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(第56回生涯学習フォーラム 参加論文)

生涯学習まちづくりの可能性と限界

平成17年4月16日(土)

福岡県立社会教育総合センター

三浦清一郎

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T  地域学とはなにか

1   学際性と個性の結合

   地域学ぐらい対象が曖昧な領域も珍しい。地域学の研究は良く言えば学際的であり、総合政策的である。悪く言えば地域のあらゆる要素を放り込んだ「ごった煮」のようなものである。それゆえ、時に焦点がぼけてしまう。調査研究の対象も方法論も「ごった煮」である。国際関係論で言う地域研究(リージョナル・スタディ)の国内版とでも思えばいいのかも知れない。原則は特定地域の全体像を把握するための全方位的アプローチである。
   したがって、地域の診断・分析に活用できる調査・研究方法はすべて活用する。それらは歴史、地理、地学、農学、工学、経済、商業、観光、交通、行政、政治、広報、福祉、保健、医療等々にまたがる。いわば総合大学の全学部学科と市役所の全部門を足したような構成になる。
   「長崎伝習所塾」など地域学の先駆的実践もその一例である。そこには「リサイクル問題」があり、「まちのデザイン」があり、「福祉」があり、「国際交流」があり、「子どもの遊び」があり、「環境」があり、「女性の参加」がある。もちろん、地域を構成する要素のどこに研究や実践のアクセントをおくかによってひとつひとつの地域学の特徴が生じる。それゆえ、具体的な地域学にはひとつとして同じ形態や内容のものがない。そこに地域の個性があり、それぞれのまちづくりの個性がでてくる。それは学際性と個性の結合である。

2   「地域未来」の発明

   地域学は原則として地域に存在するものを研究・学習の中心とせざるを得ない。しかし、所与の条件だけを工夫しても、それだけでは現状の突破口は開けない場合も多い。その時は地域みずからが未来の可能性を発明しなければならない。未来にわたって地域に発展させたいものはなにか。地域に新しく呼びたいものは何か。
   地域の発展要因は産業を対象に選ぶことも可能であり、文化を対象に選ぶことも可能である。このような研究はおそらく地域未来学とでも呼ぶことになる。かつて、江戸時代に加賀藩は多くの職人を移住させて、加賀に新しい芸術・文化を育て上げたという。もちろん、新興の芸術や文化から派生する産業を振興した事はいうまでもない(*1)。加賀藩のまちづくり策の成功は江戸時代の地域未来学の成果である。
   このような思い切った発想は現代の企業誘致や学校誘致やイベント誘致の思想の中に継承されている。誘致論は「ないもの」の研究であり、地域未来の発明である。それゆえ、地域の条件に見合った「未来の発明」もまた地域学の課題である。

3   人を動かすエネルギー発電
   
   地域学は地域の研究と人材の発掘というふたつの機能を合わせ持っている。地域の研究と学習はそのプロセスから必然的に人を育てるのである。生涯学習は「人づくり」といい、自治行政は「地域プランナー」の育成と呼んでいる。残念ながら二つの行政は相変わらずの縦割りで、バラバラである。教育行政はまちづくりボランティアや学習ボランティアに力を入れ、自治行政は地域リーダーを育てようとした。生涯学習は生涯にわたった教育・学習機会の「縦の統合」であり、様々な分野にまたがった「横の統合」といわれて久しいが、行政における「横の統合」はほとんど実現していない。この点については、基本的に国、県、市町村に共通している。
   (財)地域活性化センターは平成元年「全国地域リーダー養成塾」を設立した。以来「塾」、「リーダー養成講座」、地域学などの名称のもとに地域研究・地域生涯学習が一気に増加したのである(*2)。しかし、実際には地方の自治体が、住民の中から生まれてきた人材をまちづくりの主体として様々な活動場面を任せて行くのは決して多くは無い。今は、NPOの活動舞台を準備しながら、日本中が住民参加の練習をはじめたところである(*3)。
   いずれにせよ地域学に期待されているのは地域を形成する多様な要素の学習と総合診断に外ならない。診断結果はまちづくりの処方に応用され、参加者の知恵とエネルギーは生涯学習の成果としてまちづくりの実践に移行していくのである。かくして、地域学は活性化論の原点となる。総合的・学際的な地域研究はまちづくり計画の基本であり、住民参加の生涯学習プロセスは人を動かすエネルギー発電の原点となる。まちづくり運動が行政の壁を越えて連携することが重要な所以である。

(*1)  99年版全国693都市ランキング、ダイヤモンド社、1999年、P.51
(*2)  佐々木敦朗、地域づくり戦略(幸田、佐々木、長谷川、三輪共著)、ぎょうせい、1995年、P.95
(*3)  生涯学習NPO研究会、社会教育の推進とNPOII、平成11年



