1 鍛錬の空白と耐性の欠損
「鍛練」とは金属を鍛えることであり、「習い極めること」であり、修業や修練を積むことである(広辞苑)。家庭の教育力があり、地域の教育力があり、夏休みの教育力があり、土曜日の教育力がある以上、教育力が達成すべき中身が問われる。それぞれの教育力は少年に何をもたらすのか?戦後日本の教育が反発して来たものの筆頭は「鍛練」であろう。鍛練が厳しい修業の別名であるとすれば、戦後の子ども達は、子ども時代の心身の修業を経ずに、突然、思春期に至って「受験勉強」という"擬似修業"に放り込まれて来た。結果的に、現代の少年はひ弱である。体力的に親の世代に劣り、耐性に至っては先輩世代とは比較にもならない。些細なことに「切れる」のがその証拠であり、わずかの困難で挫折するのもその証拠である。「不登校」も「引きこもり」も、多くの非行も基本的に耐性の欠如が原因である。その他子どもを巡る諸々の問題で彼らの「体力・耐性」の低さが関わっていない問題はない。現代の学校にもっとも欠けているもの、現代の地域には存在しないもの、現代の家庭が忘れ果てたもの、それが少年の心身の「鍛練」である。それゆえ、今、少年の自立にとっても、学力の向上にとっても、社会性の陶冶にとっても、もっとも重要な条件、それが「行動耐性」であり、「欲求不満耐性」である。この二つを欠けばあらゆるトレーニングは成り立たない。そしてもちろん、心身の体力・耐性を養うもの、それが少年の鍛錬プログラムである。
2 発想の逆転
教育力の要素を大別すると、「教育環境」と「学習プログラム」になる。従来、筆者は、教育環境が「全体」で、そこから生み出される学習プログラムが「部分」であると考えて来た。しかし、「全体」と「部分」を逆転する発想も可能である。なぜなら。教育意志を実現するためには、いかなる教育環境も、学習プログラムの提供に始まる。学習プログラムの反復によって、教育環境が醸成されたのである。教育環境が初めにあったのではない。このように考えれば、「教育意志」が出発点であり、意図的な教育「プログラム」が初めにある筈である。換言すれば、「環境」も、「風土」も、「人間関係」も、具体的な学習プログラムの実施過程で生み出された条件である。もちろん、ひとたび出来上った教育環境は、それを土台にして次なる新しい学習プログラムを生み出すから、一度学習環境が醸成されると、学習環境が「親」で、学習プログラムが「子ども」になるような関係が生じる。両者の関係は、双方向である。プログラムと環境の「弁証法」である。然るに、子ども次第で親が変わることはいくらでもあり得る。「プログラム」のあり方が「教育環境」を変えるのである。
当然、「環境」と「プログラム」の間には「「偶発性」と「計画性」の違いがある。教育プログラムは意図的であるが、教育環境や人間関係の中で発生する学習は偶発的である。既存の「教育環境」、「教育風土」、「人間関係」などから自然発生的に生じる学習はあくまでも偶然で、気紛れである。それゆえ、偶発的に行なわれる「学習」を、意図的、計画的に行なわれる教育行政の指標に含めるべきではないと考えたのである。そこで、「教育環境」、「教育風土」、「人間関係」など、重要ではあるが、包括的で、漠然とした概念を教育力の構成要素からはずして考えてみた。
そうすれば、家庭や行政が問題とすべき「教育力」の概念を具体的に整理することができる。行政が配慮すべき対象から、偶発的、偶然の学習機会を除外すれば、残るのは「学習プログラム」である。すなわち、教育力とは、「計画的、意図的な学習プログラム」の総体を意味する。このように教育力を限定して考えた時、家庭でも、学校でも、行政でも、それぞれが行なうべき内容と方法がハッキリと見える。それゆえ、「学習プログラム」が存在しないところに、「教育力」はない。また、現状のように、学習プログラムが存在しているにも関わらず、人々が、地域や家庭の教育力が低いと言う時は、「プログラムの質」が不適切という結論になる。その時こそ方法論を吟味し、プログラムに関わる「人、もの、金、こと」を点検しなければならない。公立学校にはすでにそれなりの「人、もの、金、こと」が存在する。しかし、ほとんどの学校に「鍛練」は存在しない。福岡県古賀市立青柳小学校の鍛練歩行の成果も、長崎県壱岐市立霞翠小学校の「タフ」事業の成功もプログラムあっての成功である。かくしてあらゆる「教育力」の本質は「プログラム」のあり方に収斂するのである。
