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(第57回生涯学習フォーラム)

生涯学習フォーラム共同討議;
日本文化における知的風土の変革と生涯学習革命の軌跡
(修正・追加の最終案)

記録/まとめ  三浦清一郎

平成17年6月18日(土)

福岡県立社会教育総合センター

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生涯学習フォーラム共同討議;

(討議の目的は2001年で、創設20周年を迎える「中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会」の歴史を振り返って、この間の日本社会の知的風土の変革と社会教育・生涯学習における「実践研究」の意義を探ることである。
   討議は福岡県立社会教育総合センターにおける宿泊研修を兼ねて、基調提案の三浦論文「日本文化における知的風土の変革?生涯学習の軌跡」および「生涯学習実践研究の意味と意義ー中国・四国・九州地区生涯学習実践研究交流会の20年」を素材として分析した。司会は古市勝也氏が担当した。参加者は以下の方々である。

参加者(50音順、敬称略、所属は2001年当時のまま)

今村隆信(福岡県立社会教育総合センター)
瓜生浩平(同上)
大島まな(九州女子短期大学)
太田政子(生涯学習をすすめる甘木・朝倉女性会議)
久原 寛(福岡県教育委員会生涯学習課)
重松孝士(福岡県教育委員会生涯学習課)
永渕美法(九州女子短期大学)
林口 彰(財団法人孔子の里)
古市勝也(九州女子短期大学)
正平辰男(福岡県庄内町生活体験学校)
三浦清一郎(生涯学習・社会教育研究者)
森本精造(福岡県穂波町教育委員会)


I   生涯学習は果して知的風土の「革命」であったか?

古市:

革命の根拠は知的風土の変革

   今回の三浦提案は、第一に、生涯学習を「革命」と捉えました。その根拠は、生涯学習が日本の「知的風土を根本から変革した」という事です。また相対比較の問題ですが、「コンビニ」や「宅急便」がそれぞれの分野のシステムの「革命」であったという事ができるとすれば、それと同じような意味で、生涯学習も教育と学習のシステム革命と呼んでもいいのではないかという提案です。しかも、コンビニも宅急便も生涯学習もスローガンは同一の「いつでも、どこでも、だれでも、なんでも」であったというのです。
   生涯学習が変えたのは生活の利便性であり、その根底を為している価値観であり、感性であったというのです。生涯学習は人びとの「学習とのかかわり」を変える事によって、「環境」についての認識も、「男女共同参画」についての認識も、「自分の生き方」についての認識も大きく変えたということです。結論的に、生涯学習は日本の知的風土を質量共に変革した「革命」であったという主張です。
  
生涯学習の原理が全分野に及ぶ

   第二に、生涯学習が革命であった以上、学校も教育行政も、コミュニティも企業も社会のシステムすべてを飲み込んで、生涯学習の原理が貫徹する事になるというわけです。情報化も国際化もその他の社会のあらゆる変化が、生涯学習無しにはその進行が著しくおくれる事は疑いありません。
   もちろん、学習は分野や領域によってその進行に「むら」があり、「波」があり、「時間的な落差」がある事はいうまでもありません。情報化や高齢化についての認識は相対的に早く進み、国際化や環境についての認識は少し遅れたりします。それぞれの分野に変化のタイムラッグが生じるのは当然の事でしょう。その意味で、様々な分野で現在も生涯学習の革命は「進行中」であるというわけです。
   以上の提案に対して、まず、日本社会における生涯学習の辿った変化を「革命」と呼んでいいかというところから議論をはじめたいと思います。

重松:

革命だと思えば視点が変わる

   私は職について以来一貫して「生涯学習」のスローガンの下に仕事をしてきましたが、提案のように「革命」の一端を担って来たという実感で仕事をした事はないですね。自分の中では、あくまでも既存のシステムの改革や改善の発想でした。生涯学習理念が登場したことによって、それまでの価値観や仕事の仕方が根底からひっくり返ったという感覚はなかったという意味です。
   しかし、御指摘のように、数々の生涯学習施策が、日本の知的風土を変革したという事実に改めて注目してみると、見方は変わりますね。仕事で関わった施策が、「革命の戦略」であったと考えれば、自分のやってきた事の評価視点が変わってくるという事はまちがいありません。そして、革命がいまだ「進行中」であるという視点で見れば、今後の仕事の考え方・やり方が変わってくる事も間違いないですね。

太田:

人びとの意識は変わっていない!

   明治維新を例に考えたとき、政治権力が変わり、社会システムが変わり、日々の生活も変わりました。社会は、いわゆる文明開化の大変動を起こし、当時の日本人の生活も考え方も根本から変わりました。それゆえ、明治維新はまちがいなく革命と呼んでいいと思います。
   翻って、生涯学習を考えたとき、関係者が言うほどには人びとの意識は変わっていないのではないでしょうか。「男女共同参画」の意識などは「変わっていない」ものの典型だと思います。それでも「革命」の名で呼んでいいのでしょうか。


II    様々な革命、様々な指標

瓜生:

様々なレベルと種類についての点検が不可欠である。

   革命には様々なレベルが在り、様々な種類があるのだと思います。従って、生涯学習を革命と呼ぼうとするならば、社会の諸要素が何から何へ、どこからどこへ変わったのかという革命の定義の判断基準を整理する必要が在ると思います。もちろん、意識も価値も、システムもすべて点検の対象になるのだと思います。

正平:

タイムラッグと領域ギャップを考慮すべきである。

   結論的にいえば、変わったものも在り、変わっていないものもあるいうことではないでしょうか。生涯学習理念の唱導によって、多くの変化が起こったことは事実だと思います。そこには歓迎すべきものも多々ある一方、さらなる変化を期待しなければならないものもあると思います。さらに、何も変わっていないという領域もあるのでは無いでしょうか。時間のズレも領域の違いもあるということだと思います。

太田:

意識の変革が最重要だと思う。

   私は、ある事が「革命」となるためには、人びとの「意識の変化」は重要な基準だと思うのです。「生涯学習をすすめる甘木・朝倉女性会議」は地域に生涯学習の「新しい風をおこそう」というスローガンを掲げました。目指したものは地域の意識変革でした。「風おこしフォーラム」という名称で様々な企画を試みました。しかし、今もって「風が人々の意識を変えた」とは思えないのです。
   今後、地方分権や男女共同参画が進むことによって、社会のあり方が変わっていけば、そこから人びとの意識も変わり、生き方も変わって、ある意味での意識革命に繋がるのかも知れません。しかし、「甘木・朝倉女性会議」が活動したこれまでの十数年は、「革命」とは言えなかったように思います。

三浦:

   しかし、「女性会議」の企画や方法の上で、かつては考えることさえできなかったことが、可能になり、かつては実行不可能と思われたことが、実行できるようになったのではないでしょうか?


太田:

様々な連携の模索ができるようになった。

   そう言われれば「学習の場」はいつも新鮮でした。連携の相手も様々、方法も工夫を凝らしたつもりです。「女性会議」が関わった「風おこしフォーラム」も単独でやらずに行政と組んだり、若い男女50名ずつ100名余りで男女共同参画について討論したり、 男性の企画に乗って 秋の刈り田の中で「どろんこフオ?ラム」をしたり、農山村男女と組んだりと色々でした。結果も、もちろん、成功半分、挫折半分とまちまちでした。
   束縛されない自由な発想で意外性のある方法を取ることが出来たことは確かです。その意味では今までにないもので、おおげさに言えば"企画発想"については極めて革新的であり得たと言えるかも知れません。

重松:

社会教育行政は変わったのか?