  U  診断の地域学−処方のまちづくり

1   認識と実践の往復運動

   地域学が特定地域の現状と可能性を学際的に明らかにするとすれば、その応用対象は「地域おこし」であり、「まちづくり」である。それゆえ、地域学の研究成果がまとめられているか否かは別にして、優れたまちづくり実践には、当然優れた地域分析が背景となっている。地域学は「診断」機能であり、まちづくりは「処方」の機能である。多くの場合、地域学は実践を前提とした事前調査を担当しているのである。
   また、まちづくりが住民の利便と幸福を目的としている以上、まちづくりのための地域学は単に専門家や行政関係者の研究に留まらない。まちづくりが住民の参加を前提としているように、地域学も地域を愛する住民自身の学習を前提としている。住民に愛されないまちの「まちづくり」が成功する筈がなく、地域を理解しない住民がまちづくりに積極的に参加するはずはないからである。教室の生涯学習をいくら重ねても、まちづくりは進展しない。もちろん、正確な診断のない行動はほとんど実を結ばない。認識と実践の往復運動こそがまちづくりの理想である。

2   「衣食住学」

   学ぶことは人間生活の基本機能である。それは食べることや休むことや働くことと同じように不可欠の条件である。もちろん学ぶためには食べたり、休んだり、働いたりすることが前提である。それゆえ、学習よりは衣食住や労働の方が人間生活の原点に近いと錯覚しがちである。しかし、そうではない。学習は衣食住と同等に生活の基本である。なぜなら、より良い衣食住やより良い労働のためにはよく学ぶことが前提の条件となるからである。衣食住の機能を伴わない生活がないように、学習機能を伴わない生活もないのである。生活の基本は衣食住学の4大要素である。

3   学習機能の再評価

   これまで人間の生活の基本を「衣食住」とだけいって、「衣食住学」と言わなかったのは、「学ぶ」事が自然発生的で、特に意識化され、社会化されなかったからである。学ぶことが生活の基本機能であったことには何ら変わりはない。いつの世も親や先輩や師匠は生活のあらゆる面において、「頭を使え!」と学ぶことを叱咤激励してきたのである。「頭を使う」事がよりよく生きることの基本であったからである。
   生涯学習の登場は「変化の時代」において社会が「学ぶこと」の生活機能を日常的に意識化した結果である。変化は必ず「適応」を要求するからである。変化は新しい「社会的課題」をもたらし、「社会的課題」は人間に新しい「発達課題」をもたらす。これら2種類の課題が生涯学習を産み落としたことはすでに周知のとおりである。それゆえ生涯学習の最大の功績は「学ぶこと」を生活の基本機能として、人々の意識に定着させつつあることである。生涯学習は、課題解決のための「実践」の学として宿命的な役割を負って登場したのである(*4)。
   学習行動が意識化され、大々的に社会化され始めたのはつい最近のことである。国民のための学校制度が登場したのですら近代にはいってからのことである。生涯学習に至っては高々ここ30年あまりの事に過ぎない。いまだにその大部分が教室学習の域を出ていないが、ようやく学習機能の意味が再評価されることになったのである。「衣食住」が「衣食住学」として発展的に認知されるためには、生涯学習の担当者は教室を出て実践の必要にこたえなければならない。

(*4)  拙稿 「実践」の学の宿命的役割、日本生涯教育学会年報第20号、平成11 年, P.133

4   生活必需品

   衣食住の要件が生活の必需品であるように、生涯学習も生活必需品である。必需品の意味は高齢社会がただちに証明することになるだろう。高齢者の生涯スポーツは健康の最重要条件である。高齢者の文化活動は新しい「縁結び」の機能を果す。高齢者の学習は変化への唯一の適応手段である。健康学習と生涯スポーツは「閉じこもり」も「寝たきり」もかなりの程度予防することができる。また、労働の季節を終えた定年者の生き甲斐の大部分は生涯学習の中で発見される。
   生涯学習が必需品であるため、これに巡り会うか否かは、個人の生活に決定的な違いをもたらす。必需品の有無は著しく格差を拡大するのである。しかもこのことは個人の生活にとどまらない。
   高齢者が健康であるか否かは即座に医療費や保健衛生行政の課題となる。市民の社会的適応力の有無は個人の幸福や活力に影響するだけに留まらず、地域や国家の活力を決定する。ここに生涯学習とまちづくりが結合せざるを得ない理由がある。学習が生活必需品である以上、学習の向上は生活の向上を意味する。もちろん、生活の向上はまちづくりの目標である。かくして、住民の生涯学習を支援するシステムはまちづくりの不可欠条件となるのである。


5   喰えない餅

   生涯学習の最大の特徴は「生活」との結合である。それゆえ、生涯学習の大部分は課題解決の「ハウツー」の分かる実践の学でなければならない。学ぶことが衣食住と同様に生活の必需品であることはすでにのべた通りである。必需品という以上は不可欠であり、役に立たなければならない。役に立つか否かを判断するのは「学習者」本人である。実践の学は実践者本人の評価が得られなければ、学習行動そのものがなりたたない。多くの生涯学習プログラムが「パンとサーカス」に歯が立たないのは、現状ではその多くが役に立たないからである。役に立たない生涯学習は喰えない餅に等しく、住めない家に等しい。
   その意味で地域の向上に結びつかない地域学も最終的にまちづくりの処方箋を提示できなければ意味の大半を失うのである。 
   ある研究によれば都市の総合評価の視点は「暮らし易さ」、「豊かさ」、「成長度」の3点である(*5)。また、過疎地域に絞った場合の活性化の目標は「住民福祉の向上」、「雇用の増大」、「地域格差の是正」の三点である(*6)。どちらの場合も評価を実施する場合の指標は極めて具体的である。どのまちの暮らしも具体的な機能と条件から成り立っている以上、評価指標が具体的になるのは当然の事である。それゆえ、まちづくりと結合した生涯学習も内容、方法、成果のすべてにわたって具体的かつ実践的でなければならない。しかし、生涯学習の多くは教室の学習にとどまり、学習はなかなか実践に結びついていかない。公民館講座の変わらぬリピーターや同じようなメンバーで延々と続く高齢者学級等がその象徴である。生涯学習のまちづくり論の多くも同様である。学習の底辺も実践の機動力もなかなか拡大しないのである。

