1 NPO法と新旧2種類の日本人
自分の中に新旧ふたりの日本人がいる。町内会の役員のなり手がいないというので筆者はやむを得ず「防犯部長」の役を引き受ける事になった。そういう自分は「従来の日本人」である。「従来の日本人」は、好むと好まざるとに関わらず、共同体のために働くことは己の義務であると考えている。それは「共益」の分配を受けるための条件だからである。参加の立場は原則として、個人としてよりも、共同体の一員としてである。それゆえ、かならずしも喜んで参加しているわけではない。筆者の場合も、なり手がいないというのでやむを得ず引き受けたのである。従来の日本人は共同体を重んじ、「共益」を分かち合う集団中心の発想を重んじてきた。共同体の発想に逆らってまで、自立した個人として生き抜くためには、世間は厳しすぎ、日本人の主体性は柔すぎたのである。
共同体の集団を束ねて来たのは主として行政である。したがって、多くの共同体は、行政に対して基本的に「従」の姿勢を取る。大部分の町内会行事が行政の下請けになるのはそのためである。社会教育関係団体が行政に依存するのもそのためである。
共同体のメンバーと行政とは必ずしも対等ではない。行政を「お上」と呼び慣わして来たのはその象徴である。「お上」とは、上下関係を明示した用語であることは言うまでもない。
ところが自分の中にもう一人の日本人がいる。ボランティアとして英会話を指導し、生涯学習フォーラムの研究会に参加し、生涯学習通信「風の便り」を編集している自分である。こうした活動はすべて主体的な「選択」である。みずからの興味と関心を出発点としている。活動の責任は自分にあるが、活動への義理や、義務感からは遠い。少なくても活動の出発点においては、みずから「喜んで」、「善かれ」と思って始める。それが主体的な活動の特徴である。そうした活動の選び方をするのが「新しい日本人」である。
2 新しい日本人
新しい日本人はボランティアに代表される。自らの選択と決定は、基本的に既存の組織や共同体とは関係がない。大袈裟に言えば、組織に縛られず、地域に縛られず、時には、国境にも縛られない。出発点は個人であり、参加はあくまでも個人の意思に基づいている。それゆえ、「新しい日本人」は、能動的で、動員されることを嫌う。行政に対しては、対等を主張し、客観的で、距離をおいている。協力するかしないかは、本人次第、行政の姿勢次第である。「新しい日本人」は、自己責任を原則とした「個人」中心の発想を重んじる。それゆえ、「新しい日本人」は、集団に埋没することを嫌い、自分の「選択」を重視する。
個人の中に、新旧2種類の日本人が存在するということは、団体にも、グループ・サークルにも、新旧2種類の日本人がいるということである。生涯学習にも、まちづくりにも、新旧2種類の日本人が存在するのである。どちらのタイプのメンバーが多いかによって、グループの性格が決まる。NPO法が「促進する」としている市民活動の中にも当然、新しいボランティアの動きもあれば、従来からの共同体における相互助け合い発想もある。変化の時代は、様々な活動が錯綜するのは自然なのである。にもかかわらず、NPO法は「新しい日本人」の活動を促進するための法律である。NPO法の初めの発想と呼称が「市民活動促進法」であったということがそのことを象徴している。
3 ボランティア先進国
平成10年3月、日本のNPO法が成立した。施行は同年12月1日である。珍しいことに議員立法であった。この法律の目標は、ボランティア先進国を目指すものである、と議院立法にかかわった熊代氏はその希望をしるしている。(*1)熊代氏によれば、ボランティア先進国とは「やさしさと思いやりに満ちた社会」である。しかし、これまでの共同体も「やさしさと思いやりに満ちた共同体」であったことは多くの人が指摘している。共益を分かち合って生きた、人情味溢れる共同体の相互助け合いを懐かしむ人も多い。その観点から見れば、共同体的人間関係が薄れた都会は人間の"砂漠"であると流行歌にある。
このことはボランティア先進国における「やさしさと思いやりに満ちた社会」と、従来の共同体における「やさしさと思いやりに満ちた社会」とは質的に異なることを暗示している。
(*1) 熊代昭彦編著、日本のNPO法、ぎょうせい、平成10年、まえがき
4 「自治」と「公益」−存在しなかった「市民活動促進」のための法律
近年では、都市を中心に、自主的で、多様な市民活動が徐々に拡大している。しかし、日本社会にはそうした活動を支援する法律は存在しなかった。NPO法は市民活動の内容を限定して、「特定非営利活動促進法」として誕生した。大本の精神は「市民活動」を促進するための法律である。NPO法は、初めて、「法」によって「市民活動」を促進するシステムを具体化した。その目的は「自治」の拡大と「公益」の増進である。活動の「自己責任」が強調されるのは、自治の思想に由来する。また、「不特定多数の人々のための利益」が活動の目標になるのは、「公益」の思想に由来している。「公益」とは、Public
Interest である。市民とは自らの自治によって、公益を支える人々である。
NPOによる活動が盛んである社会とそうでない社会の違いは、文化の中にボランティアや住民自治の思想が強く育まれていた社会とそうでない社会の違いである。日本社会は「お上」に寄り掛かって来た風土である。自治の精神も、ボランティアの精神も希薄である。それゆえ、住民自治の発想は人々から遠いものであった。NPOの考えが横文字なのもうなずけるというものである。「非営利団体」とか「非政府組織」という日本語もなじみが薄い。使われるようになっていまだ日が浅いからである。
もちろん、キリスト教のような「神との約束」に基づく「隣人愛」の思想は広く根付かなかった。日本文化の中では、仏教も、神道も、儒教ですらも、「個人」の主体性を強調するよりは、共同体の共益を強調した。それゆえ、われわれの日常は、ボランティアの精神からも遠いのである。
日本社会の相互の助け合いは、「共同体の義理」として、「報恩」や「共同義務」の観念を基本とした集団管理型のシステムであった。それは言わば「公益」ではなく、「共益」を追求する思想である。共益とはマンションの「共益費」の考え方である。「共益費」には、払うか払わないか選択の余地はほとんどない。払わない限り、共益は分配されない。町内会への参加にも、その共同作業にも、慣習上、選択の自由はない。それはお互いの利益を守るという「大義」のための、共同の義理であり、共同の義務である。参加しない者には、多くの土地で、罰金すら課される慣習が生き続けている。それゆえ、「共益」とは、閉じられたグループ内の相互支援システムの思想である。マンションの共益費がマンションの住人を越えることがないように、町内会の助け合いが、町内の境界を越えることがないのはそのためである。伝統的共同体社会に「市民活動促進」のための法律が存在しなかったのは当然だったのである。
5 「市民」とは誰か?