   太田さんのお話を聞いていると「なるほど市民活動は大きく変わったな」ということが分ります。しかし、翻って、行政に身を置く立場から言えば、生涯学習理念の登場が日本人の知的風土に「革命」をもたらしたというのであれば、社会教育行政における個々の施策や公民館の管理運営は「革命」によってどこが変わったのかということを説明できなければならないと思います。意識だけではなく、具体的な施策や、施設や、制度も「革命」と呼べるほどに変わったのでしょうか。変わったとすれば、どこが変わったのでしょうか。必ずしも明らかではないと思います。


正平:

生活上の実感に届いていない。

   生涯学習が変化をもたらしたとしても、わたしの身辺の、日常生活レベルで実感できる変化はまだまだほのかで、ささやかなものに見えます。それは何ごとに限らず、政府が国のレベルで政策上の音頭を取っても、日常生活に届くまでには、文化浸透の時間がかかり、定着までの紆余曲折があるのだと思います。。
   しかし、「革命」と言う以上、一番大事なことは、太田さんの言う意識の問題出あり、生活実感ではないでしょうか。都道府県さらには市町村レベルの個別の施策が市民の日常の具体的な活動実践として創出されない限り、生活上の実感には届かないのだと思います。

森本:

少なくとも学校に生涯学習は届いていない。

   学校は生涯学習システムの真っ只中にあると言われながら、実質はほとんど変わっていないですね。これから変わるのでしょうか。生涯学習システムが進化していく中で学校はどんな機能と役割を果すことになるのでしょうか?私には生涯学習を展望した学校変革の完成予想図がほとんど見えてないような気がします。「社会教育の窓」から見た生涯学習が「革命」であったとしても少なくとも学校には生涯学習の風は届いていないと思います。

三浦:

学習者の飛躍的変化をどう解釈するか?

   瓜生さん、正平さんの御指摘の通り、変化の進行にタイムラッグと領域のギャップがあったとしても、生涯学習が革命であった証拠は、何よりも「学習者の変化」であったと思います。まず、量的に、学習者の底辺は確実に増大しました。次に、質的に、「鑑賞者」は「創作者」となり、「観戦者」はみずから「プレイヤー」になったのです。
   論文にも書きましたが、生涯学習フェスティバルに登場する創作物や演技作品の豊かさが学習者の量と質の変化を象徴していると思います。
   たとえ全員ではないとしても、かつて学校卒業後一度も学習する必要や要求を感じた事のない人びとの多くが、今は、公民館などを通して、それぞれの好みの学習活動に参画しています。それは日本社会の「知的風土の変革」と呼んでもいいのではないでしょうか。重松さんの御指摘のように生涯学習の施策も公民館の運営方法も劇的には変わりませんでした。
   それゆえ、学習者の側にこの国の知的風土を変革してしまうほどの大変化が起こっていたにもかかわらず、従来の公民館の活動形態やメニューやあるいは職員の意識が革命的に変わらなかったという事の方が、実は生涯学習の最大の問題なのではないでしょうか。

永渕:

高度なサービスの質に慣れた人々は公民館に戻らない。

   瓜生さんの御指摘のように、革命の波が及んだところと及んでいないところが生じたのだと思います。学習者については生涯学習は確かに革命であったが、公民館にとってはそうではなかったということではないでしょうか。公民館は残念ながら革命の波に乗り遅れ、このままいくと過去の遺物になるのではないかというのが私の感想です。過去、公民館は世界に誇れるシステムであり、これまでの貢献の大きさについては異存はありません。
  しかし、未来の公民館の位置付けは違って来ると思います。最近、大学生に「子どもの頃から現在まで、公民館に行ったことがあるか」と尋ねたことがあります。「利用したことがある」と答えたのはそこにいた120人の1割にも満たない学生でした。学生が公民館に対して持っている イメージも決して良いものではありませんでした。
   要するに「安かろう、悪かろう」のイメージです。料金は安いかもしれないけれど、何か学習をするならやっぱりカルチャーセンターや専門学校にいくというのです。
 この学生や私たち30代の世代は、利用時間の選択可能性や職員の対応も含めて民間のより良いサービスの快適さに慣れています。今のままの公民館では、我々が年を重ねたとしてもやっぱり公民館には戻らないだろうと思うのです。
   従来の小売店がサービス時間帯の店で、また品揃えの点で、更には異業種を組み合わせたサービスの総合化の点で、コンビニに完全に負けてしまったことを考えると、公民館もこのままでは同じことになると思います。

三浦:

行政サービスの総合化が課題

   宅急便やコンビニは「サービス革命」だったのですね。公民館が変わっていないということはその「サービス機能」が変わっていないということだと思います。私が主張する「チャーター公民館論」は、公設民営の「コンビニ公民館」と呼んでもいいのかも知れません。しかし、それを実現するためには大本の教育行政が福祉や健康や職業教育の分野と事業提携を果たせなければなりません。生涯学習における「行政サービスの総合化」こそが問われているのだと思います。公民館だけを責めるのはフェアーではないと思います。

太田:

「新しいもの」の誕生

   これまでも人はそれぞれの必要と欲求に応じて学習してきたと思います。しかし、生涯学習は、「学習者の数」と「学習の量」と「学習の姿勢」を変えてしまったという事でしょうか。
   そう言われてみれば、私たち自身が生涯学習の旗の下で、生涯学習の看板をあげて「会議」を結成し、活動し、学習する事になったというのは、生涯学習の考え方が登場する以前には確かになかった事ですね。そういう視点から見れば、生涯にわたって学習の機会を保証するというシステムは、確かに「考え方」の革命であったのかも知れません。地域の日常生活の中で女性の自主グループが学習の場を企画し、提供するという事は確かにほとんど全く存在しなかったことですから。

重松:

教育行政の心理的足踏み

   行政の施策や 事業の企画・運営の観点から考えると、「革命」という評価はやや大げさであるという実感は拭えません。しかし、人々の行動と意識の面を「学習者」という視点から見ると、ご指摘のように、確かに凄いことが起こっていますね。
   また、振り返ってみれば、制度上の役割分担一つをとってみても、生涯学習以前は教育・学習は教育行政の領域でした。当初は生涯学習も教育委員会に委せておけば良いのだという考えをほとんど誰も疑いませんでした。我々自信も生涯学習は自分達の仕事だと自負し、この世界は我々に委せておけと言わんばかりでした。
   しかし、実際の教育・学習事業に一般行政、企業、民間団体等様々な機関や人々が参入した結果、生涯学習はこれまで教育行政が持っていた「選ばれた担当者」という「特権意識」を打ち壊しました。それと同時に何をどこまでやればいいのか、という点で教育行政は足踏みをしているのだと思います。生涯学習プログラムに参入して来た他の部局や機関は当然教育行政の指揮下には入っていないのです。

三浦:

   行政分野の垣を越えて「生涯学習推進会議」を設置せざるを得なかったということは、そういう意味ではなかったかと思います。


III   行政が推進し、同時に行政が停滞させた

森本:

「存在しなかったもの」の登場と「存在していたもの」の改革

   教育システムにおいては、目の前が宅急便やコンビニのように具体的に目に見えて変わったという事はなかったのではないでしょうか。生涯学習の登場以前から、学校は存在し、公民館も存在しました。情報革命や流通革命がそれまで「存在しなかったもの」を明確に生み出したようには、生涯学習はかつて「存在しなかったもの」を登場させたわけではないですね。むしろ、すでに「存在しているもの」の変革を要求したのではないでしょうか。「革命」の実感が湧かないのはそのためかも知れません。