(*5)  99年版全国693都市ランキング、ダイヤモンド社、1999年、P.3
(*6)  過疎地域活性化ハンドブック、過疎地域活性化対策研究会編、ぎょうせい、平成5年、P.2

6   評価を避ける風土

   通常まちづくり評価の第一主体は当該住民である。しかし、評価の基準や指標が明示されない場合、住民評価の多くは漠然とした「満足度評価」の域を出ることはない。住民の中には当然その代表者たる議会や各種の関係団体が含まれるが、これらは特定の利害集団としての傾向が強く、特定の利害関係の状況によって評価が変動することが多い。行政当局はこれらの評価集団と利害を調整し、うまく仕事を運ばなくてはならない。理屈通りにいかないことが政治であり、まちづくり政策も多くの妥協を強いられる事は当然である。まちづくり評価の困難なところである。そういう状況の中では当事者や関係者による行政評価に公正と客観性を期待することは極めて難しい。お互いに対立集団に足を掬われまいとする意識が常に働くからである。
   しかしながら、行政の文化化も、行政の生涯学習化も公平かつ客観的な評価の基準と指標を提示しない限り、いつ迄立ってもかけ声だけにとどまることになるであろう。行政の「監察」機能を担った市民オンブズマン制度が広がっているのも評価を避ける風土への批判ということであろう。当然、大学等第三者の研究機関による評価が重要になる所以である。しかし、第三者の評価機関たるべき大学自体が第三者評価を受けようとしないというのだから何時まで経っても事は簡単ではないのである。


  V  最大の責任者

1   行政主導型まちづくりの宿命

   日本のまちづくりは「市民参加」を標榜しつつもその大半は行政主導型のまちづくりである。その傾向は地域学においても同様である。最大の力は行政にあり、最大の責任も行政にある。まちづくりも地域学も行政との距離が遠くなった時にその多くが沈滞し、時に市民と行政が反目し合うことになる。その是非を論ずればいろいろあろうが、「お上」を中心に暮らしが進んで行く傾向はいまだこの国の歴史的特性のひとつである。「日本株式会社」と呼ばれてきた行政主導のやり方はまちづくりの場面でも所与の条件のひとつである。それゆえ、一般的な傾向として地域学の高まりは行政の理解を反映し、まちづくりの質は行政の質を反映する。
   近年「行政の文化化」の必要が指摘され、最近になって「行政の生涯学習化」が言われるようになったのも、行政の質がまちの質を決定する最重要要因であるからである。このような風土のまちづくりはまちの政治が基本である。要は優れた首長を選出し、そのリーダーシップによって行政の力量を向上させることに尽きるのである。社会が給料を与え、活動の舞台を保証し、常時まちのことを考えるという役割は行政職員をおいては存在しないのである。まちづくりにおける住民参加は重要であるが、行政職員の奮起はその何倍も重要である。「お上」の風土の宿命である。

2   活力の条件

   人間の必要、暮らしの要件を分析すれば、活力の条件は明らかになる。
   第1は経済。産業の振興と雇用の向上である。食べる事ができなければ生きることはできない。
   第2は健康。医療・保健・衛生システムの整備である。健康が良く生きることの前提である。
   第3は治安・防災であろう。安全も生活の前提である。
   第4は文化・教育である。これはそれぞれに意義深く生きるための条件である。
   最後の条件は環境である。環境は生活の舞台であり、3種類の要因で構成される。上記の第1から第4の条件をすべて含んでいる。第1は水緑空土のような自然環境。第2は交通や上下水道のような文明の環境。第3は歴史や社会的風土に代表される文化的な環境である。これらを総合的に組み合わせるのが、まちの政治と行政の力である。それゆえ、すぐれた政治・行政力こそが最終的な活力の条件になることはいうまでもない。

3   「ふるさとは遠くにありて」−選択の副作用

   過疎と過密の格差は今や広がる一方の感がある。小規模市町村には雇用の場が少なく、従って若者は定住しない。都市が主張する活力の条件は、人口規模や財政規模の点で過疎の地域では歯が立たないのである。基盤となる人口と財力が不足すれば、町の活力は落ちる一方である。人口の流失と少子化・高齢化が続けば地域格差の拡大を止めることはできない。
   人口の都市集中は人々の選択の結果である。この点では核家族化、少子化、高学歴化等と同じく人々の選択の結果である。自由社会においては人々の選択傾向を無理に変えることはできない。人々の意思を変えるための社会の強制力は原則として働かない。現代人の多くは都会が好きなのである。都会の富と利便、都会の活気と華やぎ、都会の匿名性と自由、どれをとっても農山漁村には存在しない。こうした活力の条件は過密のマイナスを補って余りあると多くの人が判断している。人口が都市に移動するのはその判断の結果である。過疎のハンディキャップは人々の選択結果の副作用である。今や多くのふるさとは「遠くにありて思うもの」となり、「そして哀しくうたうもの」となった。室生犀星の名詩は今も多くの人の思いに重なっている(*7)。

