に、「放課後児童健全育成事業」と学校との関係を見る時、昨今、国の論議の的になった「教育委員会の廃止」は実際に必要な時代になっているのである。

3  保護者は「正直」であり、「現実的」であり、時に「勝手」ですらある。夏休みに1日10時間、しかも100円で、「寺子屋」に子どもを放り投げて、自分達はやりたいことを自由にしているという批判がある。ものは言い様であるが、それで良いのである。子どもも育てたいし、男と同じように仕事もし、自由な活動もしたいのである。それが人間の常であり、消費者の選択である。保護者の「寺子屋」に対する評価はどの視点から見ても高い。社会が「養育」を引き受けるということは親がいなくても子が育つ仕組みだからである。結果的に、「寺子屋」は保護者の子育ての「手抜き」を助長している。男女共同参画の反対論者はその点を批判し、子育てとしつけは家庭の責任である、といい続けている。
  しかし、女性の就労と男性と対等の社会貢献を奨励するのであれば、家庭の最大の責務である子育てはその大部分を社会が引き受けなければならない。まして、女性にもっと子どもを生むことを要請し、「少子化」を止めなければならないと訴えるのであれば、「養育の社会化」政策は必然である。寺子屋に対する保護者、特に母親の圧倒的な支持は女性が「正直に」、「現実的に」、時には、「わがままな自由」を行使するために「養育の社会化」を支持しているということである。

4  多様な先生方の慈しみと指導の中で子どもは健やかに育っている
  多様な先生方の慈しみと指導の中で子どもは健やかに育っている。子どもは「寺子屋」を楽しみに待っている。子どもは沢山のことを体得し、これまで「できなかったこと」が「できるようになっている」。子どもは体得した事柄を保護者にとくとくと報告している。結果的に、親子の会話も相互理解も深まっている。指導の基本を間違えない限り、「寺子屋」を通して、子どもの体力も耐性も向上する。それがあらゆる「学び」の土台であり、基礎である。
  先生方と保護者の交流も少しづつ深化している。日本文化は礼儀正しい。保護者は必ず指導者に御礼と感謝を忘れない。そこから熟年指導者との交流の機会も、さらには熟年指導者の活力も生まれて行く。

I  行政及び学校幹部による評価                              
  評価は高いが、「温度差」がいちじるしい

  今回は「寺子屋事業」の背景、考え方、現状を説明した上で行政幹部および学校幹部の意見をお尋ねした。多くの幹部は寺子屋の活動現場を実際に見ていない。そのため回答の多くは幹部の寺子屋に対する理念的理解に限定されると考えるべきであろう。
  結果的に、保護者の評価とは大いに異なり、意見も、評価も極めて積極的なものから消極的なものまで多様に分かれ、「温度差」は大きかった。

1  幹部は何よりも「地域の活力」を重視している
  世代間の文化伝達を重視し、「寺子屋」の指導に熟年指導者が関わっていることへの高い評価が見られた。「伝えるべきことが伝わっている」事への評価、「関係者への負担が大きいにも関わらず協力が得られていること」への評価、「人々の交流が促進されたこと」への評価、「指導者自身の健康・活力が向上したこと」への評価などが主な視点であった。

2  子どもの「安全」と「教育」は行政の課題である
  安全も教育も行政の課題である。「寺子屋」は少年を巡る「安全と教育」という二つの目的を同時に実現している。あいさつなどの「社会性」も向上している。集団生活に適応して行くようになれば、必ず成果は出る、という指摘もあった。プログラムの中身から想定して子どもが「がまん強くなること」も想定できる。「子どもが変わって来ている」ことが最大の成果である、という意見もあった。

3  「子育ての支援」は「女性の支援」に繋がる
  実際問題として、日本の現実における男女共同参画はいまだ建て前に過ぎないところが多い。最大の例が子育てである。現状の子育ての負担の大部分は女性に負わされている。それゆえ、社会が行なう子育ての支援は女性の支援に直結する。行政幹部の「寺子屋」に対する評価は子どもの「安全」と「成長」と女性の「就労支援」と「子育て負担の軽減」に集中している。

4  熟年指導者の参画についての評価
  調査票が設定した「選択肢」の影響もあって、熟年指導者の寺子屋事業への参画の評価は「成果の当事者還元」論が多かった。それは本人の「生き甲斐・やりがい」論から高齢者の「交流促進・孤立の防止」論、活動を通した「健康の増進」論に及んでいる。
  事業の全体を見る立場にある行政のトップの方々は熟年指導者がいなければ事業そのものが成立しないことを見抜いていてさすがに感謝の言葉を忘れてはいない。