3 鍛錬の教育力の空白
「教育力」とは、具体的な「教育・学習プログラム」の総体である。この前提に立てば、家庭の教育力とは、家族の生活に顕在化している教育の意志と働きかけを意味する。換言すれば、家庭の教育力とは、家庭の中の計画された学習プログラムの意味である。箸のもち方も、衣服の着脱も、言葉遣いも、家の手伝いも、すべてのしつけは「教育プログラム」である。したがって、家庭の教育力がないということは、「教育プログラムがない」ということである。家庭における「教育プログラム」を回復できない時、子どもは家庭では育たない。
同様に、鍛錬の教育力とは子どもに挑戦を促すプログラムの総体である。挑戦の種類には肉体の鍛錬があり、精神や頭脳の鍛錬がある。しかし、戦後日本の教育は、戦前の苦い体験から、「鍛錬」という用語自体に感情的に反発した。恐らく、そうした心情的反発の背景は、本来の「鍛練」概念そのものではない。「鍛練」の名のもとに行われた戦時下の異常な「軍事教練」や「学徒動員」の否定であり、「後遺症」である。それゆえ、不幸にも、戦後の「鍛錬」概念は「軍国主義」教育を連想させるマイナスイメージを背負い続けて来たのであろう。
結果的に、内容的にも、方法論上も、それを支持する指導者の存在も、「鍛練」の教育力は空白になった。当然、鍛錬の機会を失った子ども達はへなへなになった。教育力がなければ子どもの成長・発達を促すことはできない。朝礼に立っていられない子どもも、わずか45分の授業に集中して机に坐っていることの出来ない子どもも、鍛練の空白の象徴である。敗戦から60年を過ぎて、ようやく近年、教育界も子どもの実態を直視せざるを得なくなった。子どもを鍛えなくていいのか、というまともな疑問を発する人が増え始めた。ようやく、本来の鍛練プログラムの期が熟し始めたということである。長崎県はモデル事業の表題・目標に「タフな子ども」を掲げた。壱岐市の霞翠小学校の「タフの子どもを育てる」モデル事業はその本質において鍛練の教育力の復活に挑戦している。また、福岡県古賀市の青柳小学校が行った「唐津まで歩くんじゃー」事業も方向目標は同じである。毎年、遠泳で錦江湾を横断するという鹿児島市の松原小学校の伝統も薩摩に細々と続いて来た「山坂達者」の鍛練伝統の遺産であろう。
しかしながら、多くの通学合宿は子どもの自立を目標に掲げながら、いまだ「鍛練」にほど遠い。少年自然の家のプログラムの多くも、いまだ「鍛練」にほど遠い。モデル事業「タフな子ども」の概念そのものもいまだ整理ができたとは言い難い。戦後教育にとって、「鍛練」プログラムはようやく始まったばかりなのである。
4 強制の意味、他律の意義
子どもにとって関心の不在は学習の不在を意味し、学習の不在は当然向上の不在を意味している。要するに教育の出発点は、子どもの「関心」を「発掘」することである。しかし、関心のないところに関心を発掘することはそれほど容易なことではない。発掘の基本は、「幸運な相関」を呼び寄せ、本人に原因のある「不運な背反」をどのように克服していくかということである。
「関心」のないところに「行動」は起こらない。それゆえ、関心のない子どもは学習にも、修養にも参加しない。放っておいては子どもは何もしない。学習が必要であれば他律の学習、修養が必要であれば強制による修養が必要になるのである。子ども自身が他律に従うプロセスの中から上述の「幸運な相関」を呼び寄せ、強制に耐える「我慢」の中から「関心」発掘の基本条件となる「耐性」が育まれてくるからである。