(*7)  「小景異情(その2)」、室生犀星詩集(福永武彦編)、新潮社、昭和43年、P. 17

4   文明の都市集中と「哀しき矛盾」

   大都市が大都市ゆえに有している都市の特性は当然小さなまちには存在しない。小さなまちに都会の魅力を求めるのは無い物ねだりである。従って、地域学を工夫しようと、商店街の活性化を図ろうと、生涯学習のメニューを準備しようと小さなまちが都会の魅力を獲得することはできない。都市のまちづくりと小さなまちのまちづくりはその出発点において決定的に異なるのである。それゆえ、地域学もまちづくりも都市と田舎では内容と方法が決定的に異なるのである。
   まちづくりを活性化する条件のうち、どの地方にも保証されている唯一のすぐれた条件は水緑空土に関わる自然環境のみである。その他の条件はどれをとっても到底都会と田舎は比べようもない。それゆえ榛村氏が言うように文明の都市集中による「哀しい矛盾」が起こるのである。いわく、「紅葉の美しいところは貧しいところ、水清いところは人住みにくいところ、緑豊かなところは不便なところ.....」と言う矛盾である(*8)。

(*8)  榛村純一編著、まちづくりの極意、ぎょうせい、1998年、P.30

5   小さなまちの論理

   それゆえ、当然のことだが、小さなまちのまちづくりと都市のまちづくりを一律に論じることはできない。特別の配慮が必要である。ひとつは自治体の統合による広域行政の促進、都市との契約による交流人口の拡大、あるいはまた、現状の地方交府税の内容も名称も変えて、「森林交付税」とか「水源涵養交付税」とか「国土保全交付税」とか地方の存在意義を社会が認知できるような特別の支援措置が不可欠である。
   かつて国土庁が打ち出した「セカンド・スクール構想」は既存の「自然の家」や英国の「教育ファーム」に類似した理念であった。農山漁村に学校の「別荘機能」を付加して、都市との交流人口を拡大しようという副次的な効果を重視した発想であった。農山漁村の学校を真に総合的な宿泊型の文化・生涯学習センターにして都市の学校が交代で活用するという構想である。都市と農山漁村との交流を促進する上でも、教育の内容・方法を革新する上でも傑作の計画であったと思うが、いまだに実現していないのはまことに残念なことである。
   林野庁は「山村で休暇を」と呼び掛け、国土庁は「過疎地にふるさとを」とか「リフレッシュふるさと」を呼び掛け、自治省では「若者定住促進等緊急プロジェクト」を提唱して補助事業を行ってきた。それぞれの知恵と工夫で成功した事例には見事なものが多い。新潟県の黒川村、長崎県の大島町、富山県の利賀村等まちづくりの参考書をめくると各地の人々の奮闘振りが活写されている(*9−1、2)。また、国がささえてきた各地のハードとソフトに対する補助事業の内容例は自治省の担当者が執筆した「地域づくり戦略」の報告書に詳しい(*10)。
   しかし、全体としての過疎−過密の問題は解決されていない。個別の成功事例はあるが、小さなまちのまちづくりが「面的」かつ「量的」な成功をおさめたとは思えない。都市から農産漁村への人口の還流を保証するシステムはなんら作られていない。文明の都市集中を止めることなく、都市住民の選択に任せたままで、過疎問題の解決は到底あり得ない。

(*9−1)  浅野恭平、「いなか」の挑戦、実務教育出版、1993年
(*9−2)  過疎地域活性化ハンドブック、過疎地域活性化対策研究会編、ぎょうせい、平成5年
(*10)  三輪和夫、地域づくり戦略(幸田、佐々木、長谷川、三輪共著)、ぎょうせい、1995年、PP.300−344


6   方法論の欠落

   自治省が音頭をとった「ふるさと創成」の事業は「すべての人々がそれぞれの地域において、豊かで、誇りをもって自らの活動を展開することができる幸せ多い社会、文化的にも経済的にも真の豊かさを持つ社会の創造」を理念とした(*11)。
   しかしながら、一方で、大都市に富と利便を過剰に集中させておいて、他方で、過疎地を含めたそれぞれの地域が豊かさと誇りが持てるようになるというのは、どう考えても原理的に不可能である。「ふるさと創成」論は都市集中の規制も広域行政の条件整備も前提としていなかった。小さなまちと大都市を結ぶ条件整備も欠落している。過疎の現況が分かっていながら、「交流人口」の拡大の手段や社会資本の都市への集中を回避する方法論を示さないのは「空念仏」の類いである。
   広域行政の思想を促す「多極分散型国土形成促進法」(昭和63年)や地域間交流を促進するためのいわゆる「地域拠点法」(平成4年)の制定を見たが、現実に小さなまちからの人口の流失は止まらない。若者の住み着かない高齢化は進み、過疎地における「哀しい矛盾」の状況はますます厳しい。ようやく「市町村の合併の特例に関する法律」が大改正されて延長となり(平成7年)、地方の自治体が現状のままではどうにも「立ち行かない」ことが社会的に認知されることになった(*12)。しかし、まちづくりを巡る見聞の範囲では、この先も広域行政の実現も過疎を食い止めるまちづくりの施策も遅々として進まないだろうと予想される。
   文明の都市集中を止められないとすれば、都市から農山漁村へ大量の人口が定期的、継続的かつ互恵的(双利共生的)に環流しなければ、小さなまちは立ち行かない。都市と地方の交流人口が増加しないかぎり、都市は農山漁村の存在の意義と価値を学習せず、農山漁村に都市の活力は「転移」しないのである。