5  「学校の開放は正しかった」か?
  寺子屋事業の拠点を「学校」にしたことについては、一般行政幹部と学校幹部の意見が対照的に分かれた。行政幹部の答は一人の無回答を除いて全員が「学校の開放は正しかった」と答えた。これに対して学校の幹部は「学校以外の場所を使う」、「できれば学校以外の場所で」、「学校の事情で開放できない施設がある」、「町行政の中に学童保育を明確に位置付けるべき」などの意見であった。
  行政側の意見の中には「学校開放は世界の常識」と指摘するものがあり、「学校の開放」が財源の節約に繋がっているという視点が多く見られた。学校側の意見には、現在行われている学校開放事業との利用調整をしなくて済むように、隣接の施設を使うべきだという指摘もあった。しかし、利用調整が必要になるのはどの施設でも同じである。また、参加児童数が増加した場合、学校以外の施設では収容が不可能になることは目に見えている。学校は「コミュニティの学校」にはなっていず、なろうという意識も、努力も見られない。

6  現行の「寺子屋」の運営方法は「財源の節約に寄与している」
  学校幹部は一人を除いて設問への回答を遠慮された。行政職員は全員が「寺子屋」は「財源の節約に寄与」と回答した。行政職員にとって子どもの「安全」と「女性の支援」は当然果たすべき行政サービスの範囲である。行政にとっては様々な施設の保守管理も仕事の内である。あらゆるサービスには「ひと・もの・かね」を伴う。学校にはその視点が欠落しているのですべての意見に視点の違いが出るのであろう。
  「寺子屋」は学校を活用している。したがって、日常行なっている学校の保守点検の範囲内で子ども達の活動を保障できる。学校を使わない場合には、子どもの移動の安全から使用施設の保守管理にいたるまですべて新しい仕事として取り組まなければならない。しかも、「寺子屋」の指導者は熟年を中心としたボランティアである。教員と同じような膨大な人件費の必要はない。たった一人の教員の人件費(例えば年間600万円)は豊津寺子屋の年間事業費のほぼ総額に匹敵するのである。しかも、寺子屋は通常の学期中は月?金まで毎日、夏休みは土日とお盆を除く毎日の実施である。指導を担当する指導者ご自身は活動を通して自らの健康や活力を保持・存続している。それはかならず医療費や介護費の節約に繋がる。少しでも想像力を働かせれば、寺子屋が「財源の節約」に寄与していないはずはないのである。

7  行政内部の部局間連携はできていない
  回答者の全員が認めるところ行政の縦割りは打破できていない。部局間連携は難しい。「寺子屋」は複合的事業である。単独の部局では取り組みが難しい。子どもの支援も女性の支援も、高齢者の活躍の場の創造も含んでいる。また、拠点を学校に置くことによって、子どもの移動を軽減し、安全を確保し、プログラムの形態を豊富化し、財源を節約している。学校は公共施設である。法律でも学校施設の活用を謳っている。その学校が閉鎖的で「セクト化」し、最も「連携」から遠いのである。「養育の社会化」を契機に学校を「コミュニティスクール」に変革しなければならないのは自明であろう。ようやく、国も「教育委員会」の改廃を自治体に任せるべきである、という議論を始めた。現在の学校は、子どもの教育でも地域への貢献でもその責務と役割を十分に果していないのである。「教育委員会」の廃止もまた一つの見識である。
  「寺子屋」が目指している一つ一つの課題はそれぞれ異なった行政部局の担当である。高齢者の健康は「高齢福祉課」の担当である。小学生の放課後の安全は児童福祉部門の担当である。同じ小学生でも地域での教育プログラムは主として教育委員会の担当である。学校の管理は同じ教育委員会でも施設課の担当である。女性の支援は女性政策課の担当である。これらの仕事のやり方はすべて「専門的」であり、「ばらばら」である。縦割りのシステムの中で「連携」は一番難しいが、「寺子屋」の類いの事業は行政部局間の「連携」なしには達成出来ない。首長の柔軟な想像力と強力なリーダーシップが不可欠になるのはそのためである。