困難に耐えて、人生の挑戦を続けるためには、何処かで誰かの応援が不可欠である。もちろん、応援の基本は家族であるが、家族以外のどこから来てもいい。不幸な生い立ちをした人が世間の応援を得て一人前になった例は枚挙に暇がない。 応援の三大要素は、「癒し」と「励まし」と「指針の提案」である。少年野球の応援団が「ドンマイ!」、「頑張って!」、「かっ飛ばせ!」と叫ぶのと基本的に変わりはない。
5 「幸運な相関」と「不幸な背反」
(1) 「幸運な相関」
青少年教育の最大の問題は、社会や親が必要かつ大切であると認定するものごとを必ずしも青少年は理解しないということに尽きる。それゆえ、「関心」を育て、「興味」を教えることは全ての学習の出発点になる。しかし、「関心」の多くは自然発生的には育たない。特に、子ども達に負荷をかける挑戦や鍛練のプログラムにおいてこのことは顕著である。負荷も、挑戦も簡単には達成できず、子どもにとって「辛いこと」を含むからである。
子どもの活動は、子どもたち自身がその必要性と大切さを認識していれば、問題の大半は片付いたことになる。「関心」さえあれば、放っておいても彼らは自らの意志で学習や修養に取りかかるからである。「好きこそものの上手なれ」は、「関心のあるところ向上あり」の意味である。それゆえ、教育問題の根本は、「関心の発掘」であり、「関心のないところでいかに教育と訓練を実施するか」という2点に集約される。この二点は、時に、教育意志と学ぶ者の関心の「幸運な相関」の関係となり、時に、妥協の余地のない教育と関心の「不運な背反」の関係となる。
学ぶことの多くは最初から子どもの関心の対象になっているわけではない。しかし、最初は興味がないながらも、プログラムの中に放り込まれ、他律の指導を受けることによって、子どもは変わって行く。指導者の動機付けや巧みな指導によって、興味のなかったものに段々興味が湧いて来るということは日常多くの人が経験することである。これこそが教育効果の最たるものである。即ち、「関心の発掘」は他律の幸運であることが多い。「もともとは関心のないところ」に、教育や訓練の継続によって、少しずつ興味が湧いてくる、という幸運である。教育意志の方向と学ぶ者の関心が一致した時、プログラムは他律と関心の「幸運な相関」を生み出しているのである。
(2) 本人の幸運
もちろん、「幸運な相関」の理由と原因は指導者の資質や指導のあり方のみではない。友だちの影響もあり、親の励ましもあり、社会の喝采もある。当然、自分自身の当該分野の知識や力量の向上によって、やっていることの意味を徐々に理解していくということもある。したがって、学習や活動に取組む時期も重要である。教育学がいうところの「レディネス」や「指導の適時性」等のタイミングの問題もある。さらに、面白さが分かってくるまで続けられかという本人の「耐性」の条件もある。
これらの条件が上手く噛み合って、取組んでいる事柄の「奥が深い」ことが分ってくれば、面白さも増すというものである。したがって、関心の発掘には様々な方法があり、様々な工夫が可能になることはいうまでもない。
ところが、運悪く指導者や時期や社会的な応援に恵まれず、また本人の耐性が低く、努力も我慢も続かない場合、取組みの結果が「関心の発掘」につながらず、ひたすら苦痛が連続するという「不運な背反」と成り果てる場合も世の中には多い。
(3) 「不運な背反」
「幸運な相関」に多様な理由や組み合わせがあると同じように、「不運な背反」にも基本的に二種類の背反原因がある。耐性の欠如による「不運な背反」と「相性」の欠落による「不運な背反」の二つである。
最大の問題は、本人自身の耐性の欠如である。耐性が低ければ、中身の面白さが分るまで活動が続かない。指導者の努力が実るまで子どもの方が我慢が出来ない。最初から拒否反応を示して、活動に取組まない。これらはすべて本人自身の意欲や耐性の問題である。かくして、折角の活動や教育の試みが稔らない原因はプログラムと本人の「不運な背反」である。このことは本人自身の不心得によってもたらされた「背反」である。この場合、「不運な背反」を回避するには、当該のプログラムを止めて、別の手段によって本人を鍛え直すしか方法がない。