重松:

変革への抵抗感は存在意識の問題

   正直なところ、行政の中では変革への抵抗感も実感しています。確かに従来の行政分業の枠を越えた「生涯学習推進会議」は、それまでの教育関係者の意識や仕事の進め方を根本から変えたところがあります。むしろ変わらざるを得なかったと言った方が正確だと思います。そしてそのことは行政部門にとっては、分業によって専門独自の任務を果たして来たという自らの存在意義に関わる心理的問題でもあったのです。それゆえ、「教育は我々の領域」という専任意識を変えることが難しい時もありました。現に、従来の仕事のやり方を変えることもできないまま、むしろ他部局に「仕事を取られる」という感覚もいまだに残っているのです。
   教育行政の中で生涯学習の仕事に携わって来た時間が長かった分だけ、自分の意識の中にもこれまで果してきた役割を一般行政に奪われてなるものかという意識があることも事実なのです。

三浦:

「新しく誕生したもの」はたくさんある

   私は行政の中にも生涯学習推進の「温度差」や「落差」があったと思います。端的に言えば、社会教育行政は生涯学習を提案した「本人」ですから、一生懸命にやりました。しかし、学校教育行政は、到底、社会教育行政に比較すべき理解も熱意もなかったと思います。それゆえ「学社連携」をサボタージュしたのはいつも学校だったわけです。当然学校教育行政からの強力な指導もなかったわけです。教育行政以外の学習関連行政についても推して知るべしと言うところでしょう。しかし、草創期の福岡県の「生涯学習フェスティバル」一つをとっても「新しいもの」は沢山誕生したのではないでしょうか?県行政が企画する総合的プログラムに関連する異分野・他部局がそれぞれの事業を「出店」するという「テナント方式」はのちに文部省が生涯学習理念の普及・浸透のために行なった全国版「フェスティバル」の原形を作ったことは明らかです。 

重松:

   ずいぶんあちこちと頭を下げて協力をお願いしたことは確かですね。

三浦:

鍵は「選択」原理

   それにもかかわらず、視点を変えてみたらやはり生涯学習の推進は「革命」だったのではないでしょうか。例えば太田さんを始め、女性がこれだけ発言するようになった事はある種の革命ではないでしょうか?(笑い)生涯学習が登場する以然にこのような風景がありえたでしょうか。「女性の参画」はかつて「存在しなかったもの」の一つではないでしょうか。知的風土に変革が起こったのは、われわれが好むと好まざるとに関わらず、生涯学習の原理に照らして、人々が価値や制度を取捨選択してきた結果です。
   コンビニや宅急便ほど具体的でないとしても、気をつけて観察してみると生涯学習の分野にも「新しく誕生したもの」がたくさんあるのです。個人の「選択の自由」が貫徹されて来た事自体がすでに「革命」であったような気がします。伝統的共同体の衰退のような社会現象もその選択の結果であった事は言うまでもありません。 

今村:

「古き、良きもの」も滅んでいく

   消えそうになっているものも沢山ありますね。社会の変化あるいは生涯学習革命の進展によって、例えば伝統的共同体が育んできた古き、よき価値が滅んでいくとすれば、革命の進行をとめるため、伝統に育まれた価値を守るために「新撰組」を作りたいと思いますね。

三浦:

どんな変化も直線的には進行しない

   もちろん、「革命」が常に正しいと言うつもりは全くありません。それまでの伝統や不易の価値をほとんどすべて否定して、全中国を大混乱に巻き込んだ「文化大革命」などが最近の一つの例ではないでしょうか。生涯学習革命に対抗するためかどうかは別として、「新撰組」は現にたくさんできつつあるのではないでしょうか。「町内会を守れ」、「青年団を守れ」、「婦人会をてこ入れせよ」などは、目的集団や自主サークルなどの登場によって一気に弱体化してきた従来の組織に対する応援歌である事は疑いないと思います。もちろん、これらの組織は理由なく衰退したのではなく、市民の選択によって衰退しているという事が注目すべき現象だと思われます。
   ある意味では皮肉な事ですが、社会教育行政が補助事業をもって、従来の伝統的な組織を守らねばならないという現象自体が、生涯学習の「選択原理」に基づく「革命」の進行を証明していることになるのではないでしょうか?とにかくどんな変化も直線的には進行しない事は間違いないと思います。

森本:

肝心の学校はいまでも変わっていない

   太田さんが指摘した「意識は変わっていない」という事情は教育を考える上で注目すべき点であると思います。世の中が色々変わっても、人びとは伝統や従来の価値を大切にしていることと関係があるのではないでしょうか。
   特に、教育はまだまだ学校が中心だと言わざるを得ません。それだけに学校の意識が変われば生涯学習による変革がより見えやすくなると思います。学校、特に教職員の意識が今ひとつ変ってきていないので「意識革命」の感覚が乏しいのではないでしょうか。

三浦:意識もやはり変わったのではないか?

   変わらなくても済んできたところが変化から取り残されているのだと思います。
   太田さんの感触では、「女性会議」の「窓」を通してみた限り、意識はさほど変わってはいないという事でした。しかし、日本全体の知的風土を見る限りは、意識もやはり変わったのではないでしょうか?太田さんの「変革期待値」(?)が高すぎるのだと思います。
   現に、「生涯学習をすすめる甘木朝倉女性会議」は、会議自体の発足によって、それまで地域にあった多くの価値を否定し、新しい女性運動の価値を地域へ導入することを主張したのだと思います。「会議」はその存在においてすでに「現状」への造反であり、既成事実への反逆であったのではないでしょうか。「会議」は地域の革命分子であったはずです。何故なら女性が集まってまちづくりにもの申すというだけで、地域の旧来の感覚・思想をおおむね否定する事になるからです。
「喧しい女たちが集まって色々怪しからん事をいっている!」と「変わりたくない」人びとの話題になっていたはずですよ。(笑い)

太田:
   そう言われればその通りですね。そう考えると、わたしたちは革命の先頭を走った事になるのですね。(笑い)(甘木のジャンヌ・ダルクですよ!)(笑い)

IV   進行途上の革命

重松:

「進行途上の革命」か?

   「教える人」と「教えられる人」、「学習機会を提供する者」と「提供される者」、「情報を提供する者」と「情報を受ける者」などの関係は従来の一方向的な関係からほとんどの分野で、双方向的な関係に転換したことは間違いありませんね。
   しかも、このような関係のプロセスに誰でも自由に、選択し、参加できるシステムが実現したことは太田さんのおっしゃる通りですね。生涯学習は「いつでも、どこでも、だれでも、なんでも」学習できる風土を造り出そうとしているわけですから、結果的に、生涯学習は、人々の選択の時代を産み、教育制度観を変え、行政の任務観を変え、学習観を変え、最終的に日本人の人生観を変えたということでしょうか。このように考えれば、生涯学習は「進行途上の革命」と呼んでもいいのかなと思うようになりつつあります。

古市:

完成予想図の不在

   そのように考えてくると、生涯学習による変化はまだ到底完了していないわけですね。生涯学習は今後どんな方向を辿るのかそれを明らかにする必要があると思います。
   改革の着地点はどこか?目指しているものは何か?学習社会の理想とするシステムはどんなものになるのか?それをさらに具体的に描き出す必要があると思います。学校はこれからどう変わるべきなのか?行政も少しづつ変わってきたが、情報公開や出前講座の次にはどこへいくのか?学習に関係するシステムの連携や融合のデザインはどうあればいいのか?整理すべき疑問がたくさん在りますね。
   生涯学習革命が進行していった後の全体社会のデザインはどうあればいいのか?個人と組織の関係、個人とコミュニティの関係、個人間のネットワークのあり方などすべてにわたって変化と適応が要求される事になると思います。
   これらの疑問についての答や見通しが明確ではなく、変革のデザインがはっきり示されていないので、「革命」と呼ぶことにためらいや逡巡があるのではないでしょうか。

三浦:

役割の過剰

   その通りだと思います。生涯学習は己れが背負い切れない役割まで背負って登場したのだと想います。生涯学習は文化に最も近い無限の広がりを持ち、かつ又抽象度の非常に高い概念であるため、社会の変化をすべて背負わなければならない「はめ」に立ち至っているのだと想います。国際化は生涯学習とは別次元の社会変化ですが、いまや私たちは国際化に関わる問題を生涯学習しなければならないのです。情報化についても、男女共同参画についても同じです。環境保全もまちづくりも生涯学習の任務の内というのではとても既存の生涯学習システムでは背負い切れず、革命の「完成予想図」もいまだ提出できないないということになるのです。

森本:

「不易」の重さ

   社会変化の側面から見るとまさしく生涯学習は「適応」を目的とするように見えますが、変化すべきでないものに対する視点が抜け落ちる傾向がないでしょうか?教育には常に「不易」と「流行」の判断と発想があって、「不易」に対する感覚は重いものです。生涯学習によって様々な変革が実際に進行していても、かつてから存在する「不易」の部分が強力に残っていることも確かなのです。青少年教育分野では特に「不易」の部分をはっきりさせておく必要があると思います。

古市:

「革命」語感への抵抗感

   生涯学習によって教育についての考えや状況が変わっても、教育には人間として変わってはならない領域が在るという御指摘だと思います。当然、人間の生活の中には、社会構造が変化しても変わる部分と変わらない部分がある筈です。
   それゆえ、「革命」という語感には、教育のあり方を根こそぎ変えてしまうという怖れのようなものがあって、生涯学習に対しても、それを「革命」と認めることにもためらいや抵抗感が在るのではないでしょうか。実際には、「不易」の課題を忘れないということと、「変わるのはいやだ」という気持ちが混在しているところもあると思います。

森本:教育の制御装置

   コンビニや宅急便や情報革命は間違いなく進行していますが、それゆえにこそそうした変化に流されまいとする教育の側の抵抗が在るのではないでしょうか?
   実際、今村さんの視点のように、変わらない事や変わらないものの中に価値の在るものがたくさん在ります。じっくり育てなければならないのに、現実は子ども達までが促成栽培されている事が大変気になるのです。
   後で振り返ってみたらやはり革命であっったのかと想うのかも知れませんが、今は余りの変革の速さ・凄さに流されまいとする感覚が強いというのが実感です。「不易」の発想は、教育の持っている健全な制御装置のようなものであると考えることはできないでしょうか?
   今日の教育改革の中で強調されている基礎・基本の充実は、不易の大切さを見落とさないための警告のように聞こえます。そしてこの基礎・基本は知的学力だけでなく生活面での基礎・基本を忘れてはならないことを含んでいると思います。
   それだけに制御装置は今以上に健全かつ確実に作動させるべきではないかと思います。

三浦:保守の本質

   その点については全く異論ありません。教育の本質は基本的に保守であると思います。伝統を守り、これまでに確立された文化を次代に伝達するというのが教育の基本機能である事はこれからも変わらないと思います。
   これに対して、ここで問題としている生涯学習「革命」の判断対象となった主な要素はシステム論なのだと思います。
   もちろん、生涯学習の登場によって「自主性」や「選択原理」という人生の意識や価値観はおおいに変わったと思います。それゆえ、「自主性」や「選択原理」と対立する考え方はいずれ衰退する運命にあることはまちがいないと思います。
   しかし、生涯学習がもたらたした変化の主流はあくまでもシステムとしての学習環境を変えるという事であったと思います。従って、「生涯学習革命」が教育と学習のシステムを変えようとしたことと、教育において「不易を守ろうという事」とは別次元の問題なのではないでしょうか。
   両者は共存し得るはずだと思います。「いつでも、どこでも、だれでも、なんでも」のシステムの中で、「不易」の内容をしっかりと教えればいいという問題になるのです。
   しかし、システムの上では、明確に、従来の学校のあり方を否定し、従来の学校を成り立たせて来た考え方を転換しようとしています。例えば、生涯学習が掲げた「いつでも、どこでも、、、、」のスローガンは、何よりも現在の学校が堅持して来た「時間と場所と学習者と指導者と指導内容など」の「特定化」の対極にあります。「特定化」はまごう方なき「制約条件」ですから、、。
   学校がこだわってきた制約条件を否定しないかぎり、生涯学習は進行せず、日本の知的風土は変わらなかったと思います。その意味で生涯学習が学校の外で進行したのは、ある意味で当然だったのであり、かつ幸運でありました。しかし、別の意味では大いに非効率的だったと言えると思います。

森本:「不易論」が経営システムにまで及ぶ

   誤解のないように一言追加すれば、教育内容における不易の重要性は当然としても、学校運営や経営のシステムまで「不易」であるべきだと言うつもりはありません。こうして議論してみるとよく分るのですが、教育の不易論が学校の運営理念にまで及んで、時代変化への適応の動きが鈍くなっているのではないでしょうか。
   現在の急激な社会構造の変化の中で、一般市民はもちろん、学校に直接関係している保護者や子どもたちの価値観も変わってきているのに、学校の意識は変わっていません。
   これほど問題が多発し、学校への期待が聞こえてくるのに、学校側には変化に取り残されることへの危機意識が感じられません。教育における不易は大変重要だと思いますが、それだけではダメだと言うことは同じ意見です。それだけに「不易」の意味を問い、何が変わるべきで、何が変わってはならないかを再点検していく必要があると思います。

古市:

保守と革新のバランス

   ただ、多くの人のためらいは、今ご指摘のこととは逆に、森本さんが最初に指摘したように、システムの変化が教育の「不易」の分まで押し流してしまうことにならないかという事ではないでしょうか。システムの変化がダイナミックであればあるほど、その「激流」に価値も中身も飲み込まれてしまうという心配が存在するのだと思います。生涯学習の目指すべ基ところは、学習の中身とシステムの両面に亘った「保守と革新」のバランスということではないでしょうか。

永渕:

   生涯学習が浸透するためには、システムについても、内容についてもそれぞれに変わるべきところが変わっていない、ということが最大の問題だと思います。。私は、学校に限らず、公民館など社会教育施設の運営システムが変わっていないことにこだわっているのです。   
   たとえば、コンビニや宅急便とまで行かなくても、例えば、公民館は時間的な制約条件一つが何故解決出来ないのでしょうか。また、プログラムの立案において、何故、民間ができる事が出来ないのでしょうか。さらには、税金でやっているにも関わらず、何故、子育て中の母親に親身な配慮が出来ないのでしょうか。
   日本の現状で、育児をしている20代から40代の女性は、時間的制約はもとより、様々な条件に制約されています。現象的には、「子どもがいるから参加できない」という形で現れて来ます。自分が学習する時間に子どもを確実、安全に預けることができれば、息抜き、仲間づくり、向上心を満たすことのできる公民館の学習に来ると思うのです。
   また、社会に出て、自分の自由になるお金を持ち始めた30代、40代の女性は、良いものにはお金を惜しまないという傾向があることが調査からわかっています。自分の将来のために投資しようとする意欲も同年代の男性や他の年代の女性に比べて高いこともわかっています。しかし、彼女達は公民館にはやって来ません。システムの革新が出来ていないことが理由であると言って過言ではないと思います。公民館のプログラムとサービスの姿勢が問われているのだと思います。