8  「善意」には限界がある
  行政の幹部アンケートの中に一つの助言があった。「寺子屋」運営の核心を突いた助言であった。「寺子屋」の指導者はボランティアである。ボランティアで組織を維持・継続して行くことはどうしても人々に負担を強いる事が避けられない。だからこそ『人の善意にはおのずから限界がある』事を忘れるな、とあった。人々の善意がプログラムを支えてくれている以上、『その方々に報いる物心両面の配慮が必要である』。それこそが「寺子屋」制度を定着させる最優先の課題である。まさに「名言」であった。その意味では学校関係者も、行政関係者の多くも未だろくに「現場」を見てはいない。もちろん、高齢者の「有志指導者」の労もねぎらってはいない。保護者もアンケートの中では様々な感謝の言葉を述べているが、それぞれに多忙な日常の中で、実際に高齢者に頭を下げる機会はそれほど多くはない。学期ごとの発表会を工夫しているが、すべての保護者が発表会に足を運んで「有志指導者」に御礼を申し上げるわけでもない。文部科学省の補助金を活用して、「寺子屋」は辛うじて指導に対する「費用弁償」制度は確立している。しかし、現段階では、すべての「有志指導者」に十分な活躍の「場」を準備できているわけではない。「有志指導者」の表彰制度は作ったが1年に1回だけのささやかな制度に過ぎない。高齢者にはもっと頻度の多い感謝や応援のシステムづくりが必要であろう。

  
II  保護者による評価                                     

「寺子屋」は役立っているか?
  2年目の実践に入って寺子屋は本格的に保護者の評価を問うた。以下はその要約と分析である。結論は「寺子屋」は何としても存続すべきである、というところに落ち着いた。それぞれの家族は様々な問題に当面している。それゆえ、様々な意識と視点で寺子屋を見ている。しかし、視点や意識の相違にかかわらず、寺子屋への評価は予想以上に高かった。子育て支援の「モデル」として、教育の視点からも、保育の視点からも、家族や地域の人間交流の視点からも、子どもの幸せや楽しみの視点からも、安全や就労支援の視点からも合格であった。

1  様々な子どもへの期待、それぞれの心配
  親の希望も、親の気掛かりも現象的にはさまざまである。しかし、基本となる「根っ子」は共通している。共通項は「体力」と「耐性」である。寺子屋の教育効果のアンケート調査にそれがはっきりと現れた。

  (1)  診断も処方も間違っていない
   現代の子どもは心身ともに「へなへな」である。子宝の風土の家庭は基本的に「過保護」であり、学校は「へなへな」の子どもに適切に対処できていない。「体力」と「耐性」を重視し、その上で社会生活の基本を「体得」させようとしている寺子屋の指導方針は間違っていない。カギは「行動耐性」と「欲求不満耐性」の二つである。

  (2) 保護者の評価は、圧倒的に「体力」、「がまん強さ」、「意欲・積極性」の向上に集中している。集団生活への適応も、表現力も、友だち付き合いも、思いやりもすべて体力、気力、がまん強さを土台にして成り立っているのだから当然であろう。

  (3)  調査結果の要約

   *『辛い条件に耐えてがまん強くなった』
   *『泣き虫癖』がでなくなった
   *『多様な視点で集団生活に慣れ始めている』
   *『思いやりとがまん」の両方を獲得
   *『体力』の向上
   *『病気をしなくなった』
   *『お友達が出来て、積極的になった』
   *『集中できるようになった』
   *『あきらめない意欲が出てきた』
   *『チャレンジ精神が身についた』
   *『表現力が上がっている』
   *『よく食べ、よく眠り、体力がつき、病院へ行かなくなった』
   *『最大の変化は集中力と意欲』
   *『食欲、半袖、風邪も引かない』
   *『上級生はリーダーになって自信がついた』


2  子ども達の楽しみは「機能快」と「交流」

  (1)  子どもの圧倒的な楽しみは『機能快』である

  保護者はほとんど異口同音に子どもが「できるようになったこと」を家庭で報告すると指摘している。『機能快』とはできる喜びである。「出来ないことが出来るようになる」、「少ししか出来なかったことが上手に出来るようになる」、「やったことのないことをしてみた」、「知らなかったことを親に話して聞かせることが出来るようになる」。これらはすべて子どもの機能快である。子どもは縄跳びが出来るようになり、俳句カルタを空で全部言えるようになり、英語も少しは言えるようになり、自分のハンケチを染め上げ、わら細工の飾りを褒められ、花を活け、学校の外の友だちが知らないことも知っているのは機能快である。これらは楽しいことであり、喜びであり、誇りであり、自信である。だから毎日親に話して聞かせるのである。結果的に家族の交流も、コミュニケーションも格段に深化している筈である。言葉も使えるようになって行くはずである。そして子どもの進化を保護者が認めて褒めてくれれば更に子どもの意欲と自信は深まる筈である。『機能快』こそが「体得」の最大の贈り物である。それらは言葉や理屈では達成できない。ひたすら身をもって体験し、自ら反復練習を繰り返さなければならない。『学校では習えないことを習っている』という保護者の感想は間違っていないのである。