NPO法は名称の出発点から「市民」と言う用語にこだわる。市民社会と言う時の「市民」とは、思想的な存在であり、思想的な用語である。「そこに住んでいる人」という意味であれば、「住民」でいい。また、自治体の規模によって呼び方を変えるという時は、「都民」、「県民」、「市民」、「町民」、「村民」という。これは「単位別自治体住民」の呼称である。もちろん、市民社会と言う時の「市民」は、単位別自治体住民のことではない。
また、日本社会には「公民」の概念がある。公民館の「公民」概念である。語感から言えば、市民社会と言う時の「市民」は、「公民」に最も近い感覚であるが、日本社会では「公民」概念の使い方を限定してしまっている。「公民」とは、「国政に参与する地位における国民又は旧市町村制度において公務に参与する権利・義務を有した者」(広辞苑)である。したがって、公民権とは、"国会または地方公共団体の議会に関する選挙権・非選挙権を通じて政治に参与する地位・資格"(広辞苑)ということに意味が限定されている。
こうした状況では、「市民」の概念もまさしく混乱せざるを得ないが、NPO法が想定している「市民」は、市民社会と言う時の市民である。広辞苑は、市民社会とは、「自由経済にもとづく法治組織の共同社会」、「その道徳理念は自由、平等、博愛」であると説明している。したがって、市民とは、そのような社会を支える構成員のことである。牛山氏は、「市民」の最重要特徴を「自発性」であると言う。市民の自発性の故に、
"NPOは政府を批判したり、政府と対立したりもする。行政の下請けに終始すれば、新しい社会セクターとしての存在意義はない"、と指摘している(*2)。
日本NPOセンターを立ち上げた山岡義典氏が、村にも「市民」がいて、都民の中にも「市民」はいると言う。注目しているのは主体性と自発性である。それゆえ、山岡氏の「市民活動]の定義は、「市民社会をつくる活動」ということになる。(*3)広辞苑の言う「自由、平等、博愛」の理念を具体化する「市民社会をつくる活動」こそが、NPO法が目指す「公益」につながるという認識である。仙台NPO研究会は、NPO活動の目的は「公益」の増進であるが、「公益」という用語に代えて「社会的課題の解決を志向する」という表現を使うこともあり得るのではという提案をしている。(*4)ここで言われる「社会的課題」が組織や、地域や、国境を越えて発想されるのであれば、それは「不特定多数の利益」に資する。注目に値する視点である。
(*2) 牛山久仁彦、日本におけるNPOの現状、辻山幸宣編、住民・行政の協働、ぎょうせい、平成10年、p.71
(*3) 山岡義典、時代が動く時、ぎょうせい、平成11年、p.82
(*4) 公務員のためのNPO読本、仙台NPO研究会編、ぎょうせい、1999年、p.26
6 「選択的」市民活動の促進
NPO法の最大の功績は「選択的」市民活動の下地を作ったことである。選択的市民活動というのは、第一に市民が主役であることを意味する。したがって、活動は「義理」でも、「義務」でもない。すなわち、人々の自由な活動を促進することが目的である。NPOは「非営利」の意味だが、あくまでも「民間」の団体を意味している。同じ「非営利」でも、行政や特殊法人とは異なるのである。その意味で、NPOはNGOと同じである。即ち、NPOも、NGOも、「非営利」で、「非政府組織」という意味である。
第二に、市民の活動は「選択の自由」を原理とすることを意味する。したがって、活動の出発点はボランティアの思想と同じである。ボランティアは本人の「選択」こそが命である。今回の法律は、市民活動に縛りをかけて、「特定非営利」とした。実際の市民活動にはいろいろあるからである。営利を目的にしないという基準によって、同じ民間でも、企業活動などと区別をしたのである。「非営利」とは、「収益事業」をしないという意味ではない。活動によって得た利益をメンバーに分配しないという意味である。このルールによって、NPOの活動者は、個人の「儲けを追求しない」という点で「労働の対価は求めない」というボランティアの趣旨と再びつながってくるのである。NPO法がボランティア先進国につながるのではないかという希望はそこから生まれてくるのである。
7 「促進」と「支援」
意識して使用しているかどうかは別として、NPO法の解説書には、「促進」と「支援」の用語が登場する。言葉の意味をいちいちあげつらうつもりはないが、促進はpromoteで、支援はsupportである。支援も促進の一部であるが、支援を受けて活動する場合と、自ら頑張って活動する場合では、団体の「気合い」と「姿勢」が違ってくる。NPO法の出発点は市民活動の促進である。当初案に冠された「市民活動促進法」という名称における「促進」の思想は、直接的な支援を意味するものではなく、新しい日本人の活動のための環境整備をする間接的応援である。
NPOは「市民主体」であると一方でいいながら、他方では、行政任務の一環として、直接的に活動を支援したり、団体を育成するというのは、明らかに論理矛盾である。市民主体の活動は市民自身が開拓しなければならないことは自明である。したがって、NPO法が示唆する行政の役割は、市民活動に対する制約・干渉を排し、環境を整え、活動の自由を保障し、情報の公開を求めることである。そこから先は市民自身が開拓すべき領域である。今回のNPO法の趣旨はそこにある。