古市:

選択の混乱は当然ある

  森本さんの追加発言のように両方あるのではないでしょうか。「不易」であるべきところが流され、変わらなければならないところが、「不易論」を盾にして変わっていないということです。
 「不易」であるべき内容までが、時代の流行に流されているとすれば。それは生涯学習システムの責任ではなく、各教育者や教育施設の選択責任の問題であると思います。選択機能そのものが弱体化している場合には「価値」の選択を巡って混乱が起こるという事は当然あると思います。生涯学習のシステムの中に「不易」の価値をどう入れていくかがわれわれの関わるべきひとつの課題ではないでしょうか。

大島:「実践研究交流会」は学習システムの総合化を明示した

    生涯学習は「システム」の変革の問題なのだということを最もはっきりと示したのが、「中国・四国・九州地区の実践研究交流会」だったのではないでしょうか。学習が人々のあらゆる活動領域に関わるものであることから、「異業種交流」や「無境界化」の意味を認識するためには、実践研究のプログラムを開いて見ればいいわけです。そこには常に多様な分野の参加者が集い、教育の垣根を越えた多様なメニューがありました。プログラム自体が、新しい時代が求めていた方向と価値を明確に主張していたと思います。交流会ほどわかりやすく学習システムの総合化の意味を示してきた「あつまり」は少ないのではないでしょうか。 
   教育・学習の問題が教育委員会だけではもはや対応しきれない状況があっても、総合行政・生涯学習行政の必要性の認識とそれへの移行は現実にはなかなか難しかったことは、重松さんの御指摘の通りだったと思います。そういう状況の中で、「交流会」が領域の壁を取り払って、多様な分野の参加者を引き付けたということ自体が、時代の価値を先取りしていたと思います。

森本:連携メリットの自覚

   そう言われればそのとおりですね。
昭和59年という年は実践研究交流会の第3回大会、福岡県立社会教育総合センターの発足、そして、福岡県は同じ年に「生涯学習推進会議」を立ち上げるべき準備会を設置しました。結果的に、7回にわたる準備会を経て、昭和60年2月に第1回推進会議を立ち上げています。
   縦割り行政のシステムの中で、それぞれに異なった行政部局、団体、等で実施される学習、教育、訓練事業の相互理解はありませんでした。お互い貴重な資料や教材を持ちながらその情報が知らされてないことも明らかになりました。事業の実施でも、情報の交換でも、相互に連携すればお互い助かり、活動効果も上がるはずだということが熱っぽく語られました。すぐにでも連携して事業ができそうでした。

三浦:

   しかし、決して容易なことではなかったですね。

森本:異部局間連携を可能にした「テナント方式」の発明

   大変なことでした。
 昭和61年には県行政を中心にあらゆる異なった分野における住民のための「学習機会」の提供事業の一斉調査を実施しました。その分析の過程から「お祭り」の屋台にヒントを得た「テナント方式」による各課合同の第一回「生涯学習セミナー」のスタイルを考えだしたのです。「テナント方式」は、異なった行政部局・団体が、お互いのアイデンティティを犯すことなく連携できる唯一の方法であったと思います。
   その後、教育委員会と知事部局との連携事業が当たり前のように実施されるようになったことは、見方によっては行政システムにおける学習提供機能の革命的変革の始まりだったのかもしれません。少なくとも福岡県の発想が平成元年に行なわれた全国の生涯学習フェスティバルに先行していたことは間違いありません。
   大島さんの意見を聞きながら、実践研究交流会は、その時点ですでに生涯学習革命を先取りしていたのだということに気付きました。推進会議の中でどの程度「交流会」の性格や実態が語られたかは思い出せませんが、実践研究交流会ではすでに分野、領域を越えたさまざまな実践が一つ「屋根」の下で発表され、意見の交換ができていたのですね。
 社会教育総合センターと実践研究交流会を結合したことは、「偶然」と「幸運」の要素も多々あるのですが、結果的に福岡県の生涯学習の推進に多大な貢献をしてきたと再確認をしています。

古市:

   生涯学習が「もたらしたもの」は基調提案に詳しいのですが、これから「もたらすであろうもの」はどんなものになるのでしょうか?

三浦:「生涯学習格差」こそが最大の問題

  いささか極端な言い方に聞こえるかも知れませんが、一番重要なことは「格差」が広がることであると思います。特に高齢社会においては「生涯学習格差」が人々の明暗を分けることになると思います。生涯学習に出会った人とそうでない人、生涯学習を選んだ人とそうでない人との格差は無限大に大きくなるはずです。具体的には、知識格差・情報格差、健康格差、交流格差、その他社会貢献、生き甲斐、自尊感情などに「格差」が生じると思います。
  「いつでも、どこでも、だれでも、なんでも」の理念は選択の自由を前提にしています。そして「選択原理」はかならず「格差」を生むことになるのです。生涯スポーツや生涯学習を実践しないのは当然、本人の責任ですが、「とじこもり」や「ボケ」や「寝たきり」を予想し、社会的活力の低下を予見しながら、現在のような行政の取り組みでは、先が思いやられるというのが正直な感想です。


II   生涯学習「実践研究」の意味と意義

古市:

実践研究の意味と意義

   「交流会」の意味についての発言がありましたので、次に実践研究のシステムをどのように「作っていくか」、「作ってきたか」という問題に移りたいと思います。日本は学校教育中心のシステムが肥大化し、機能不全に陥ったのではないでしょうか。それゆえ、最低限、現行システムの再構築が必要だと言う認識があり、それが生涯学習理念の登場で一気に「承り学習」の反省、「自主的・自発的学習」のすすめへと転換したのではないでしょうか。生涯学習支援についての、行政部局間の連携を目指した「生涯学習推進会議」の設置や最近の行政各部局による「出前講座」の発明などはシステム改革の目指したものと呼んでいいのではないでしょうか。できあがってみると「コロンブスのたまご」ですが、実践の試行錯誤の中で方向を見い出して来たと言うことでしょうか。

森本: 

交流機会の渇望

   色々紆余曲折はありましたが、20年以上にも亘って、システムの問題も含めて、実践事業の研究が続いたのは、「実践」の研究を目的とした「舞台」を設定したことに第一の功績があったのではないでしょうか。
また、視点を変えれば、実践のための研究交流会が持続して、真の研究交流会になったのは「飲み助」のお陰かもしれない(笑い)。6時間の研究討議と6時間の懇親・交流の時間を組み合わせたのは、バランスが取れたのです。社会教育の現場にいたものは、それほど自分達の気持や状況を話し合える「場と機会」を渇望していたということかも知れません。
   いつの研究会にも参加者から地元特産品のお土産が届きました。結果的に皆さんが持ち寄った各地方の特産品がきっかけとなり、「競り市」が始まり、大会の名物になりました。ここからプログラムの印刷費も捻出できるようになり、身銭を切って自前でやる研究会も定着したのです。

古市:

   しかし、どのような組織も事業もそこにいる人びとの発想と、活動の拠点となる施設の協力が鍵になっていると思うのですが。

森本:

参加者の意欲に対応した試行錯誤

   とにかく初めは試行錯誤の連続だったと思います。試験的に続けてきた方法が、実践研究と交流の持ち方のひとつのモデルを提示した事になったのは幸運もあったのです。
   例えば、「特別企画」の導入も自然発生的でした。土曜の午後から開会する発表会のために、午前中からいらっしゃった参加者が会場の外で待っているという現象が起き始めたのです。ですから、その「待ち時間」を有効に使おうというのがそもそもの出発点でした。参加者の意欲が大会運営と変革の原動力であったことは疑いありません。第3回大会(昭和59年)から社会教育総合センターで実施するようになったのですが、その頃はまだ生涯学習センター機能」とはなにかについて検討している段階でしたから、とにもかくにも、九州全域の生涯学習に関する実践研究報告がセンターに集まることは大変な魅力だったのです。
   しかし、研究交流会の運営等については職員を含め全く素人の集まりでしたから、ただただ無我夢中で取り組んだことを思いだします。

古市:

   ほかの地域でもこのような実践を主題とした研究会をやりたいという思いはあったと思うのですが、なかなか実際には発展しませんでした。そのポイントはどこにあったのでしょうか。

森本:

実践研究の「舞台」は参加者が設定

   この大会の発表事例はすでに500をはるかにこえています。4?5年経過した後の具体的研究事例の蓄積そのものが魅力となり吸引力となったということはあると思います。発表事例が増えた分だけ参加経験者の底辺が拡大したということですから。「初めに理念ありき」ということと、坂道を転がり始めた「雪だるまの慣性」のような力がうまく働いたのだと思います。参加者が拡大し始めてからの拠点の意味は極めて大きかったと思います。
   もちろん、センターの職員に対する期待や要求も大きかったことは間違いありません。全九州(現在では、中国、四国も含めて)の実践がここに集まってくる。"恥ずかしくない対応をしなければならない"という思いはいつも強くありました。"他所ではできないこともここではできなくてはならない"という思いもありました。しかし、今日まで続けてこられたのは、何にもまして年々多岐にわたる実践研究発表の数と参加者の増加であり、参加者自身のエネルギーと関心の賜物であったことはいうまでもありません。

重松:

魅力の根源は「事例」次第

  この交流会を振り返ってみると、そこには「企画に関わった実行委員」、「実践事例」、「会場:社会教育総合センタ?」、「事務局の運営経験の蓄積」、「各地から駆け付けてくれた参加者」など複合的な要素があると思います。
   とりわけ、「実践研究の事例」は各地の人と人を引き寄せる重要な磁石の役割を果したといえるのではないでしょうか。大会はいつも具体的な情報が豊富でした。
    実践事例の中身こそが、交流会の「命」であり、「地方からの発信」の意義を決定付けるものだったと思います。 新しく、魅力ある情報を発信する「舞台」に自分も参加するという実感が、人々の参加を促し、発表の魅力になったのだと思います。発表事例推薦の基準が問われる所以でもあると思います。どんな事業も制約条件をかかえており、思った通りには進みません。それ故にこそ他の実践から学ぶ姿勢は失いたくないという感想を持ち続けた20年でした。


大島:

「実際に使えるか」という自らの「フィルター」

   自分自身に引き付けた感想になりますが、交流会に参加していなかったら、現場がいかに実践の土台になる理論を、あるいは計画の指針となるアイデアを必要としているかを実感として学ぶことは出来なかったと思います。
   換言すれば、研究に関わるものは、仮説と検証(実践)の連続的プロセスを明らかにする必要があるということを「知る」ことができたことは、私個人にとって大変重要なことでした。 お蔭様で、意識的にも無意識的にも、常に「これは実際に使えるか」というフィルターを自分の中に持つことができたと思います。 現実に研究者としての貢献は大してできておりませんが、今回の皆さんのディスカッションのおかげで、研究機関に期待されている、(期待されていないかもしれませんが、)「役割」を再認識して、身が引き締まる思いでした。

正平:

孤立しがちな実践者の「よりどころ」

   「研究交流会」の最大の意味は実践者にとって「心のよりどころ」であり続けたということだと思います。20数年継続できたということで、その意味はさらに大きくなると思います。多くの実践者は自らのフィールドにおいてさえ、ともすれば孤立しがちな苦境に身を置いています。数え上げればキリがないほどの制約条件の中で、文字どおり孤軍奮闘の実践に関わることも多いと思います。そうした実践者にとって、県境を越え、職域・職種を越えて「同志」の存在を確認できた事はどれほどの励みと勇気づけになったか計り知れないものがあります。

森本:

担当者の秘かな思い

   わたしも当時の社会教育行政の担当者としては、具体的な希望や期待を沢山描いていました。まず、折角の広域研究会ですから、福岡県の社会教育の振興に活用したいと思いました。当然、 県及び市町村の関係職員の学習機会の拡充になるとも期待しました。また、大会で発表される実践研究の事例は 私たち自身が参考にすべき先導的モデル事業として「盗みたい」とも考えました。
   結果的には、当然私も含めて、多くの方々の出会いや人間関係づくりの場になりました。社会教育総合センターが少年自然の家に留まらず、真に生涯学習の中核センターとしての役割を果すためには、センターに集積される新鮮かつ有効な情報とここに集まってくる「人々の智恵と活力」に懸かっていると感じていました。
   このような諸々の期待と可能性を話しながら、後輩の若い職員には生涯学習センターの意味と意義を、交流会の運営の仕事を通して認識して貰いたいと思っていました。しかし、何にもまして得たものは、自分自身の学習と交流の機会でした。

正平:

「身銭を切った」から「結びつき」が生まれた

   会場を福岡県に固定した結果、20数年の歳月が県内社会教育・生涯学習に与えた影響は大変なものであったと思います。しかも、身銭を切った大会であり続けたことは会の運営・継続そのものが、これからの時代に実践のモデルを提供したと言えるのではないでしょうか。歴史に「もし」はないといいますが、研究交流会がなかったならば、生まれることがなかったであろう人と人との結びつきが生まれ、「つながりの糸」を紡いできた実績は強調して過ぎることのない成果だったと思います。

今村:

分業の貫徹こそが重要では?

   ところで、基調提案においては、研究者と実践者の交流は、「制約条件のなかの実験」と「理想のデザイン」との「かなわぬ恋」であったという総括でしたが、両者はそもそもが分業で出発しているのではないでしょうか。従って、それぞれの役割が初めから異なっているということです。
研究者と実践者との関係は、一方に「理想のデザイン」を作成する作業があって、他方にその「仮説」を検証する別の作業があるというように役割分担の関係を想定しないと実際には難しいと思います。