  (2)  子どもの副次的な喜びは友だち付き合いの深化である

  寺子屋では、子ども達が「体得」の指導を通して「同じ釜の飯」を食っている。1年から6年までの異年齢集団の活動であるため、体得の足並みは揃わない。下級生は背伸びをしてがんばる。上級生は足踏みをして待っている場合も多い。その間、お互いがお互いを支えあっている。そこから友だちの付き合いが深まって行くのである。子ども達は保護者に「寺子屋」の友だちの事を沢山語っている。"近所"を越えて他の地区の子どもとも親しくなっている。年下の子どもの面倒もよく見るようになる。『外で出会っても?チャンと呼び合ってうれしそうである』。とにかく「寺子屋」は「たのしい」のである。

  (3)  調査結果の要約

   *『「記憶力」のすばらしさはおどろきです』
   *『子どもは寺子屋で習ったことを実践しています』
   *『仲間はみんな良い関係のようですね。他の子ももっと寺子屋に参加すればいじめなんかなくなるのに・・・・。』
   *『友だちと協力してやりとげている』
   *『異学年のお友達が出来た。外であった時に呼び合うので分ります』
   *『寺子屋に慣れて楽しいようです』
   *『低学年の子どもに手を貸している』
   *『年下の子どもともよく遊ぶようになった』
   *『お友達と外で遊ぶ』
   *『他人との関わり方をそれなりにこなしている』
   *『人を気づかうことができるようになった』
   *『友だちにやさしくできる』
3  家族は「安心」と「自由」を、女性は「就労の可能性」を獲得した

女性政策の視点から見た寺子屋の意義は、「育児支援機能」と「就労支援機能」に2分される。

  (1)  寺子屋がなければ、離職か、転職か、転居を選ばねばならない

  寺子屋は「養育の社会化」を目指している。学童期の育児と教育を社会が引き受けるという意味である。したがって、寺子屋の機能を「保教育」と呼んだ。保育も教育も同時に行なうという意味である。学童期の子どもを家に残して仕事には行けない。子育て支援が「教育」しか出来ないのでは親は家を空けることは出来ない。もちろん、子どもが健やかに成長を続けていなければ、保護者は何も手につかない。現代の保育には成長と発達の保障は出来ない。それゆえ、学童保育のように子どもを預かるだけでは親の安心は確立できない。子どもの安全と健全育成が同時に達成された時、はじめて女性の就労が可能になるのである。

  (2)  放課後も、休暇中も、元気に成長している子どもを見れば「安心」である

  教科教育は学校に任せるとして、社会生活の予行演習は今の家庭にも、学校にもほとんど出来ていない。子どもの心身が「へなへな」なのはそのためである。寺子屋は「保教育」の中身と方法を変革して、保護者の「安心」と「自由」を保障している。子どもは楽しく友だちと遊び、心身の力と気合いとがまん強さを鍛えている。意欲も、集中も、思いやりも、協力も出来るようになって行く。子育ての役割が女性に集中している現状は不幸であるが事実は事実である。それゆえ、寺子屋のプログラムは女性の働く時間に合わせている。そこから女性の就労が可能になるのである。

  (3)  調査結果の要約

    *『家族は寺子屋を通して様々な人々に出会っている』
    *『子どもは集団生活に適応している』
    *『元気で、やる気で丈夫になっている』
    *『家事の時間が十分にとれる』
    *『めだって子どもが成長している』
    *『ひとりで留守番はさせられない』
    *『通学路ですら危険な世の中になった』
    *『仕事を持っている女も安心できる』
    *『自分が不在の時でも子どもは学び、成長する』
    *『子どもだけを家にはおけない』
    *『集団の中で生きてゆけるようになった』
    *『多くの子どもの味方に囲まれて子どもは安全です』
    *『安心しているのは女性だけではないのです』
    *『寺子屋は子どもの安全、地域でも多くの先生を持つようになり安全性が一段と増した』
    *『助かっています。ないと困ります。』
    *『家族の付き合いも広がっています』
    *『子どもも安心、仕事安心』
    *『寺子屋がなかったら引っ越すところでした』
    *『土曜日は保育園の「学童」を利用しています』
    *『安心と安全、育児を助けてもらっています』
    *『きょうだいがない子どもには大事です』
    *『おかげで仕事が出来ます』
    *『寺子屋がなければ辞職か、転職です』
    *『寺子屋にいるというだけで安心』
    *『お迎えに行くまで待っていることが安全の保障です』


4  「有志指導者」への「感謝と共感と賞讃」

  保護者は「学校で教わらないことを教えてもらう」と書いている。「親が出来ないこと」も教えていただいている、と書いている。「指導の巾が広いこと」に感心している。有志指導者の一生懸命な指導に頭が下がると御礼と感謝の言葉が並んでいる。「叱るべき時は叱って」と価値の指導を願っている。何より子どもがなついて、喜んでいる。

5  様々な存続理由

  住民の声を政治は果たして何と聞くか?拠点施設の学校は何と聞くか?そして指導にあたった「有志指導者」は何と聞くであろうか?