(4) 相性の欠落による「不運な背反」
教育意志と本人の関心が噛み合わない、もう一つの理由は、本人と外部条件の組み合わせの問題である。例えば、指導者と相性が悪い場合がある。活動の内容と相性の悪い場合もある。仲間が気に入らない場合もある。本人にとって取り組みの時期が早すぎたり、遅すぎたりする場合もある。これらの場合には、「活動の継続」が必ずしも「関心の発掘」に繋がらないばかりか、続けても、頑張っても意欲も興味も湧いてこないという不幸な場合があるのである。このような「不運な背反」の場合には、文字どおり不運な巡り合わせと諦めて活動を止めるしか方法はない。本人にとっても、親にとっても言わば「退却の決断」が大切な瞬間である。これは「退却」であって「脱落」ではない。「決断」であって、「落伍」ではない。この場合の強制は百害あって一利もない。他律は子どもを追い込んでしまう。親や指導者の判断と決定が最も重要な時である。「退却の決断」は当然のことであるが、子どもが、いたずらに落伍者意識や挫折感をもたないように保護者や指導者は十分にして、細心の配慮が必要である。
6 「誰も代わりには生きられない」-「体験」の意味と「解釈」の支援
(1) 存在の個体性
人間はもちろん、生物の大部分は個体で存在する。それゆえ、体験の本質は人間存在の個体性にある。「個体性」とは「誰も代わりには生きられない」ということである。私たちは肉体的に、しかるに精神的にも他者から切り離されている。「私」と「彼」とは別の肉体を持ち、個別に存在している。従って、「私」は「彼」の痛みを共有できず、「彼」もまた「私」の痛みを共有することはできない。両者が痛みを共有できないということは体験は共有できないと言うことである。自分でやってみるしか分かる方法がないのである。悲しみも苦しみも、ひいては人生も共有できないことは言うまでもない。それゆえ、間接経験から学ぶことには、人間がどうにもできない限界が存在するのである。間接経験とはつまるところ「他者の体験の総括」だからである。
「人の痛いのなら3年でも辛抱できる」と言うのは、哀しい諺であるが、存在の個体性の原理を踏まえている。徒然草にも「友は病みがちこそよけれ」と言う。兼好法師も「病いを通ってみないと、病いの哀しみは分からない」と言いたかったのであろう。
(2) 人生の理解と納得
子どもの人生理解と納得はそれぞれの体験を核としている。自分が身を持ってくぐった体験だから愛着も湧き、関心も深まるのである。関心が育ったところで興味もやる気も高まっていくのである。それゆえ、子どもが生きる力を学ぶためには、自分で生きてみる場面が必要であり、自分でやってみる体験が不可欠である。今や教育における体験ブームである。はやりの「学社融合」や「総合的学習」の報告資料を読むと様々なプログラムを工夫していることがよく伺える。
鍛錬遠足のような「困難体験」、生きる力を標榜した「職場体験」、わら細工や竹細工など地域の人材を投入した「伝統技能体験」、山野海浜の「自然体験」、障害をもった人々の状況を知るための「福祉活動の疑似体験」、「ボランティア体験」、祭りやクリーン作戦の「社会参加体験」などな昨今の体験学習の強調は、遅ればせながら、戦後教育の欠損体験を補完する意味を持っている。
人生とは経験の連続である。経験は身をもって通る「直接経験」と書物や人の話や映像などを通した「間接経験」に分かれる。「直接経験」は主として身体の5官全部(あるいは第6感も含めた全存在)を通した活動で、「体験」と同義である。最近はテクノロジ?が進歩した結果、直接経験と間接経験の境界に当たる「偽似体験」や「バーチャル・リアリティ」などが登場し、経験は三分野に分かれるようになってきた。
(3) 体験の効用ー「未知との遭遇」
「教科書を閉じてまちに出よう」。「座学も実践も」生きる力につなげようと言うのが体験学習のスローガンである。いずれも結構なことである。教室に籠りっきりの生活よりは様々な点でよほど増しである。自分でやってみれば、実際に即して知識を追体験することができる。5官を総動員するのだから「分かること」も「分からないこと」も事態の印象と理解は最も鮮明である。