これに対して多くの解説書がNPOに対する行政の「支援」という用語を使用している。「支援」は、従来の日本人及び旧来の団体・組織に対する直接的応援である。共同体の住民組織はそのほとんどが「お上」によって育成され、保護されて来た団体である。町内会も、衛生組合も、子供会も、婦人会も、青少年育成会も、PTAも、直接的被支援団体である。これらはすべて共同体を基盤とする組織である。個人の自発的な選択によって組織された団体ではない。旧来の組織は、補助金交付から、団体事務局機能の代行にいたるまで、行政の直接的「支援」によって支えられている。現在、おそらく、行政の直接的支援無しにはこれらの組織が存続することは不可能であろう。
個人の中にも、集団の中にも、新旧2種類の日本人が混在している。したがって、行政による異なった応援の仕方が混在しているのもまた当然なのである。それが「促進」と「支援」の違いになって現われている。
8 NPO法の選択
既存の社会教育活動の大部分は、子ども会活動から、高齢者教室に至るまで、従来の日本人、旧来の日本組織を代表している。しかし、NPO法の施行によって状況は一変せざるを得ない。最大の要因はこの「法」が求める「自己責任」への期待と「情報公開」の原則である。旧来の主要組織は行政の補助金と事務局機能の代行または補助によって辛うじてその活動を存続して来た。しかし、無数のNPO法人が誕生し、自前の活動を開始する時、旧来の団体組織のみが行政に"おんぶにだっこ"で甘え続けるわけにはゆくまい。NPO法人の場合、それぞれの活動内容および財務内容も公開されるようになる。そうなれば必ず、団体間の自助努力の「差」が明らかになる。行政が、Aの組織の面倒を見て、Bの組織の面倒を見ないのはなぜかという疑問も生じる。
具体的に言えば、社会教育関係団体の面倒は見ても、それ以外のNPO法人の面倒は見ないとなれば、必ずその理由が問われることになる。A団体の活動の方が、B団体の活動より社会的貢献度が高いというのであれば、その評価理由を明らかにしなければならない。それゆえ、既存の支援団体についても、今後、支援を続けるか、続けないかの説明責任を果たさなければならない。そうなれば、当然、「支援」の対象は、団体ではなく、個別の事業に変更せざるを得ない。かくして、事業間の切磋琢磨が始まり、行政は、子ども会や、婦人会など既存の「被支援団体」に対する従来の支援のあり方を見直さざるを得なくなるのである。
社会教育関係団体を含むNPOには、新旧2種類の日本人及び新旧2種類の組織観が混在していることは疑いない。しかし、上記で見て来たように、NPO法が選択したのは「新しい日本人」である。NPO法が想定しているのは、ボランティアの精神を起点とする主体的で、自発的な、新しい日本人の社会貢献活動への応援である。
9 市民活動の多重機能
市民活動の活発化の第一理由は、市民自治への要求と自信の高まりである。しかし、理由はそれだけではない。人々は活動にやりがい、生き甲斐を求めているのである。ボランティア活動も、生涯学習も、それぞれの活動内容に加えて、「縁」を取り結ぶ機能、生き甲斐を充実する機能など多様な機能を合わせもっている。当然、市民活動も同じである。もちろん、このことは国境を越えても同じである。アメリカの「非営利団体」の管理論を説くウィルバーは、"非営利団体は組織を立ち上げた理由である奉仕の対象者の手助けをするが、同時に、活動者の人間的なニーズを満たしているのである、と指摘している。(*5)
日本での認識も同じである。「NPOは公益的サービスの提供主体としての役割や、新しい時代の新しい発想の担い手としての重要性に加え、活動する人たち自身にとっては大切な自己実現の場となっている。」(*6)ボランティア活動がボランティア自身を支えるように、NPO活動も活動者自身を支えるのである。NPO法の"隠れたカリキュラム"であり、"隠れた機能"である。市民活動も、生涯学習も、廻り廻って、常に社会貢献と自己実現の両方を同時に追求しているのである。
(*5) ロバート・H・ウィルバー、みんなのNPO、海象社、p.3
(*6) 公務員のためのNPO読本、仙台NPO研究会編、ぎょうせい、1999年、p.30
10 NPO法が規定する「特定非営利活動法人」とはなにか?
立法にかかわった熊代昭彦議員はNPO法を100年ぶりの革命的意義を持つと評価する。その理由は、NPO法が従来の民法の隙き間を埋めた市民活動の応援法だからである。応援の最大の理由は市民グループが極めて簡単に法人格を取得することを可能にしたことである。以下は熊代氏が指摘する法の要点である。(*8)
1 10人集まれば、法人格(特定非営利活動法人)が取れる
2 基本財産は不要
3 年間の会費収入も必要なだけあればいい
4 認証の条件がすべて法律に書いてあり、官僚の自由裁量の余地がない
5 三年間報告がなければ認証を取り消すことができる
6 都道府県知事の認証で、日本中、世界中で活躍ができる
7 全員が外国人でも法人格が取れるー「フリー、フェアー、グローバル」を体現
8 情報公開を徹底
9 制度悪用に対する対応措置を導入
(*7) 熊代昭彦編著、日本のNPO法、ぎょうせい、平成10年、pp.3?6
11 民法の隙き間とはなにか?