  *『安全』と『人間としての経験』の視点から存続すべきである
  *『体験の継続は現代の教育にはない』
  *『異年齢、異学年との交流はない』
  *『料金を上げても存続して』
  *『共働きと子どもの安全を考えて!』
  *『子どもはいろいろな経験が出来て幸せ』
  *『核家族化が進むなかで世代間の伝達は重要』
  *『なにより子どもが気に入っている』
  *『家族のコミュニケーションも、地域のコミュニケーションも、安全も、子どもの楽しみも切らないで!』
  *『寺子屋を通して子どもは地域につながっています』
  *『仕事のためにも、子どものためにも大事です』
  *『共働きの実態に対処し、子どもの安全、教育の向上のためにも是非!』
  *『他市町の人は「羨ましい」といっています』
  *『なくなったら大変困ります』
  *『横のつながりができる、安心して働ける』
  *『学童とは違い、子どもの体験の質が豊富です』
  * 『なんども"たのしい"というのです』


III  子どもによる評価                                      

「がんばったこと」もある、「できるようになったこと」もある、「友だちも増えた」、寺子屋は「楽しくて、うれしい」。

1  「頑張ったこと」は中々一つに絞れない

  子どもの意見、特に下級生が調査票に答えるのは主として「単語」のみである。叙述や説明はほとんどない。分析者が想像力を働かせねばならない。
問1は「一番頑張ったこと」を「一つだけ」書いてみて、と頼んだ。

  (1)  頑張ったことは分散している

  俳句を頑張った人もいる。ロープワークを頑張った子どももいる。もちろん、今回導入した「英語」や「論語かるた」や「雨にも負けずの手話」を頑張った子どももいる。

  (2)  「頑張ったこと」は中々一つに絞れない

  「ひとつだけ」と書いてあっても沢山の頑張ったことが列挙してある。「ひとつだけ」の文意を見落とした場合もあるだろうが、正直、色々頑張ったので、中々一つに絞れないということもあるだろう。二つ以上書いた子どもが沢山いた。

2  驚くべき「吸収力」

  問2は新たに「できるようになったこと」を尋ねている。答の大部分は新規に導入したプログラムに集中している。もちろん、「できるようになったこと」は、問6で尋ねた「お父さん、お母さんに自慢できること」と重なっている。
  まさに驚くべきは、子どもの驚くべき「吸収力」である。子ども達が新たに「できるようになったこと」は回答数の順に並べると以下のようになる。
 
   (1)  「論語カルタ」
   (2)  「雨にも負けず」の英訳の暗唱
   (3)  同上     の手話
   (4)  お手玉作り、においぶくろ(ぬいもの)
   (5)  ロープワーク
   (6)  なわとび/大縄跳び
       (うしろとび、あやとびなど、また、回数も特記して進歩の度合いを誇っている)
   (7)  お手紙書き
   (8)  ドッジビー(ドッジボールとフリスビーを組み合わせたあそび)

  その他変わったところでは「モップ掛け」ができるようになったり、「友だちが沢山できた」というものもあった。

3  「楽しかったこと」は?

  問3は楽しかったことを尋ねた。沢山の答が並んだ。子どもの楽しみはプログラムが作る。寺子屋の「命」はプログラムである。教育力の具体的条件もプログラムである。

   (1)  「みんなでやったこと」、「みんなであそんだこと」
        「トランプ、かるた、むかしあそび」、「フットサル」、「ドッチビー」
   (2)  初めての体験・・「いもほり」、「料理」
   (3)  自分の作品が残ったこと・・「ぬいもの」、「紙てっぽう」
   (4)  「楽しかったこと」は「できるようになったこと」
        「なわとび」、「お手玉」、「おりがみ」

4  「むずかしかったこと」は新しい挑戦

  (1)  「難しかったこと」の代表は「英語」である

  難しかったことは圧倒的に「英語」であった。実行委員会が子ども達に課した新しい挑戦は英語である。子どもは音も、語も、意味も、実際に英語を話す人も知らない。難しいのは当然であろう。しかし、誉めてもらいたい一心で挑戦しているのであろう。

  (2)  「むずかしいこと」の2番目以下は各種プログラムに分散した。それぞれの苦手種目が選ばれたようである。たとえば、「なわとび」、「手話」、「におい袋」、「ロープワーク」等が続いている。当然、学年によって「たのしいこと」も「むずかしいこと」もちがってくる。