子どもが動けば、複数の大人の眼に触れる可能性も大きくなる。複眼の評価は単眼の評価より優れていることは一般的な真理である。学校では見えなくても、誰かが子どもの個性を見つけてくれる。
「身体で覚える」ということは、自分の状況を自分の身体で確認することである。何よりも言葉による「ごまかし」がきかない。それが体験の効用である。
しかし、言うまでもなく、子どもに限らず、人間の生活は24時間と決まっている。この24時間は何らかの経験の連続である。それゆえ、体験学習を導入すると言うことは経験の中の体験の「相対的分量」を変えることである。体験の「量」を拡大することは経験の「中味」を変えることであり、経験の「方法」を変えることであり、経験の「解釈」を変えることである。そしておそらく「犬も歩けば棒にあたる」のである。子どもはそれぞれの体験を通して、事件に遭遇し、新しい出会いに遭遇する。先生や親以外の世間に出会うことであろう。子どもの体験はいつも人生における「未知との遭遇」を意味している。
(4) 学ぶ条件がなければ学ばない
子どもが学ぶためには学ぶ条件を整えることが不可欠である。学ぶ条件を意図的、計画的に準備することこそ教育の中心的役割である。もし、子どもに責任感を教えようとするなら、教育的に配慮した上で、子どもたちに責任ある仕事や課題を与えることが必要である。同じように、協力の精神を教えようとすれば、子どもたちが協力せざるを得ない
状況をつくる事が原則である。そして子どもの協力を評価し、非協力的な態度を叱責する環境が用意されなければならない。
学ぶための条件があってこそ体験の意味は理解し易く、直接的指導も一層の効果をあげるのである。分かり切ったことだが「責任感」も「協調性」も教科書で教える事はほぼ不可能である。「親切」も「思いやり」も同じことである。ここ数十年その不可能をやろうとしてきた。途方もない徒労としか言い様がない。
(5) 鍛練プログラムの不可欠
子どもは協力体験から「協力的態度」を学び、責任遂行体験から責任感を学ぶのである。困難体験がなければ困難に耐えていく力は身につかない。社会参加体験がなければ社会性は育たない。それゆえ、各種体験の「欠損」は意味重大なのである。本人にとっては取り返しがつかない。上記の体験が欠損している分だけ子どもの学習は行なわれないと言うことを意味しているからである。
知識は教室で学ぶことが出来る。しかし、感情や態度、行為や作法を学ぶ事は容易ではない。責任の重要性を説いても責任感は育たない。がまんすることの大切さを説いても根性は育たない。ましてや、親切、いたわり、共感、思いやり、連帯など人間にとって微妙な側隠の情は、自らの体験抜きに身につけることはほとんど不可能である。
これまでの教育が「頭でっかち」を育て続けたことは「教室主義」、「知識主義」の必然の結果である。保護者もこの単純な論理を鵜呑みにしてきた。学校教育の「誤り」という言い方は軽すぎる。それは教育行政と学校の過失犯罪に近い。親の過保護と過干渉が問題であるという社会の言い方も軽すぎる。保護者の愛情に疑いはないが、過保護・過干渉を修正できないのは、子どもの未来に対する無責任に近い。体験を通した「体得」こそが「生き方の社会化」の鍵だからである。中でも「体力」は生き物が生き続ける土台である。体力が尽きれば、生き物の存在が終わる。「耐性」は社会的動物の基本条件である。社会はルールを定め、規範を確立して人はそれに従う。資源をわけあい、共同生活を営むためには多くの場面でがまんせざるを得ない。やりたくてもやってはならないことは多い。やりたくなくても責任や役割は果たさなければならない場合も多い。体力も、耐性もプログラムの成果として向上する。鍛練プログラムが不可欠な所以である。
事例1
「青小唐津まで歩くんジャー」
発表者: 古賀市青柳小学校 光延正次郎(平成15年:第22回大会)