三浦:研究者と実践者:設計者と施工者

   「設計者」と「施工者」の関係であれば御指摘の通りだと思います。彼らはそれぞれに対してそれぞれのチェック機能が働きます。もちろん実際の建物によっても評価を受けることになります。
   しかし、生涯学習の場合はそのチェック機能が極めて低いということが問題なのだと思います。現場の評価が研究者の実績に深刻な影響を与えないというシステムの中では「仮説提示」機能が進化しないのではないでしょうか。問題は仮説の有効性でしょう。現場性が全く欠如していても研究者自身の評価に関係がないというシステムのなかでは、研究者の実践的応用能力は進化しようがないということです。
   その意味で工学部の委託研究等は現場ですぐ検証される宿命を持っているので、同じ大学といっても仮説や研究成果の有効性が厳しくチェックされるのではないでしょうか。
   最終的には研究者と実践者の職業上の往復を保証するような労働力の社会的移動のシステムの問題であると思います。現場の方々がある時期は、研究職として生き、またある時期は研究職が現場の指揮をとるという社会的に交流可能な柔構造が欠如しているのが日本社会の最大の問題だと思います。
   研究者と実践者の交流がほとんど存在しないシステムの中で、有効で、意味ある「理想のデザイン」を要求するということは多くの場合、無い物ねだりになったのだと思います。両者の交流には職業移動の構造の点検が決定的に重要になると思いますが、当分は無理な話だと思います。「実践研究交流会」を持たなければならなかった一つの理由も研究と実践の分業および交流が機能しなかったというところにあると思います。

瓜生:

理論と実践を結ぶ「橋」は評価

   前会の研究フォーラムで発表いただいた福岡県須恵町の佐々木校長の教員に対する評価の結果は、教育実践のあり方が現場的評価によって進化するという効用が歴然としている事がよく分りました。
   要するに、現状に即して、教育活動が目指した目的が実現できたかどうかを評価してみれば、何が足りないかははっきりと分るわけです。さらに重要な事は、現場に即した評価をはじめたら教師自身も、その教育活動も変わり得るということがはっきりしてきたという事ではないでしょうか。現場の評価を受けるという事の意味がそこにあると思います。
   教育現場と大学の研究のギャップは学校教育においてはさらに大きいというのが実感です。行政の教員人事に関わった中で現場と大学の感覚の違いは甚だしいものでした。人事の窓口から見れば、大学に「現場が必要とする教育をやってもらいたい」という事を伝える事は至難のわざでした。大学は私たちが必要だと考える教育をやっていないし、理解してもいないという感が強かったのです。
   同じような事が社会教育にも言えるのであろうと想像します。行政といい、学校現場といい、具体的な仕事を進める中で、私たちが感じていた教員養成の課題と大学が考える研究や教育のあり方の間には極めて大きなギャップが存在していた事は確かだと思います。問題は理論と実践を結ぶ評価の「橋」が存在しないことにあると思われます。
  研究に求められている「現場主義」はここで論じられた「革命」の進行と共に、その内容や方法が変わっていくのか興味のあるところです。

大島:

「現場性」欠如の理由は関心の不在

   理論と実践を結びつけるという課題については、大学に属する者として考えることが多いのですが、要するに研究者の多くが現場に「関心が無い」という事実が存在すると思います。研究も理論も間違いなくあるのですが、問題は何のための理論か、何のための研究か、という目的意識と関心のあり方なのだと思います。要するに、多くの研究者の目的意識の中には実践に対する関心が不在なのだと思います。
   岡本先生が指摘された研究の「現場性」は、現場に対する関心があるときにはじめて保証されることになるのではないでしょうか。
 現場についての関心の薄い研究者を大量に養成している大学というところは、実に不思議な、日本的な空間と言ってもいいのではないでしょうか。

瓜生:

理論と実践を結ぶ交流システムの不在

   イギリスでは、大学の研究者と教育現場との間に相互交流のシステムがあると聞いています。それゆえ、多くの研究者が現場の教育活動を実践し、また再び大学にもどるということが可能な訳です。日本にも同じような交流のシステムがあれば、これほどまでのギャップは生まれなくて済むのではないでしょうか。しかし、残念ながら、日本にはそのようなシステムは存在せず、ほとんどの研究者が現場実践を通らないままに研究者になっていくのが実態だと思います。
   そのため、研究者の側に、臨床実験の不足(臨床確認の不足)が生じて、現場感覚を失うことになるのだと思います。
   少なくとも、教員養成においては、現在、現職の教師が大学に聴講生で通ったり、大学院に通ったりするようになりました。もちろん、そのことは研究者が教育現場で教育を実践するということを意味するわけではありませんが、多少なりと大学と教育現場の交流の場が出来始めているといってもいいのではないでしょうか。
   問題は、実践と理論研究の間の交流の芽が、社会教育や生涯学習のフィールドにはほとんど育っていないということではないでしょうか?

古市:

   話題が具体的な評価・効用の問題に移ってきましたが、生涯学習の効用というところではどんな課題があるのでしょうか?

瓜生:

実践は本当に実践的か

   例えば県内の高齢者大学などには、対象に即した「如何に上手に老いるか」というような日々の具体的課題を解決するための講座は在るのですか?いわゆる実践的なプログラムは本当に実践的なのだろうかという確認です。

久原:

目標は実践性

   もちろん、それぞれの専門分野ごとに複数のプログラムがあります。健康づくり講座は生涯スポーツの分野にあり、メンタルな講座も別の領域にあります。色々なパターンがありますが、全てを総合したようなウエル・エイジングの講座はないかもしれません。
   少なくとも高齢者については、どのプログラムも実践性、具体的な効用を目指していることは間違いないと思います。

今村:

   センターでも「老いについての学習」、「死についての学習」などについての企画もはじめています。

古市:

   実践的といえば「遺言の書き方」の講座もあると聞いています。(笑い)

太田:

世代間の不均衡

   高齢者の学習は極めて具体的で、しかも皆さん熱心だと思います。十分、実践的かつ具体的だと思います。高齢者はテレビの健康番組もほとんど知っています。高齢者の勉強機会はたくさんありますよ。問題は30代の学習講座が不在だということではないでしょうか。もちろん、この年代は参加者も得にくいことは分っています。みんな働いているわけですから。問題は世代間の不均衡です。
   地域の意識を変えるためには、私たちの活動もどうしても若い人と組むことが必要だと感じています。

林口:

「平均講座」の限界

   私は必ずしも高齢者のための学習内容・機会が豊富であるとは思わないのです。それは、特に、行政の提供している生涯学習プログラムが学習者の多様性に十分こたえているとは思えないからです。
   もちろん、このことは高齢者対象のプログラムに限ったことではなく、他の年齢層についても同じことが言えるのかも知れません。
   私が知っているある大学の先生は「小説の書き方」を学びたいとおっしゃって、わざわざ佐賀から福岡まで通っているそうです。例が特殊すぎるかも知れませんが、少し専門的になると一般のシルバー大学には学習機会は存在しないのです。

三浦:

   私も高齢者の学習機会と学習参加は極めて不十分だという認識です。このままでは要介護老人が増える一方で、「介護制度」が早晩ガタガタになるのは目に見えていると思います。老いは心身の「衰え」と同義ですから、生涯スポーツも、生涯学習も高齢社会の必需品です。高齢者の何割が現在生涯学習の恩恵に浴しているでしょうか。生涯学習に出会うか、出会わないか、生涯学習を選択するか、しないかで間違いなく「人生の格差」が拡大すると思っています。
   「格差」の中身は例えば、健康格差、情報格差、交流格差、社会への貢献度の格差、生き甲斐・やり甲斐の格差などになるでしょう。ベビーブ?マ?が定年を迎えるのはもうすぐですから、大至急準備の受け皿が必要になるはずです。公民館のように、リピーターの学習者ばかりを相手にしている社会教育行政は少しのんびりし過ぎていると思いますね。

古市:

追い付かないシステム

   現在の学習システムは人びとの多様性に対応し切れていず、新しい学習者の開拓にも成功していないということですね。先ほど太田さんが指摘した30代、仕事真っ最中の人びとも含めて、現行のシステムは学習要求の多様性にこたえているかという問題は確かにありますね。