5  「ほめられたこと」も「しかられたこと」も覚えている

  問5は「ほめられたこと」と「しかられたこと」を尋ねている。子ども達はどちらもはっきりと覚えていてきちんと答えている。

  (1)  「嬉しかったこと」は「覚えている」

  子どもは正直である。褒められて嬉しかったことは覚えている。先生方にとってはご自分が指導した結果が子どもに現れれば当然嬉しいことであろう。それゆえ、「誉め易い」のも「できるようになったこと」である。かくして、子どもの上達が賞讃の対象になるのは当然の結果であった。しかも、寺子屋はプログラムが多様である。その分だけ、子ども達が「ほめられたこと」も千差万別である。
  先生方は毎日交替される。それゆえ、プログラムも「日替わり」である。それぞれの先生方は、期せずして、多様な視点、複眼の視点で子どもを見て下さる結果になっている。多くの指導者がそれぞれの領域ごとに、それぞれに頑張って上達した子どもを誉めて下さっている。「できるようになったこと」に焦点をあてれば、誰もがどこかで誉めてもらっているに違いない。「褒められたこと」の「千差万別」はそこから来ている。寺子屋の最大の強みは沢山の教師陣であり、様々な評価尺度が同時に存在していることである。もちろん、稀にではあるが、「責任の遂行」、「義務の履行」についてなど、子どもの責任感、協調性、積極性、心配りなど規範や道徳性の観点から注目して誉めていただいている場合もあり、子どもは胸を張って特記している。

  (2)  最大の「叱られ項目」は「私語」である

  一方、「叱られたこと」は主として「私語」であり、「さぼり」であり、「ルール違反」である。子どもの集中力、持続力はまだまだである。子どもは「叱られたこと」をしっかりと記憶している。子どもの記憶を通して、先生方のご指導は、寺子屋における規範の確立や基本的生活習慣のトレーニングとして確かに機能している。

6  家族に「自慢」できるものは「上達」の証拠である

  問6は「お父さん、お母さんに自慢できるものはなんですか?」と尋ねている。

  (1)  自慢できるものは上達の結果である。

  具体的には「雨にも負けずを早く暗唱できた」、「縄跳び」、「お手玉」、「ロープワーク」、「手話」、「読み聞かせ」、「論語カルタ」、「折り紙」等と続く。子どもの楽しみも、達成感も「機能快」の結果である。それゆえ、「できるようになったこと」と「楽しかったこと」と「自慢できること」は多くの項目において一致している。

  (2)  先生方の「観点」が子どもの誇りに直結している

  珍しかったのは「後かたづけをきちんとやった」、「静かに宿題をやった」などというのがあった。どこかで先生方に誉めていただいたに違いない。先生方の指導の「観点」が間違いなく子どもの誇りに直結しているのである。


7  先生方への「たより」は未だ書けない

  問の7は「先生方にお便りを書きましょう」である。当日、ついていた「寺子屋主事」あるいは先生のご指導があったのであろうか?文面の大部分は御礼の文言であった。もっと自由に書かせてみたいものだが子ども自身の頭の中に「御礼をいわなければ・・」という枠があるのであろう。それはそれで礼儀正しいことであるが、「型通り」の「紋切り型」で面白くはない。

  (1)  御礼は「型」にはまって、紋切り型である

  主文は「いろいろおしえてくれてありがとう」であった。「教えてもらった」中身は沢山のプログラムに分かれる。調査票の記入の際に若干のオリエンテーションが行なわれるとこのような回答になるのであろう。

  (2)  寺子屋の先生が好きなのである

  寺子屋は楽しい、寺子屋の先生が「好き」だとあった。「褒められたこと」は忘れられない。先生方を励ますことも忘れてはいない。
  与えられた課題が「できるようになりました」と報告をしている便りもあった。

  (3)  世代間交流の芽

  「身体に気をつけて!」、「病気しないで頑張って」と「指導者の年齢を自覚した」たよりがあった。先生のお名前を書いて御礼を言っているものもあった。勘のいい子どもは「世代間交流」の意味を分っている。

 

評価票資料1:「行政および学校幹部による評価」
「豊津寺子屋」事業2年間の総括
  (1)「豊津寺子屋」事業を想定した背景は以下の通りです。
  地域社会が当面する課題は、少子化であり、高齢化であり、男女共同参画の条件整備の不十分であり、少年問題の多発であり、財政難であり、最終的には、これらの問題に対処する分業化された現行システムの制度疲労です。これらの諸問題は、同時多発的に発生し、それぞれに絡み合って、地域課題を複合化しています。