「人、もの、金、こと」 資料再整理担当: 恵良 章治(社会教育総合センター)
1 実践研究の背景
(1) 青少年の生きる力の低下が言われて久しい。現代の子どもたちは、自然体験を初めとする様々な体験が、決定的に欠けている。
(2) 生活体験が豊富な子どもほど、家の仕事をする子どもほど、自然体験が豊富な子どもほど、道徳観や正義観が充実している。(平成10年度「子どもの体験等に関するアンケート調査」)との調査結果が出ている。
(3) 現代の子どもたちの生活態度や社会における様々な問題行動は、マスコミ報道等からもわかるように、様々な体験活動の不足に起因しているということができる。
(4) 本事業は、総合的な学習の時間を活用し、計画的、長期的子どもの主体的な活動を中心に構成されたものであり、現在ありがちな、教師主導型で、過保護、短期間の事業とは、性格を異にする。
(5) 困難体験や、生活体験、自然体験がよりハードでダイナミックであればあるほど、子どもたちの勝ち取るものは、質、量ともに充実するはずである。
(6) 体験活動プログラムが、薄っぺらなものが多い時代だけに、本事例は、今後の青少年の体験活動に関するモデル性を充分に有すると考えられる。
(7)
青少年教育を考える時、子どもの発達過程における欠損体験を抜きに語ることはできない。「生涯学習とコミュニティー戦略」(*)によると、現代の青少年教育には、過保護と放任が同時に存在している。そのことは、子どもの発達過程において欠損体験を発生させたということである。自然接触体験、異年齢集団体験、勤労体験、自発的体験、困難体験等々の体験が欠損している。
(8) 過剰な世話は、子どもたちがしなければならないことまでも保護者や学校がやってしまうこことで自立心や、自発能力を奪ってしまった。日常生活における基本的生活習慣が確立されていないことも、過保護に起因する。
(9) 過剰な指示は、家庭や、学校における管理主義を誘発し、我が国の青少年は、自分では何も判断せず、決定しない"指示待ち"人間化した。無気力や無関心、無感動や無責任な態度も、自らの意志で生活する度合いの少ない青少年においては、当然の帰結であった。
(10) 授与の過剰においては、豊かな社会の恩恵の中で過保護に育てられた青少年は、溢れるばかりの物を与えられている。それ故、青少年にとって、"物"はそれほど有難いものではなく、"物"を提供してくれる保護者や社会に対する感謝の念もうすい。
(11) 受容の過剰は、子どもの「言い分」を認めすぎるために、具体的な「しつけ」を不可能にしつつある。多くの子どもが自己の欲求と社会のルールとの自己調整ができなくなってきている。騒ぎたい時に騒ぎ、やりたい時にやりたいことをやる。やりたくないことからは何とか逃れよとする。即ち、「欲求不満耐性」や「行動耐性」が育ってこない。
以上のことから、社会参加体験や勤労体験に乏しく、社会性も低い。甘やかされて育てば、辛さに耐える困難の体験も極めて不足している。このような諸体験は人生を生きていく力をつける上で必要であるにも関わらず、現代の青少年には欠損している。(三浦誠一郎、「生涯学習とコミュニティ戦略」、九州地区生涯学習実践研究交流会編著、(財)全日本社会教育連合会、1991年、P.24)
3 事例の特性
(1) 本事業は、動機付けから、子どもの意志(やる気)を尊重し、やらせられ体験ではない。
(2) 子どもたちが、プロジェクトチームを組織し、計画や交渉、お願い等の準備は、できる限り自分たちの力でやっている。
(3) 単元リメイクの手法を用いた研修は、職員のワークショップ形式での事業に対する十分な理解と、研修システムの確立に貢献している。
(4) 青柳小学校での「生き方を学ぶ総合的な学習の時間」とは、体験学習を通して、「子どもなりに生活に対する見方が変わり、生活の仕方が変わる」ことに主題を設定している。
(5) 活動の条件として以下の点に留意されている。
* 目標設定・・・・やりがいのある(少し不安だが、やってやれないことはない)、終わりがはっきりしており、達成感のあるもの。