永渕:

学習は社会的風土と中身次第

   私が読んだ報告では、公民館などで最も空白になっていると指摘のあった30代の女性が都会では一番学習熱心で、自らに教育投資をしているということでした。公民館が壮年の世代を引き付けうるプログラムを提供出来ていないということもあるのではないでしょうか?公民館の学習者の現象だけを見て、生涯学習全体の傾向を判断することは危険なような気がします。学習要求が高い方々も、学ぶべき中身と雰囲気がなければ学ばないということではないでしょうか。

今村:

学習者の「分衆化」

   今回ご出席の先輩の皆さんが老いて、引退されたとき、皆さんを満足させるようなプログラムはないと思いますね。首から下は衰えても、首から上は元気なわけで、理屈も文句も人一倍おおく、関心や興味もなかなか平均的なところでは落ち着かないでしょう。思いやられますね!(笑い)学習者はますます「分衆」として細分化されて行くと思います。

古市:

供給者の多様化

   高齢者がさまざま意識も課題も状況も違う中で、実に様々な種類とレベルが必要となっているわけですね。。しかも、これら高齢者の学習意欲は極めて旺盛であるとなると行政だけでは到底対応しきれないですね。トータルとしての生涯学習システムに様々な供給者が必要になるのではないでしょうか。

三浦:

   そうですね。単純に考えても、健康のための運動であるとはいえ、プールに集められて老人の思いを考えようともしない若い指導員から「じゃんけんポイ、あっち向いてホイ」のゲームをさせられるのは耐え難いですね。(笑い)今、そうした風景を実際に見聞しているのですよ。

古市:

   このように高度化し、多様化した学習要求は、たとえばアメリカでは大学が応えようとしているわけですね。

三浦:

   大学も応えようとしていると言った方が正確でしょう。プログラムの供給者は、もちろん、大学だけではありません。しかし、ほとんどの大学に大学付属の、いわゆる「成人教育・学習センター」があり、成人学習の機能を担っていることは間違いありません。しかし、日本の大学にはコミュニティ・サービスの発想が希薄ですから、現状では難しいのではないでしょうか。

古市:

実践的課題は山積

   高齢者の例を考えてもこのように具体的な課題があるわけですから、学校週五日制とか男女共同参画とか働き盛りの「仕事と学習の両立」とかの生涯学習システムについての実践研究の課題は尽きないということですね。
私は東京にいた時、九州で行なわれた実践研究についての情報がおおいに刺激になり、おおいに役立ちました。
   実践研究交流会のような情報発信の仕組みと工夫は今後ますますその必要性を増すと思います。これからは既存のシステムが、時代が要求するスピードにどう応え得るかということが課題になるのではないでしょうか?

林口:

実践研究には「社会的承認」の機会が少なかった

   実践研究交流会は20年にわたって各地の実践に「社会的承認」のスポットライトを当てた事になったのだと思います。正平さんがすでに指摘しましたが、現場の私たちは、苦労した実践の発表と交流によって、とにかく勇気を与えられたことはまちがいありません。苦労や工夫の共有が私たちのエネルギーを次の一年まで持続させることになったのだと思います。
   何人もの人びとが社会教育を離れたあともこの大会に参加し続けてきたのは、ここへ来る事が勇気の源泉であり、同志の人脈が魅力だったという事でしょう。大会の縁で人との出会いがあり、交流によって、仕事の上でも人生の上でも、多くのものをいただいたのは当然私だけのことではなかったと思います。

永渕:

「解釈」の役割

   重松さんや森本さんの発言に関係するのですが、実践研究事例の数が大切であり、事例発表の一つ一つが重要で、それが興味の源泉であるという事はその通りだと思います。
   だけど、さらに重要なのは、社会全体の動きの中で、発表されたそれぞれの事例がどういう意味を持つかという解釈と意味付けであるという気がします。自分自身のことですが、解釈と説明を聞くまでは事業の価値がよくわからなかったという経験があるからです。
    それぞれの事例発表が真に活きるのは、事例の社会的な意味が分ったときだと思います。生涯学習についても、今回、コンビニや宅急便の例と比較して、それが「革命」だったのだという意味づけをきくことによって、なるほど「革命」だったのだと腑に落ちることになったのだと思います。自分は生涯学習が革命であったとは思っていなかったが、生涯学習の歴史の「意味付け」を聞き、理由を指摘されてみればそれは正に「革命」であった事がわかったのだと思います。
   それゆえ、大会20数年の歴史をまとめるにあたっても、取り上げてきた実践研究と交流の「意味付け」が決定的に重要だと思います。

森本:

   事例発掘や評価の視点が素晴らしかったのだと思いますが、林口さんがリードされた佐賀県大会はエネルギーと活気を感じましたね。あの会が続いていないのはいささか残念ですね。この種の活動はやはりそこに関わる人と拠点が問題だという事でしょうか。

林口:

   佐賀大会はまず、九州大会へ送りだす優れた事例を見つけるために企画したものでした。われこそはという熱気がでてきたのは、発表の基準が高度化し、発表選考の視点が拡大したからだと思います。仕事を変わる時の引き継ぎをもう少し確実にやっておけばと「悔い」はありますが、活動の種は今でも佐賀県のあちこちに生き続けているのですよ。

大島:

実践研究交流会の認知機能

   生涯学習活動の渦中にありながら、実感として、それが一つの革命であったとは気付かなかったように、様々な活動・事業に関わってきた人びとの多くが、自分達が生涯学習の一翼を担っていたという実感・認識を持っていなかった事も大変興味がある事だと思います。
   大会企画者による事例の発掘と人々の「生涯学習実践研究交流会」への参加が、当の事例に生涯学習の意味付けを与え、生涯学習活動として自らを再発見することを可能にしたということが重要だったのではないでしょうか。

古市:

   実践研究の交流が各事例の位置付けを明確にしたということでしょうか?

大島:

「概念付与」の循環

   その通りだと思います。大会が生涯学習の旗をあげて、発表事例を発掘してきた事は、結果的に教育分野以外の事例についても、それが生涯学習活動であるという視点を「与える」事になったのだと思います。
   従って、実行委員会を含め、大会の企画・運営に関わる人びとの事例発掘の視点が極めて重要だったと思います。初めから生涯学習活動があったのではなく、さまざまな活動は生涯学習の概念の下に「発掘された」ことによって、生涯学習活動として認知され、整理されたのだと思います。それゆえ、事例発掘者の視点と発想が、生涯学習を定義し、概念を整理するという機能を発揮したのです。
   そういう意味で20数年続いた大会は、発表事例を生涯学習の観点から意味付け、ひるがえって、発表事例の豊富化が、ふたたび、生涯学習の概念を膨らませるという「概念付与」の循環を辿ってきたのだと思います。
   20年にわたって大会が発表事例を発掘し、推薦し、参加を依頼し、資料を作り、頼まれた人びとが手弁当で参加してきたというプロセスに最大の強みと特徴があったと思います。基調提案の三浦論文の中に、生涯学習の概念が広く、文化に似ているという指摘がありましたが、生涯学習の旗の下に多様な参加者が様々な分野から、それぞれの事例を引っさげて集まってこられた事が、まさしく社会の全分野の教育・学習活動を包含するようになった基本的な理由ではないでしょうか。生涯学習の総合性はここでは参加者と事例の多様性によって証明されたのだと思います。
 

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