  (2)「寺子屋」の事業の具体的目標は以下の通りです。
  「豊津寺子屋」における子育て支援の論理と方法は、第1に、子どもの居場所にプログラムを付加して「青少年の健全育成」を果たし、第2に、子どもの指導を通して「高齢者の活力」を引き出し、第3に、「保育」と「教育」を融合して男女共同参画の条件を整備し、第4に学校施設を活用することを通して「コミュニティ・スクール」の実現を図り、最終的に、財政難時代の地域の複合問題に対処する官民協働の「総合的システム」を創造することです。
  住民「有志指導者」のご協力のお陰をもちまして2学期も無事に活動が終わります。この2年間、子ども達、保護者、および指導にあたられた「有志指導者」の様子をご覧になって、行政サービスの視点からご感想、ご意見がありましたらどうぞお聞かせ下さい。

                記入者氏名(          )

1  「寺子屋」がめざしたものは以下のa?lのとおりですが、子どもは学ぶべきものを効果的に学んでいるでしょうか?
  *「寺子屋」がめざしたもの
   a  体力の向上  
   b  友だち仲間や集団生活への適応  
   c  物事への集中力・持続力の向上   
   d  基本的な礼義・作法の習得  
   e  言葉使いや表現力の向上  
   f  家族や友だちに対するやさしい行為や思いやりの態度の実践
   g  気に入らない状況や辛い条件にも耐えられるがまん強さ
   h  義務や役割を果たす責任感
   i   協力する態度
 j   学力の向上
   k  物事に対する意欲や積極性の向上
   l  その他(            )

    a  一番効果が著しいと思われる項目とその理由
     (                           )
    b 二番目に効果があると思われる項目とその理由
     (                           )
    c  特に効果があったとは思えない
2  寺子屋」は子どもの向上と合わせて高齢者の活力の向上を目指しました。そとから観察されて、指導にあたった熟年層はどのような理由からお元気になっているでしょうか?次の項目の中に当てはまるものがありましたら二つ選んでその理由をご説明下さい。

  a  自分が必要とされ、やり甲斐・生き甲斐を見つけることができた。
  b  育児・教育の応援をすることで多くの家族の役に立てていると思う。
  c  多くの保護者、仲間との交流・コミュニケーションが向上した。
  d  子どもの指導を通して自分自身の心身の活力・健康が向上した。
  e  寺子屋の生活指導を通して地域の大切さが分った。
  f  寺子屋指導は自分の家族内のコミュニケーションを深めた。
  g  自分が役立ち、自分の能力を発揮するのは楽しい。
  h  その他(                  )

    a 一番効果が著しいと思われる項目とその理由
     (                              )

    b 二番目に効果があると思われる項目とその理由
     (                              )

    c 特に効果があったとは思えない

3  寺子屋」は子どもの支援を通して女性の支援を目指しています。寺子屋はどのような点で女性のお役に立ち得ているでしょうか?次の項目の中に当てはまるものがありましたら二つ選んでその理由をご説明下さい。

  a  女性の仕事・就労を援助する
  b  育児・教育の応援を得て、家庭教育を補完する
  c  家族、特に女性の自由時間を確保する
  d  放課後や休暇中の子どもの安全を守る
  e  子どもに集団生活の機会を提供する
  f  家族と地域の人々とのコミュニケーションを深める
  g  その他(                  )


    a 一番効果が著しいと思われる項目とその理由
     (                              )

    b 二番目に効果があると思われる項目とその理由
     (                              )

    c 特に効果があったとは思えない


4  学校はコミュニティの学校になり得ているか?

  学校の活用によって「移動の不要」による「子どもの安全」を確保し、子どものために作られた施設を拠点として「活動の多様性」を保障し、合わせて「経費の節減」を図っています。学校を子どもの「居場所」および活動の拠点に設定したことは正しかったでしょうか?次のどちらかに○を付けて、その理由をご説明ください。

a  正しかった

b  学校以外の場所にすべきであった

(1)

(2)


5  「寺子屋」は、第1に、子どもの居場所を確保し、「青少年の健全育成」を果たし、第2に、子どもの指導を通して「高齢者の活力」を引き出し、第3に、「保育」と「教育」を融合して男女共同参画の条件を整備し、第4に学校施設を活用することを通して「コミュニティ・スクール」の実現を図り、第5に住民ボランティアのお力を借りて経費の節減を果たそうとしています。複数の目標を同時に果たすために、当然、「寺子屋」の事業形態は住民との協働や役場内の異分野間連携を必要としています。そこで3つの質問です。

  (1) 「寺子屋」の事業形態は財政節減に寄与しているか?

     a  寄与している(理由:                    )

     b  寄与していない(理由:                   )

  (2) 「寺子屋」の事業を実施する上で役場内の異分野間連携は機能しているか?

     a  機能している(具体例:                   )

     b  機能していない(理由:                   )

  (3)  住民との「協働」は「寺子屋」以外の分野でも今後とも推進されるべきである。

     a  そう思う(理由:                      )

     b  そう思わない(理由:                    )

 


評価票資料2:「保護者による評価」
「豊津寺子屋」2学期?  保護者の評価と意見?