* 時間・・・・長時間の活動
* 初めての挑戦・・・・今まで経験したことのないことに初めて挑戦する。
* 感動・・・・活動の過程において心揺さぶられる場面(つらい、困った、苦しい、嬉しい、ありがたい、良かった)がたくさんあるもの
* プラス評価・・・・活動を見たり聞いたりした人から、「よく頑張った」「いいことをした」など、プラス評価を得られるもの。
4 事例の概要
(1)内容
a. 学校概要
児童数 323名(平成16年10月4日現在)
学級数 12クラス(各学年2クラス)
b. 本事業の位置づけ
総合的な学習の時間
c. 本事業の経緯
平成13年度 「青小100キロキャラバン」 【下関】 3泊4日
平成14年度「青小唐津まであるくんジャー」【唐津】3泊4日
平成15年度 「青小情熱キャラバン」 【下関】 4泊5日
平成16年度 「挑戦・友情キャラバン」 【下関】 4泊5日
d. 本事業で付けたい態度や力
【問題を解決する力】
全員が歩けなくても、それぞれの立場の中で、自分には何ができるのか、また成功するためには、何が必要かといった自らの課題を見つけ、仲間と協力しながら、よりよい処理の仕方や判断を行い、目的を達成することができる。また、その自己実現の喜びを味わうことができる。
e. 単元設定上のねらい
・卒業学年として、一生忘れることのできない思い出に残る活動を体験させ、感動を味わわせたい。
・違った条件の中にいる子どもが成功させるために、自分なりに何ができるか真剣に考え、今できることを精一杯取り組ませたい。
・困難なことでも「挑戦してみよう」というチャレンジ精神を持たせたい。
・ひ弱になっている子どもに、困難なことであっても目的達成に向けて頑張り抜くという体験を持たせ、充実感や達成感を味わわせたい。そして自分も「やればできるという」自信を持たせたい。
・食べられること、落ち着いて寝られること、行きたい場所に交通手段を使って素早く移動できることなど、日々の快適な生活ができることのありがたさに気付かせ、今の生活に感謝の気持ちを持たせたい。
・様々なトラブルや問題を解決するために励まし合い、お互いの立場を理解し合い、時には我慢しながら克服していくことで、責任感、忍耐力、友情、愛校心等を育てたい。
(2)方法
a. 主体的・創造的な学び方・考え方・態度
目的達成のために積極的に意見を出し合いながら、綿密なプランニングセッションを行い、ねばり強く計画を立てることができる。その際、成功させるための手だてを、多面的に・多角的にとらえ、あらゆる方法で情報を収集することができる。(人・本・インターネット・事前体験など)また、活動の足跡や、感謝の気持ちなどを表現していくことができる。
b. 自己の生き方を考える
唐津までの旅の様々な活動を通して、たくさんの方々の支えがあったことに気付き、今の自分の生活を支えてくれている両親や周囲の人々に感謝し、自分の生活のあり方を見直すことができる。また、成功させることでの充実感や達成感を味わい、今後、どんなことでもあきらめずに最後まで、立ち向かっていこうという意欲を持つことができる。
c. 活動上の工夫
・「難しそうだけど」、「挑戦してみたい」と子どもが思えるような大きな計画をする。
・プロジェクトチームを発足し、児童が主体的に話し合い、計画を推進できるようにする。
・計画や準備はできる限り、自分たちで考え調べさせる。
・それぞれの立場を認め合い、自分の課題を明確にさせ、課題解決に必要な時間を十分に確保する。
・一人一人が責任を持って行動できるように役割分担を明確にする。
・係からの提案、全員の話し合い、計画実行のサイクルを定着させ、児童全員で作り上げていく学習の形態をとる。
・自分たちの行った活動を、インターネット、編集ビデオ等色々な表現方法でまとめさせる。
・体験後は、子どもたちの想いが発表できる青小学習発表会の場を設定する
d. 活動の実際(75時間)
( a ) 【第1ステージ】 事前準備 35時間