(*11)  幸田雅治、地域づくり戦略(幸田、佐々木、長谷川、三輪共著)、ぎょうせい、1995年、P.45
(*12)  市町村自治研究会編、市町村合併ハンドブック、ぎょうせい、平成7年、「市町村の合併の特例に関する法律の一部を改正する法律等の施行について(通知)PP.158ー164


7   統合化と無境界化

   地域学もまちづくりもその守備範囲の性格上、生活のあらゆる分野に関わらざるを得ない。それゆえ、地域学にも、まちづくりにも、各分野の境界を取り払った「総合政策」論の視点が不可欠である。従って、まちづくりと結合した生涯学習も従来の行政区分や学習の役割分業を無境界化する。すなわち、「学習機能」はそれぞれの領域を繋ぐ「環」の役割を果すようになる。保健衛生行政は健康教育を担当せざるを得なくなり教育と繋がる。教育と衛生の無境界化である。同じく、農業行政は農業技術教育を担当せざるを得なくなり、教育と繋がる。教育行政と農業行政との無境界化である。かくして職業教育を通して、労働行政が教育と繋がり、消費者教育を通して消費者行政が教育と繋がるのである。このようにまちづくりはその戦略立案の時点で生涯学習に帰結する。行政の生涯学習化は「学習の環」がもたらす無境界化の必然である。「生涯学習まちづくり」論の登場も行政の各部門が「出前講座」を始めたのも無境界化の論理の帰結である。

8  生活圏の拡大と自治公民館機能の限界

   自治公民館は第1次生活圏の「集会施設」である。「集会」は町内の会議であり、さまざまな活動の「場」という意味である。この「集会施設」が自治の拠点として機能し得るか、公民館として生涯学習の拠点となりうるか、は常に日本型共同体自治の課題であった。多くの自治公民館の建設には住民の負担が要請される。それゆえ、自治公民館の管理運営はもとより、その掃除に至るまで住民の当番制で行われているのが普通である。しかしながら高度化・複雑化した行政の仕組みとタイアップして、自治公民館が自治と生涯学習の両面で機能する事は決して簡単ではない。自治公民館は自治公民館であるが故に自前の組織である。予算も通常は町内会費の中から捻出される。また、多くの自治体では行政の末端−下請け組織としての「区長制度」と並立しているため社会教育でいう「公民館」の名に値する独自の活動を展開することも容易ではない。
   例外的に成功しているのは、宮崎県綾町の事例であるが、綾町の方式が現代日本の多くの自治体で機能するという保障はない。綾町の場合は「秘境」とさえ呼ばれる独特の自然・地理環境であり、相対的に閉じられた地理的空間の中に位置している。基幹産業は農業であり、だからこそ環境の時代を先取りして「自然生態系農業」を前面に出すことに成功した。ここから先は綾町自治公民館制度の工夫によるが、「手作りの里」をキャッチフレーズとして観光の町の育成に成功したのである。
   現在、多くの日本人は第1次生活圏の中だけでは生活をしていない。また、車社会は「第1次生活圏」そのものの範囲を一気に拡大したのである。それゆえ、第1次生活圏という概念そのものが成立するかどうかも疑わしい。まちづくりの関係者の多くは相変らず、コミュニテイィにおける人間関係の希薄化、第1次生活圏における交流の大切さを指摘するが、「地理的近隣」はすでに交流の不可欠条件ではない。交流もまたより広い範囲での「選択」の対象となったのである。友だちも、仲間も、右隣の町にいたり、左隣の町にいたりする。活動の場面も自治公民館に限定する必要は全く無いのである。近隣の相互扶助が志を同じくする「有志」のボランティアにとって代わられたのも、人間関係や「交流」において選択原理が日本人の日常生活の前面に出たからである。「選択」によって人間関係の拡大を図れる世代と「地縁」による人間関係が選択による人間関係に優先する世代の2種類の人々がしばらくは同時存在することになるであろう。したがって、自治公民館の機能に対する評価も二つに別れるのである。第1次生活圏の「地縁」の意味を重要と考えない人々にとっては、自治公民館によるまちづくりはほとんど機能しないのである。人間関係が「地縁」の範囲を越えて拡散している都市部において自治公民館が機能しないのはそのためである。