民法の制定は1896年(明治29年)である。その民法が定める「公益法人」は社団法人と財団法人である(34条)。その他はすべて個別の特別法による規定である。例えば学校法人は「学校教育法」であり、社会福祉法人は「社会福祉事業法」である。
同じく、労働組合は「労働組合法」であり、宗教法人は「宗教法人法」である。商工組合も日本育英会もそれぞれ個別の法律によって規定されている。
NPO法はこれら非営利の法人に加えて、市民活動を行なうグループ・団体を文化横断的・社会横断的にNPO法人(「特定非営利活動法人」)の呼称のもとに統括したのである。法人化を認証する条件のひとつが「不特定かつ多数のものの利益」を増進することである。先の熊代氏は、「公益」と「不特定かつ多数のものの利益」は同義であるとする。それゆえ、NPO法は、民法34条の「公益法人(社団法人、財団法人)の特別法として位置付けられたことになると指摘している。(*8)文化横断的・社会横断的に歌い上げられた活動は12領域であり、それがそのままNPO法が示す「市民活動」の内容であり、各団体・グループの事業領域である。
(*8) 熊代昭彦編著、日本のNPO法、ぎょうせい、平成10年、p.66
12 行政による「公益」独占状況の修正
これまで「公」とは、ほぼ「行政」と同義であり、「官」と同義であった。それゆえ、「公益」に関する事業は行政の独占に近い状況にあった。民間の団体は、法人格を持つか持たないかに関わらず、行政の認知によって、初めて「公益」に貢献していると判断されて来たのである。「公益」の認知権は行政が独占していたのである。すべての社会教育関係団体も、福祉関係団体も、官が公益に資するという認定を与えない限り、制度的に認知された団体としての活動は出来ない。当然、行政からの支援もこない。従来の「公益法人」、あるいは「非営利」の法人は、社団法人も、財団法人も、宗教法人も、、労働組合も、商工組合も、すべて民法あるいは特別法の規定によって行政が認可するものであった。行政の認可とは官僚の自由裁量の結果によって決まるという意味である。
NPO法は、「許可」を、「認証」に変え、認証条件を法に明記した。従来とは比較にならない簡便な方法で、市民活動団体が法人格を取得することができるようになったのである。このことは、行政が「公益」の認知を独占しないということである。市民がNPO法に則って、それぞれの活動に取り組む時、それはほぼ自動的に「公益」に資する活動と認められる。かくして、NPO法は、行政による「公益」の独占を一挙に修正することになったのである。
13 NPO法人のメリット
NPO法はこれまでの「任意団体」に「法人格」を与えることになる。「法人格」を与えるということは、団体の活動を制度的に認めるという意味である。法人格がなければ、その活動が社会的に認知されにくいのである。日本のNPO法は、議論されて来た税制上の優遇措置の検討は、2年後に見送ったが、次のようなメリットをもたらしたと指摘されている。(*9)
1 契約の主体に成れる
2 受託事業や補助金を受けやすくなる
3 公的な施設を利用しやすい
4 社会的な信用が生まれやすい
(*9) 米田雅子、NPO報人をつくろう。東洋経済新報社、1999年、p.20
14 NPOによる行政の変革ー「公益」パートナーの登場
NPO法人が「公益」を担う団体と認証された時から、行政による「公益」の独占状態が終わる。NPO法が定める法人は公益の活動を行なう行政のパートナーとなる。行政による「認可」のシステムをとらないことによって、NPO法人は、従来のどの団体よりも行政に対する「対等性」が保証されている。NPOの側に法律上の不正がない限り、行政は命令も、指示もできない。かくして、行政とNPOの「協働」概念が登場する。対等の関係にあるパートナーが、共同・協力して働くことが「協働」である。
残された問題はまたしても行政の縦割りである。NPO法人の認証申請手続きが画期的に行政の縦割りを排したにも関わらず、都道府県の条例如何では再びそれぞれの行政分野ごとのNPO法人がつくられかねない。生涯学習関係のNPO法人が、既存の社会教育関係団体と同じ行政上の取扱いになるのか、行政の対応が問われる新しい状況である。しかし、今のままでは、生涯学習行政が総合化できないように、NPO法人の活動も総合化できない危険性は高いのである。
15 百家争鳴の活力ー「社会的課題」解決のための「ベンチャー・プロジェクト」
「従来の日本人」と「新しい日本人」のひとつの違いは、「個人の力」に対する信頼度の違いである。「従来の日本人」はみんなの意見が揃わないと「事は始まらない」、と信じている。これに対して、「新しい日本人」は、みんなの意見が揃うことは大切であるが、揃わなくても「事を始めよう」と考えている。
まちづくりにおいては、みんなの意見、みんなの参加が大切であるとたいていの本に書いてある。「従来の日本人」が頭にあるからである。まちづくりを主導する行政は、若者といえば、若者グループの合意を想定し、女性といえば女性団体のまとまりを要求する。共同体の文化風土においては、「みんなでやる」ことが行政責任の「保険」だからである。「みんなで渡れば恐くない」のである。
しかし、みんなの覚醒を待っていたらいつまでたっても「新しいこと、革新的なこと」は始められない。マズローの研究を引き合いに出すまでもなく、どこのまちでも、どんな組織でも、革新者は人口の3%程度しか存在しない。時代の風が吹いて、時間が経てば、いずれ革新者のアイディアも多数者のアイディアに変わるが、それには膨大な時間とエネルギーを要する。それがこれまでのまちづくりの歴史であった。