  関係各位のご協力のお陰をもちまして2学期も無事に活動が終わります。この間、子ども達の様子をご覧になって、ご感想、ご意見がありましたらどうぞお聞かせ下さい。

                     記入者氏名(          )

1  子ども達は2学期の寺子屋を楽しんだでしょうか?寺子屋の活動についての子ども達の反応を2?3ご紹介ください。

(1)
                                    
(2)
                                    
(3)

2  寺子屋では異年齢の少年集団を考慮した様々な活動を準備いたしました。日々のご家族の生活の中で、寺子屋活動の教育効果がなんらかの形で見られたでしょうか?次にかかげるのは「寺子屋」が目標とした事項の一覧ですが、これらの中で特にお子さんの進歩が著しいと考えられるものがございましたら2つだけその記号を選び、合わせてどんなところからそう思われるのかその判断理由を教えていただければ幸いでございます。

  「寺子屋」がめざしたもの

  a  体力の向上  
  b  友だち仲間や集団生活への適応  
  c  物事への集中力・持続力の向上   
  d  基本的な礼義・作法の習得  
  e  言葉使いや表現力の向上  
  f  家族や友だちに対するやさしい行為や思いやりの態度の実践
  g  気に入らない状況や辛い条件にも耐えられるがまん強さ
  h  義務や役割を果たす責任感
  i   協力する態度
j   学力の向上
  k  物事に対する意欲や積極性の向上
  l  その他(            )

(1) 一番目立った変化とその判断理由
   記号(   )                          
(2) 二番目に目立った変化とその判断理由
   記号(   )                              

3  「寺子屋」事業は女性の日々の生活にどのように役立っているでしょうか?次の項目は「女性政策」の立ち場で「寺子屋」事業の役割を想定したものですが、あなたの家族に当てはまるものがありましたら2つだけ選んで、その記号を(  )の中にお書き下さい。また、感想や理由があればご自由にお書き下さい。

  a  女性の仕事・就労を援助する
  b  育児・教育の応援を得て、家庭教育を補完する
  c  家族、特に女性の自由時間を確保する
  d  放課後や休暇中の子どもの安全を守る
  e  子どもに集団生活の機会を提供する
  f  家族と地域の人々とのコミュニケーションを深める
  g  その他(                  )

(1) もっとも役立っている事とその判断理由

   記号(   )                          

(2) 二番目に役立っている事とその判断理由

   記号(   )                              

4   親子説明会で申し上げた通り、寺子屋では地域の有志の先生方が様々な分野で指導して下さっています。指導の内容や方法について、ご意見、ご感想がありましたら自由にお書きください。
                                        

5  いよいよ3月には合併が実現します。「寺子屋」事業が継続できるか、否かは政治の決断ですが、保護者の皆様のご意見はいかがでしょうか?次のどちらかにまる印をつけてください。
  a  存続すべきである。
     理由:
  b  存続できなくてもやむを得ない。
     理由:

6  その他「寺子屋」の運営全般についてご意見、ご提案がございましたら御自由にお書き下さい。

 


評価票資料3:「子どもによる評価」
「豊津(とよつ)寺子屋(てらこや)」2学期(がっき)をふりかえって
                       名前(なまえ)_______  _   
1  冬(ふゆ)の学期(がっき)でいちばんがんばったことはなんですか?

2  これまではできなかったけど、2学期(がっき)でできるようになったことはなんですか?2つだけかいてみましょう。

  (1)                           
  (2)                           

3  活動(かつどう)のなかで楽(たの)しかったことはなんですか?いくつかいてもいいですよ!!

4   寺子屋(てらこや)の活動(かつどう)のなかでむずかしかったことはなんですか?
  (1) いちばんむずかしかったこと
  
  (2) 2ばんめにむずかしかったこと

5 「寺子屋(てらこや)」で、先生(せんせい)にほめられたり、しかられたりしたことをおもいだしましょう。おぼえていることがあったら1つだけかいてみましょう。

  (1) ほめられたこと                     

  (2) しかられたこと                     

6  「寺子屋」でおぼえたことで、おとうさん、おかあさんにじまんできることはなんですか?いくつかけるかな?

  (1)                           
  (2)                                    
  (3)                            

7  先生(せんせい)がたにおたよりをかきましょう。

 

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