9   象徴としてのコミュニティ・スクール

   生涯学習の最大拠点は言うまでもなく学校である。かくして学校の無境界化も必然である。この点でアメリカのコミュニティ・スクールはコミュニティの向上を前提とした優れた理論的先駆の一例である。コミュニティ・スクールは伝統的な学校教育の境界を取り払う点で無境界化の象徴である。コミュニティ・スクール理念における学校は、地域の全員に開放される。それは人々の「公園」であり、「防災施設」であり、「集会所」であり、時に昼の「レストラン」ともなる。もちろん、図書館やプールを初め、いわゆる特別教室は地域の人々の共有施設として各種の生涯学習の舞台となる。駐車場も更衣室も調度も、大人の活動舞台と成り得るよう設計の段階から配慮されるのである。
   コミュニティの福祉を大前提にする点で、コミュニティ・スクールの発想はまちづくりや地域学に似ている。もちろん、開放・共有されるべきは学校に限らない。市民サービスはすべての公共施設の課題であり、この点でもコミュニティ・スクールの発想はあるべき地域サービスの象徴である。千葉県習志野市の秋津が有名になったが、あとに続くものが少ないのは教育行政と学校の閉鎖性が原因である。福岡県穂波町、同豊津町が高齢者や少年の活動拠点として学校を位置づけているがその成否は今後の展開に待たなければならない。

10   教育投資の「アカウンタビリティ」

   土地の広い、経済的に富めるアメリカが学校施設の合理的総合的活用を唱え、施設用地の確保にすら苦労する日本が、未だに学校と生涯学習施設を別々に建設している。まちづくりの総合性、生涯学習の無境界化の視点から見ても明らかに行政における合理性の欠如である。流行りの表現を借りれば税金投資の「アカウンタビリティ」が不足している。学社連携をうたい、地域社会の交流を最重要事項として標榜しながら、学校をコミュニティに組み込む決断をしなかったことは、誠に理解に苦しむところである。コミュニティ・スクール構想は、学校の建設段階から「施設機能の総合性」、「教育プログラムの連携性」、「学校教育とコミュニティ教育の管理システムの分業制」を組み合わせてサービスの効率性を配慮している。学校に限った問題ではないが、「費用対効果」の適正を吟味し、必要条件の機能的連携を提案することは地域学の役割であり、それぞれの機能をネットワーク化し、相乗効果を高め、税金の有効活用を図ることはまちづくり政策の原点である。


  W  変革の宿題

1   自慢の素材−誇りと愛着

   地域学の場合も、まちづくりの場合もその学習には客観的な側面と主観的な側面が共存している。客観的な側面は実態と状況の診断であり、正確な事実認識である。これに対して主観的な側面は「ふるさと感覚」の醸成である。どのようなまちづくり案も地域に対する住民の誇りと愛郷心が高まらなければ成功は覚束ない。住民の参加が得られないからである。それゆえ、地域学の任務のひとつは「ふるさと自慢」を発掘・発見することであり、まちづくりの重要機能のひとつが"郷土が自慢できる素材を創造すること"である。それらは通常、歴史であり、自然であり、風景であり、温泉であり、産物であり、食である。要するに名所、名物に代表される地域の個性の発見と創造である。
   
2   都市の個性、小さなまちの個性

   しかし、大都市の場合は根本条件が異なっている。大都市は大都市であることの中に魅力があり、特性がある。先述のとおり、富も利便も、活気も華やぎも、匿名性も自由もある。すでにこれだけでも大都市に潜在する特性であり、魅力である。名物や名所を補って余りある魅力である。もちろん、すでに、大都市には名所も名物も豊富に存在する。さらに、これらの要素以外に大都市がそれぞれ独自に作り出す「個性」はいわばプラスアルファの魅力である。中小都市や農山漁村が対抗するのは当然容易ではない。小さなまちの個性は小さなまち自身が発明し、創造しなければならないのである。

3   小さなまちの論理

   したがって、生涯学習でいうところの地域学やまちづくりは基本的に大都市の事ではない。中小都市と農山漁村の問題である。大都市における特定コミュニティを活性化する問題と農山漁村の活性化問題を同一の論理、同一の方法で論じる事はできないのである。大都市は大都市だけの住民が喜ぶまちづくりでいいが、地方のまちづくりは都市にも好かれなければならない。都市との共生は地方のまちづくりの不可欠の課題だからである。都市との共生は、「わがまち」と直結した消費地の確保、四季を通じた観光人口の呼び込み、交流人口の滞留化などが基本である。経済も雇用も文化も教育も、従って若者の定住も、様々な点で、都市との交流なしには不可能に近い。それゆえ、都市人口の地方への還流システムが決定的に重要である。都市との交流以外に「わがまち」へ人を呼ぶ方法はないからである。地方のまちづくりと活性化政策は、地方自身はもちろん大都市の住民も喜ぶという二重の条件をクリアしなければならないのである。

4   「帰るところにあるまじや」−ふるさと創成と若者文化

   仮に田舎の市町村が経済的、物理的に自給自足が可能であっても、「精神の鎖国」はただちに若者を失うことに繋がる。農山漁村が後継者の確保に苦労するのは、当然経済的な自立の問題に止まらない。中核は精神の問題であり、文化の問題である。農家に「嫁」のきてがないのは「経済」や「男」にだけ問題があるのではない。農村の文化の象徴的な問題である。現代の女性が農山漁村の文化を許容しないからである。娘は親の暮らしの中に、自分の願いと地域文化が矛盾していることを理解している。母の地位、母の暮らしに自分の未来を重ね合わせて見ている。母もまた、自分が生きて来た状況の中に娘を入れたくないのである。農家にも沢山の娘がいるはずである。その娘達が農家に嫁がないということは、女性を「対等の市民」として認めていない現代の農村文化にこそ原因があると思わなければならない。しかし、渦中の人々は、変えることも変わることもできないまま立ち往生しているのである。そこには世代間の考え方の断絶があり、まちづくりの巨大な障害がある。都市と田舎の感覚のギャップがある。犀星の詩情とは異なるとしても多くの若者が、遠くふるさとを想いながら「帰るところにあるまじや」と感じているのではないだろうか。