それゆえ、現在の時点で、多数者の考えをまとめれば、所詮、常識の範囲をでることはない。まちづくりにせよ、活性化戦略のイベントにせよ、常識ではユニークな視点はでてこない。まちづくりの個性とは「常識の対立概念」に近い。まちづくりの発想が何処でも似たような「金太郎飴」になるのは、みんなの意見を寄せ集めるからである。通常、画期的なことは全員の相談の中からは生まれない。これが「まちづくり民主主義」の死角である。新しい企業活動の創造に「ベンチャー」の育成が必要であるように、まちづくりにも「ベンチャー・プロジェクト」が必要である。ベンチャーとは、もちろん、「冒険」を育成するという意味である。日本社会がベンチャー・ビジネスを育てることに遅れをとったように、まちづくりはベンチャー・プロジェクトを生み出すことに失敗している。NPO法は、まちづくりもベンチャー(冒険)を育てるための法律である。生涯学習まちづくりも、NPOの時代に入って、新しい日本人の個性と創造性に着目しなければならない時を迎えたのである。
この意味で日本NPOセンターの山岡氏が指摘する市民活動の四つの性格は重要である。それが@先駆性、A多元性、B批判性、C人間性である。(*10)
先駆性とは、革新的NPOの"冒険"によって、個人叉は少数グループの新しいアイデアを実行に移せるということである。
多元性とは、まさにNPOの百家争鳴のことである。異なった発想、多様なエネルギーが衝突して活性化の条件が整うということである。
批判性とは、行政と対等なNPOの登場によって、社会システムと行政活動に対するチェック機能が充実することにほかならない。
最後の人間性は、多様なNPOの出会いによる、多様な人間相互の交流である。
公平の原則、平等の原理、税金の投入などの観点から、従来の行政には出来なかったことも、NPOであれば可能になる。ボランティア活動はその代表である。
これら4点の視点は、行政には希薄である。また仮に、個別の行政マンにそうした視点が存在したとしてもシステムの性格上、行政ではほとんど活かすことができない。
(*10) 山岡義典、時代が動く時、ぎょうせい、平成11年、pp.56−61
16 NPO法が規定する「特定非営利活動」の目的と領域
この法律が規定する活動の内容は以下のとおりである。
1 保健、医療叉は福祉の増進を図る活動
2 社会教育の推進を図る活動
3 まちづくりの推進を図る活動
4 文化、芸術叉はスポーツの振興を図る活動
5 環境の保全を図る活動
6 災害救援活動
7 地域安全活動
8 人権の擁護叉は平和の推進を図る活動
9 国際協力の活動
10 男女共同参画社会の形成の促進を図る活動
11 子供の健全育成を図る活動
12 前号に掲げる活動を行なう団体の運営又は活動に関する連絡、助言叉は援助の活動
これらの活動のうち、社会教育、まちづくり、文化・芸術・スポーツの振興、環境保全、男女共同参画、子どもの健全育成の6項目は生涯学習そのものである。NPO法が生涯学習の振興に密接に関わっているのは明らかである。
17 情報公開原則の衝撃
NPOを形成して何をするかは市民の自由であり、選択である。NPO法人の認証に際して、官僚の自由裁量の余地がないということは、活動の内容・成果は市民が自主的に決めるということである。したがって、自己責任が原則となる。自己責任原則を貫くための義務的条件はひとつ。情報公開である。
NPO法にはさまざまな特徴があるが、情報公開の原則は当該団体に対してはもちろん、それ以外の法人・団体に対する衝撃効果が大きい。「非営利」の法人は、NPO法が定める法人以外にもたくさん存在する。その時、一方に、活動、収支、成果、ルール、役員等についての情報を公開する法人があって、他方に同じ、非営利の法人がまったく情報を公開しないということは、不自然であり、フェアーでない。民法下の公益法人も、社会福祉法人も、宗教法人も、活動内容を公開しなければ、格好がつかない。また、これらの活動状況の情報を公開していない法人の監督官庁の監督のあり方についても情報公開の要求・圧力が高まるのも当然の成りゆきであろう。
また、情報公開は、評価を前提としている。当然、社会的貢献度を問われる。NPOが「非営利」であるだけでは"優遇措置を受けることの十分条件とは言えない。逆に、優遇措置を受けることによって、非効率的あるいは消費者からの指示がほとんどないような組織が温存され、社会的な資源の浪費が生ずる危険性もある"。(*11)かくして、情報公開及び評価圧力は増えることはあっても、減ることはない。
日本社会は、文化風土の特徴として、評価基準が公表されず、時には評価そのものを実行しない組織やシステムが多い。NPO法人の誕生は、この文化風土に対する挑戦を含んでいる。市民活動団体の情報公開は不可避的に他の団体の情報公開に波及し、市民活動の評価は、他の団体の評価につながって行く。NPO法は団体間の努力競争を生み出し、社会の活性化を促すおおいなる可能性を秘めているのである。
(*11) 塩沢修平、NPO研究の現状と課題、塩沢、山内編、NPO研究の課題と展望2000,日本評論社、2000年、p.6
18 NPO及びボランティアの必要経費再考
日本社会では、ボランティアの「無償性」の原則にも、NPOの「非営利」の観念にもいささかの"誤解"がある。ボランティアも、NPOも、NGOも、フィランソロピーも、社会貢献に関わる用語であるが、外国からの輸入概念である。そのため、行政も、世間も、これらの活動実態とその背景を理解していないところがある。
ボランティアは、「労働の対価」を求めて活動するわけではない。また、NPOも獲得した収益をメンバーで分配してしまうことはNPO法が禁じている。しかし、だからと言ってボランティア活動に経費が掛らないわけではない。NPOの事務局で活動する人々も、フルタイムで関わる以上、そこで生活して行かなければならない。ボランティアの活動経費を計上し、NPOの事務局員の生活費を確保することが、活動を促進する基本条件であることは議論の余地がない。