5   自己変革の宿題

   いまや、メディアを通して都市の文化が社会全体に浸透している。特に若者に浸透している。全体社会の気分と精神は「自由」と「主体性」である。若者が何時でも、どこでも、どの分野でも活躍できる「無境界化」の時代である。彼らの思考も行動もすでにまちの境を越えて、県の境を越えて、国の境さえ越えている。自由な意思と主体的な行動は既存の境界によって自らを制限することはしない。「ドラエモン」のいう「地球人」の時代だからである。地方の文化にもっとも欠けているのは、若者に許容される自由と主体性の程度である。しきたりは常に若者をしばり、年功序列の文化は常に若者の「出番」を仕切ろうとする。仕切られた「出番」は自由でも主体性でもない。だから若者に元気がでないのである。
   現代のようなスピードと規模で文明と文化が変貌してしまうことは、何よりも熟年の不幸であり、熟年にとって酷である。しかしながら、若者を地方へ呼び戻すためには、なんとしても地方の文化を変えなければならない。おそらく、そのためには現代を仕切っている熟年世代が変わらなければならない。もちろん、そんなに急に地方の文化と風土を変える事など出来る筈はない。変革の困難さは分かっているが、そのことなしに若者の流失は止まらない。そして、若者の定住しない地方の活性化はほとんど不可能なのである。まちづくりは若者とまちの文化の接点を見い出さなければならない。小都市のまちづくりは地域文化の自己変革という宿題に当面している。

6   Small, but Beautiful(小さいけれど素晴らしい)

   榛村純一氏は掛川市の活性化を計画するにあたって、「量と規模の競争はしない」事を前提とした。勝負は「質と本質的な珍しさで競う」というのである(*13)。
   正確にいえば、小都市では量と質の競争は「しない」ではなくて「できない」のである。当然、それぞれの地域個性のみが勝負の決め手となる。電気製品をはじめ「軽薄短小」が売りの時代には、Small is beautiful(小さいことがいいのだ)という論理が流行った。小さな市町村のまちづくりはSmall, but beautiful(小さいけれど素晴らしい)という論理で行かなければならない。人口7,000人強の宮崎県綾町が年間120万人の観光客を惹き付けることができるのは「個性」の創造に成功したからである。地域学もまちづくりも「個性値」の発見と発明が仕事である。大都市の「活力」はそのままですでに「魅力」となりうるが、小さなまちの「魅力」を「活力」にまで高めることはそれほど簡単なことではない。数年前、まちづくり、村おこしの成功例として脚光を浴びた多くの自治体は、今現在、どんな状況にあるだろうか。文明の都市集中が改まらず、都市と地方との恒常的交流の手立てが取られていない以上、おそらくは、調査をためらうほどにさまざまな課題に当面していることであろう。「流行り廃りは世の習い」というが、様々な補助金を受けて立ち挙げた「第三セクター」の大部分が赤字になっているという。小さなまちが「個性」を元手にテーマパークの向こうを張るのは、生涯学習まちづくり論がいうほど容易でないのは当然である。百戦錬磨の企業人が立ち上げたテーマパークでさえも多くがすでに立ち行かないという昨今である。

(*13)  榛村純一、わがまちの活性化戦略、清文社、1997年、P.133


1 発表事例
● テーマ
自治公民館拠点主義のまちづくり事業における「生涯学習推進員」の機能と役割

● 発表者 綾町教育委員会教育長  森山喜代香(宮崎県)
  資料整備担当 福岡県立社会教育総合センター 重松孝士
● 発表年度 平成13年度(第20回記念大会)

2 事例が取り上げられた背景

● 長く継続している事業の中から選ばれた実践事例で構成された第20回記念大会での発表である。(第10回大会では「照葉樹林のまち綾町の自治公民館活動」と題して発表している)。
● 自治公民館制度は多くの地域で導入されているが、どうしても行政の下請け機関としての性格から抜けきらない状況の中で、綾町は行政との協働による新たな住民自治システムを誕生させた。
● 特に、地域住民の主体的なまちづくりや身近なところでの生涯学習の推進が求められる中にあって、綾町ではその推進拠点として自治公民館を位置づけ町行政がこれを積極的に支援している。
● また、最近では行政改革、地方分権、市町村合併などを背景に地域の共同体や自治をどう形成し、維持するかが課題となっている。そうした中、地域住民の自治組織づくり等がひろがっている。その意味からすると、各地域にある自治公民館公民館制度は改めて見直されてよい選択肢の一つである。