ところが、一方に、「無償性」や「非営利」についての日本的誤解があるため、活動家が無理をし過ぎて燃え尽きてしまう。現在、日本社会のボランティアは、そのほとんどが「手弁当」、「ポケットマネー」で活動することを期待されている。それができるのはごく一部の経済的に恵まれた人々に過ぎない。それゆえ、ボランティアが「特権化」したり、ポケットマネーでできる範囲の活動に限定されてしまう傾向があるのである。また、自分の生活実態を越えて、活動に無理を重ねれば長期的な継続は到底期待出来ない。給料が少なく、活動経費も足りないとなれば、"自らにハードな労働を課し過ぎて"、結果的に疲れ果ててしまうのである。(*12)
海外青年協力隊に生活と活動に必要な経費を提供するように、国内のボランティアやNPO活動にも必要経費を提供することは当然である。それは活動を支える「支援」でもあるが、これまでやったことのない人を招き入れる活動の「促進」でもある。
ボランティア論における「無償性」についての誤解が、日本のボランティア活動を停滞させて来たひとつの原因であることは疑いない。ボランティアが経済的に余裕のある人だけの活動に限定されてしまうのもそのためであり、時間的に余裕のある人々がボランティアに参加出来ない理由もそこにある。NPOについても「非営利」の解釈の観念的縛りが同じような結果を招くことを心配しなければならない。
(*12) 石渡 秋、女性のための企業・独立ガイド、実務教育出版、1998年、pp.49-50
実践事例の紹介
第24回の大会には4つのNPOの活動報告がそろった。佐賀県武雄市の谷口仁史さんが発表した「NPOグループによる不適応問題に関する総合支援体制の創造と実践」、鹿児島県鹿児島市の後田逸馬さんの「NPOかごしま生涯学習サポートセンター設立の目的と経過」、それに広島県「コーチズ」と島根県「リベロ」である。いよいよ時代が動き始めたのである。日本社会のマーケットに出しても、「金のとれる」生涯学習が始まったのである。「コーチズ」の活動も、「リベロ」のプログラムも、生涯学習市場の受容に対応している。「コーチズ」は、生涯スポーツが介護予防と密接に関わった「証拠」を提示している。指導者の派遣は「健康づくり運動教室」に重点がおかれ、そこで稼ぎ、雇用を創出している。コーチズの活動は初めから生涯学習を目的としたわけではない。スポーツを特技とする人々が後継者の「コーチ」を思い付き、あわせて雇用の創出を目指した結果が生涯スポーツ分野への進出につながったという。青少年の指導ではまだ飯が喰えないので、実践の試行錯誤の中から高齢者の健康指導に活路を見い出した、という児玉宏代表の説明が印象的であった。学校中心主義の日本では、学校外で専門家に金を払う習慣は「塾」と「家庭教師」以外にはないのであろう。
「リべロ」のサービスも「コーチズ」と同じく有料である。「リべロ」は「働くお母さんの子育てと仕事の両立をお手伝いします」をスローガンとしている。「リベロ」の活動は学校週5日制対応の不備と学童保育の不十分を補い、子どもの安全を考慮し、家族の不慮の事態に対応して子どもを預かる。不登校にも対応する。「リベロ体験基地」は子どもの「生きる力」の向上も請け負う。長期の休暇中には体験と学習サポートを組み合わせた「スクーリング合宿」も行う。
現行のシステムでは学校の振り替え休日には対応できない子育て支援であることが多い。学童保育の大部分は年齢制限があり、小学校の3年生までしか対応しない。実績が証明する通り、学校カウンセラーで不登校や引きこもりを解決することはほとんど絶望的である。「リべロ」や佐賀県武雄市の「NPOグループによる不適応問題に関する総合支援体制」はそうした難問に効果的に取り組んでいる。現在、学校カウンセラーに払っている給料は、プログラムの効果を確かめた上で、民間への委託金に廻すべきであろう。
現在の子育て支援システムでは、不意に発生する家族の必要に対応する保育の仕組みはほとんど存在していない。「リベロ」は子どもの送迎までサービスに含めて、天晴れにもその「空白」を付いたのである。
以下は、九州女子短期大学の永渕美法氏の取材による「コーチズ」の実践事例のまとめである。「コーチズ」の経営も企画は徹底した現場主義である。立ってソーラン節を踊れない人々には、椅子に坐ったまま踊る「座・ソーラン」を開発した。軽快なソーラン節のリズムに乗って椅子に坐ったままのソーラン節を踊る熟年者はやがて立てるようになる。健康体操に使用する特殊なボールも開発して年間一千万円を売り上げている。少子高齢化のなかの生涯スポーツは、「医療費の削減」でも、「子どもの生きる力」でも、現行の"鳴かず飛ばずの"「行政主導型」プログラムを民営化して行けば、企業化できるのである。コーチズは指導のプロセスにおいて、雇用をつくり出し、その雇用機会を暴走族少年達の立ち直りに活用することもできた。行政では、福祉と教育が共同化というようなたった一つの縦割りの壁すら打ち破ることはできないのにNPOは軽々とそうした規制を乗り越えてしまうのである。
事例: NPOコーチズによる健康促進、雇用増大、青少年支援など多目的な生涯学習実践
1. 発表者 児玉宏 NPOコーチズ代表理事・コーディネーター 広島市
取材/まとめ 永渕美法(九州女子短期大学)
2. 事例が取り上げられた背景
(1)
子どもたちへのスポーツ指導はほとんどがボランティアであるのに対して、高齢者対象の健康づくりについては依頼が多かった。そこで、幼児から高齢者まで、全ての年齢層を対象とするものの、その中心を高齢者のプログラムにシフトしてきた。
(2) 高齢者人口割合の増加に伴い、医療費負担が限界を超えており、高齢者の健康維持は緊急課題であるため、需要は伸び続けている。