3 事例の特性

● 区長制を廃止(区長と公民館長を兼任していた)し、自治公民館を拠点としたまちづくり事業を推進するシステムに変えた(自治組織の統合)。
● 町当局はその振興費を予算化し、支援に努めた(町行政と自治公民館との協働)。
● 中でも、生涯学習の推進を自治公民館活動に位置づけ、生涯学習推進員を各館に配置するとともに自治公民館学習講座を開設した。(自治公民館活動と生涯学習を統合)。
● こうした取り組みが町民に「綾町には行政と住民が協働する自治公民館制度がある」と言わせるまでになっている。(地域住民の主体性の育成)

4 事例の概要

(1)綾町及び自治公民館制度の概要

● 8割を森に覆われた人口7,600人の町。年間観光客は120万人。親子3世代で楽しいくらしのできる町づくりを促進。全国花の町づくりコンクールでは最優秀賞を受賞。モデルにしたい町では第2位。
● 昭和26年から地域公民館の設置促進運動を展開。昭和40年4月から区長制を廃止し、現在の自治公民館長制度に改める。自治公民館数22館。

(2)方法

● 自治公民館拠点主義を基本に町当局は各種の支援施策を推進している。(行政と住民が協働する自治公民館制度)
● 区長制を廃止し、自治公民館拠点主義に改変
行政の下請け機関色が強い自治公民館活動を改めるため区長制を廃止し、自治公民館長制度に改め、「自らからの地域づくり、住民の交流、健康づくり、青少年の育成、生涯学習の推進」など地域自治に専念するようにした。
● 行政の積極的な支援
自治公民館活動を支援するため町当局は各自治公民館に各種の補助金を交付した。
具体例 ・自治公民館活動補助金(16,395千円)
   ・自治公民館建設補助金(900千円)
・自治公民館生涯学習講座(3,880千円)
・町公民館生涯学習講座関係(5,864千円)(*予算は平成16年度)
● 自治公民館「生涯学習推進員」制度を導入(平成5年度)
  生涯学習に関する町民アンケートを実施した結果「生涯学習講座を身近なところで、自由な時間に学習したい」というニーズが高かった。このことを受けて、平成5年度から22の自治公民館に生涯学習の企画・運営を担当する「生涯学習推進員」(教育委員会が委嘱、任期2年、報酬年3万円)を配置し、自治公民館生涯学習講座を開設している。併せて町内指導者の募集・養成・登録(「綾*きらりびと」約100人が登録)事業を実施。→アンケート結果を自治公民館拠点主義に反映。具体の施策として実践したことは評価できる。

(3)形態

● 生涯学習推進員を自治公民館の役員体制の中に位置づけ、生涯学習と自治公民館活動を統合したことは他の自治公民館に見られない特徴である。
● また、綾町自治公民館連絡協議会を結成し、町当局や各自治公民館間の連絡調整を図っている。特に、年間事業計画に「4つの目標・18の実践」を定め、各自治公民館に示すなどの取り組みは特徴の一つと言える。4つの目標とは、「子育て」、「環境美化」、「地域融和」、「健康」である。

(4)成果

● 自治公民館を核にした生涯学習の推進により、地域住民の身近な生涯学習が促進された。
・自治公民館生涯学習講座開設実績(22自治公民館、105講座に延べ7,715人参加)
・町公民館生涯学習講座開設実績(40講座に延べ8,070人参加)( *平成12年度実績)
● 自治公民館制度・活動を通して町民の自治意識を高めた。


5 事例の意義・成果−先駆性とモデル性−

● 自治公民館制度は古くて新しい住民の自治組織と言える。綾町の取り組みは歴史もあり、行政と自治会等との関係や自治公民館活動のあり方に一石を投じた。それは視察の多さやモデルにしたい町として高く評価されていることから納得できる。福岡県では頴田町が綾町をモデルにした自治公民館制度を導入している。
● 生涯学習を自治公民館活動に位置づけ、住民の身近な生涯学習を実践したこと、そして、それを行政が積極的に支援していることが町づくりのパワーになっている。

6 事業の発展性−今後の展望・残された課題−

● 今回取り上げられた「生涯学習推進員制度」は綾町自治公民館制度の中の一事業であり、今後の有り様は自治公民館制度と深く関わっている。町も財政状況が厳しく推進員の報酬(町予算)も次年度から3万円から2万円に減額予定だと聞く。財政的に厳しい中で現活動の維持を含めて、今後どのような活動を選択していくのか課題である。
● 自治公民館活動は地域住民の主体性・自主性、連帯性にかかっている。綾町のように地縁関係が強いところでは住民の意見がまとまり活動も円滑に運んだであろうと推察する。現在町民の1割は制度に加入していないと聞く。加えて新住民が増加する中で自治公民館制度の理解と協力を得る活動や事業の展開も今後の課題となる。とりわけ、次期リーダーの養成と確保は今後の活動の明暗を分ける鍵になるだろう。
● 市町村合併が進む中、綾町は単独を選択した。自治公民館制度を核に住民の力でやっていくことを選択した。今後を見守りたい。

* 『参考』 新しい形の住民自治組織等の動き

・福岡県二丈町:自治会組織の行政区ごとに事業を企画、それを住民同士で審査し、 町からの補助を決定する制度を導入した。

・福岡市:コミュニティの自立経営という理念を立て、校区のコミュニティ(自治協議会)を設立した。

・広島県安芸高田市:住民組織が身近な行政について自主的に提案反映させる仕組みを導入 している。
 

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