(3)
高齢者福祉、教育の全体予算には限界があると同時に、福祉・教育分野の予算を合わせて効率よく使うことが難しい。職員も縮小傾向にある。住民もより高度で多彩な学習を希望するため、生涯学習推進行政では金銭的にも職員の数からいっても対応は難しくなると考えられる。
(4) 自己責任が問われる時代になりつつあり、生涯スポーツは人々の生活の必需品になってきている。
(5) NPOと行政との協働の始まりの段階である。
3. 事例の特性
(1) 高齢化に対応すると同時に、生涯学習市場の需要に対応した先見的なモデルである
(2) 結果的に受益者負担の原則を確立し、より多様化・高度化したニーズに応えるプログラムを展開している事例である。
(3) 高齢化に対応しながら、雇用を生み出している生涯学習のモデルである。
(4) 柔軟に「カイゼン」「シンカ」し続ける、「実践しながら学習する」生涯学習のモデルである。
(5) 教育と福祉分野を結びつけた取り組みである。
4. 事例の概要
(1) NPOコーチズの概要
目的: 幼児から高齢者を対象に、スポーツの啓発・普及活動を行い、精神の高揚と健康の増進ならびに体力の向上を目指すとともに、スポーツ指導者の養成と育成事業を促進することにより、社会全体の発展に寄与すること。
職員数:14名
法人設立:2000年10月10日
歴史: 1994年、有志で作ったスポーツマンクラブであり、スポーツ指導者を対象にコーチングの勉強会を行っていた。
2000年、名称を「広島コーチズ」に変更。同10月特定非営利活動法人コーチズとして認証され、広島県初のスポーツNPO法人となる。
年間予算:立ち上げの2000年から1年半収入ゼロ(*1)
2002年度 5300万円(青少年ケアサポート事業委託金4000万円含む)(*2)
2003年度 6200万円(同上)(*3)
2004年度 8000万円(同上)
年会費: 正会員 個人 10,000円 団体 30,000円 総会の議決権あり・・・現在80名
協力会員 個人 3,000円 団体10,000円 総会の議決権なし
(*1)2000年度、2001年度は、収入はほとんどゼロだったが、ボランティアが集まった。当初は、各種スポーツの指導に当たるのが主な活動内容だったが、空き時間がかなりあった。そこで、空き時間を使って、高齢者への健康指導、転倒予防教室の開催を思いつく。増加する医療費削減のためにも、健康な人を増やすことが必要と考えたからである。多くの市町村へ出向き、行政と連携して教室を開催していった。子どもたちへのスポーツ指導はボランティアであるのに対して、福祉分野では需要が見込めることが判明した。
(*2)2002年度にむけて、「青少年ケアサポート事業」へのアイデア募集があった際に、"もと暴走族の若者達に高齢者の健康指導をやってもらおう"というアイディアと、それまでの活動の実績でアイディア事業委託の第1号として選ばれた。委託費は4000万円であり、その費用で16-27歳の若者10数名を16-20万円で緊急雇用している。
(*3)上記の事業委託を受けているNPOということで、信用度が上がり、仕事が増え、仕事が仕事を呼び込むようになった。また、上記の事業委託費を活用し、活動に必要な物などを整備することにつながり、基礎固めができたといえよう。
2003年実績:(※割愛)
(2) 高齢者を対象としたスポーツの啓発・普及活動
具体的には、指導者の派遣、健康づくり運動教室の企画開催、特別プログラム「座・ソーラン」などの創造である。特に、転倒予防に力点を置き、筋力の向上・柔軟性の向上・歩行機能の向上・バランス感覚の向上・指先の感覚や器用さの向上を図り、「生活の質の向上」→「医療費削減」を目指している。
これまでのプログラムは、参加者の負担が高額で、専門性が高すぎたため、教室終了後に個人で運動継続が難しく、なかなか運動が継続定着しないという問題があった。それに対して、専門的な機具を使うことなく、継続が可能な運動プログラムを開発し実施してきた。尚、プログラムの企画立案のみならず、それに対する付加価値を付けるため、報告書の作成、データの測定・分析などの結果報告も要望があれば実施している。
(3) 高齢者向けスポーツ指導者の養成と育成事業の促進
人材を派遣し、プログラムを実施しているうちに、その指導風景を見た公民館の関係者や老人施設の職員の方々から、指導方法を学びたいという要望がでてきた。その要望を受けて高齢者向け運動指導者講習会が企画された。独自に開発した"ガンバルーン"を用いて楽しく運動できるプログラム指導ができるようにカリキュラムが組まれている。「GL:ガンバルーン体操リーダーコース(3時間:5,775円)」、「GI:ガンバルーン体操インストラクターコース(6時間:12,810円)」、「SMI:高齢者運動指導士コース(12時間:3,1815円)」であり、積み上げ式になっており、GI受講生はGLの取得、SMIの受講にはGI・GLの取得が必須条件となっている。現在500名が資格を取得しており、。また、出張講習も企画されており、集客等のお手伝いからの請負も可能となっている。
(4)手ごろな値段で購入できるボールの開発と販売
当初、健康指導の一環として、外国製のボールを使用したところ、参加した高齢者からボール購入の希望が出てきたため、ボールの販売も行うようなった。その後、地元のボールメーカーと連携して、"ガンバルーン"という名称のボール(1つ1000円)を開発した。重さ100g、耐加重200kgであり、空気圧を調整することで、個人にあった体操の強度が選べるようになっている。結果的に、養成された指導者が指導に使うことでその需要は高まる一方である。現在、年間1千万円の売り上げとなり、法人の大きな収入源の一つになっている。
(5)パーソナルトレーニングによる出前運動サービス
個別対応のパーソナルトレーニングも実施。アスリートの筋力トレーニングから、シェイプアップ等、個別のニーズに対応できるシステムである。出張費は60コース8000円、90分コース12000円から。ただし、初回は半額でお試しが可能。
(6) 2002年、元暴走族少年たちの経済的自立と社会性の構築、人間関係づくりもねらいとしており、青少年が高齢者をケアすると同時に、高齢者が青少年をケアする場にもなっている。
委託費4000万円で、元暴走族の若者たちを緊急雇用し、インストラクターとしてトレーニングし、高齢者への健康指導を行わせる事業である。若者が高齢者と接することで新しい刺激を得、高齢者も若者と触れることで新しい刺激を受けているようである。
(7)ソーランの普及活動
かつて日本一荒れた中学といわれた「稚内南中学校」で生まれ、全国民謡民部大会で日本一になった ロック調の音楽でソーランを踊る。これは元暴走族の若者にどうかと一人の警察官から提案され、取り入れたものである。最初は、若者が披露するというものであったが、自分たちも踊りたいという子どもや高齢者が出てきたため、子どもたち向けに「スポーツソーラン」を、高齢者向けに座って踊れる「座・ソーラン」を開発。小・中・高等学校など、様々な場所で指導・普及を行っている。さらには、お祭りやイベントで踊る為に子どもの指導を行ったりしている。
4.工夫されている点
(1)お試し価格の用意と相手の条件に合わせた費用設定(指導者の人数、受講者の人数、回数、時間、場所等によって基準があり、それぞれの条件によって算出が可能である)
(2)HPによるアピール(http://npo-coaches.org )
(3)DMによるアピール 行政担当者が変わるたびに説明を行う必要があった。それにはエネルギーと手間がかかるため、こちらからアピールを続けることとした。一つの方法として、年3回のDM(4・5月の年初め、予算決めの時期、12月(年度末))を出している。
(4)徹底した現場主義であり、相談をすれば、その事情に応じた対応をする体制が整っている。
5. 事業の意義・成果 −先駆性とモデル性
(1) NPOと行政との協働モデルである。
(2) 高齢化に対応すると同時に、生涯学習市場の需要に対応した先見的なモデルである
(3)
お金の取れる生涯学習提供のモデルであり、受益者負担の原則を確立し、需要に応じた質の高いプログラムを展開している点で意義深い。結果的に、住民の選択肢を増やし、プログラムの質の底上げにつながると予想される。
(4)
教育と福祉分野を結びつけた取り組みであり、生涯スポーツが市民に近づき、必需品になるためのサポートモデルといえよう。一人では継続の難しい運動であるだけに、手ごろな値段で、質の高い教室は今後需要の見込まれる分野である。国の活力につながる、地道ではあるが画期的なモデルといえよう。
(5)
目指すところは、"100人の雇用のできるNPO"である。NPOの使命と経済的なバランスを上手くとっている事例としてのモデル性は高いといえよう。
(6)
徹底した現場主義であり、需要に応えるということの基本を提示するモデルである。現場から生まれた課題を正面から解決することで次の新しいプログラムや企画を生み出すことに徹底してこだわることの重要性を示している。
6. 事業の発展性-今後の展望・残された課題
これまでのコーチズの活動を見てきた中で、今後残された課題をあげてみることとする。
(1) 今後、行政の直接提供するプログラムは減少し、NPOや民間企業と連携したプログラム提供方法が多くなることが予想される。
(2)
それに伴い、プログラムソフト(全体の企画を含めて)を入札する時代がくると予想される。その際の提供者の数の増加、およびプログラムの質の向上が求められる。同時に、行政は委託相手を評価する基準および方法を開発すること、請け負う側は活動の成果をいかに公表するかが課題となるであろう。
(3)
協働の機会が多くなると考えられるが、行政の下請けではなく、パートナーとして、独自のプログラムを展開できるNPOの数を増やすことも課題である。"実践しながら学習"の考え方からいけば、現在展開されているNPOは機会を与えられることでより質の高いNPOへと育つと考えられる。
(4)
NPOとの協働する際の法整備、公共施設の運営など身近な行政サービスを担う仕組みを法律として作ることが求められる。(現在、委託する場合の監督手法や契約内容のあり方、守秘義務や財務情報の公開など総務省で検討中である。)
「コーチズ」の経営も企画も徹底した現場主義である。立ってソーラン節を踊れない人々には、椅子に坐ったまま踊る「座・ソーラン」を開発した。軽快なソーラン節のリズムに乗って椅子に坐ったままのソーラン節を踊る熟年者はやがて立てるようになる。健康体操に使用する特殊なボールも開発して年間一千万円を売り上げるとの報告もあった。紹介された映像の中の人々の楽しそうで、躍動的な動きを見れば、コーチズの指導がいかに有効であるか、容易に推定できる。少子高齢化のなかの生涯スポーツは、「医療費の削減」でも、「子どもの生きる力」でも、現行の"鳴かず飛ばずの"「行政主導型」プログラムを民営化して行けば、企業化できるのである。コーチズは指導のプロセスにおいて、雇用をつくり出し、その雇用機会を暴走族少年達の立ち直りに活用することもできた。行政では、福祉と教育が共同化というようなたった一つの縦割りの壁すら打ち破ることはできないのにNPOは軽々とそうした規制を乗り越えてしまうのである。
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