(1) 4.15 学年懇談会で、キャラバンを行うことを提案。(対保護者)
(2) 6. 5 「挑戦について考える」(学級活動)
(3) 計画立案
・プロジェクトチームの選出(16名)
・ウォーキング協会の協力
・野菜づくりの提案(種まきから収穫まで:インゲン豆、にんじん、サツマイモ、 キュウリ、大根)
・コース決定
・当日までの仕事内容、自分についてできることの話し合い
・係活動の提案、決定
・3つの係活動
・キャラバンの新しい名称の決定
・係からの提案、協議、決定
・しおりの作成
・歩行、セレモニーの練習
(4) 3つの係活動の具体的内容
・ 予定・連絡係:校長先生や市へのお願い、式の司会進行、日程・コースの確認、しおり作成、他校との交流、宿泊場所の交渉、名所の説明
・ 生活係:食事の献立、トイレ・風呂の交渉、野菜づくりの提案、食事・トイレ等の当番の提案
・ 安全情報係:健康管理、体力づくりの提案、応急処置、旗、 ハチマキの作成、新聞づくり
(b) 【第2ステージ】 事中 24時間
(1) 10.8 唐津まで3泊4日の「キャラバン」(64キロ)スタート
(2) 実際の活動
・各係活動
・当番による食事準備
・協力校での宿泊
・当番による青小への連絡
・交流行事【自己紹介や、遊びを通しての交流】
・目的達成イベント
・毎日の反省と記録(日記・話し合い)
(3) 歩くことのできない子どもの支援活動
・歩いている子どもとの通信(連絡)
・電話で受けたことをパソコンでまとめる(活動情報の整理)
(c)【第3ステージ】 事後 16時間
(1) 事後の活動
(2) 実際の活動
・あとかたづけ
・お世話になった方へのお礼の手紙
・学習発表会に向けて係からの提案、活動
・学習発表会中間発表
・学習発表会
(3)成果
a. 単元リメイクの手法を用いることで、前年度の本事業を間接的にしか知らなかった職員にとって、前年度の課題が明確になり、課題を解決する上でも、とても有効であった。この「単元リメイク」という手法を今後の職員研修にシステムとして位置づけることは、共通理解を図るという意味において有益である。
b. 本事業を総合的な学習の時間として位置づけたことで、長期間(75時間)にわたるカリキュラムと、一週間総合的な学習の時間〈青小ウイーク〉だけを設定することができ、ダイナミックな取り組みを展開することができた。
c. 前年度の課題である、健康安全対策として、古賀市社会福祉協議会に、宿泊可能なベテラン看護士を依頼することができた。また 学校医が、医院勤務終了後、キャラバンの宿泊場所に連日駆けつけ夜に不調を訴える子どもをサポートした。
学社連携が図られた。
d. トイレ、宿泊場所、パン会社との交渉など子ども自身で行った。困難も多くくじけそうになったが、あきらめずにねばり強く交渉することで、交渉が成立し、希望と勇気を持って努力することの大切さを実感したようである。
e. 前年度の4分の3の子どもが何らかの形で車に乗り歩き通せなかったが、本年度は、4日間を通して、車に乗った子どもは一桁であった。これは、目標を立てる段階で、自力で歩き通すという目標を子ども自身が考えたからである。
f. 夕食準備やトイレ掃除において、昨年は、保護者の支援に頼った面が見られたが、子どもが、保護者に頼らないことを目標とし、実行することができた。また、トイレ掃除の際、お礼の手紙を書いたトイレットペーパーを設置したことが、住民の目に触れ、新聞の投書欄にその行為を賞賛する投書が掲載され、プラスの評価をいただくことにつながった。
g. 夕食材料の一部に、一学期から子どもたちが育てた野菜を中心とする献立も考えることができた。生産することの大変さと、生産したものを食べることのありがたさを同時に味わうことができた。
h. 活動の準備や事後の発表会の際に、インターネット等のIT機器を活用することで、IT活用能力が高まった。
i. 事後活動の学習発表会で発表することで活動のふりかえりや、事業の成功を再確認し達成感や、成就感を味わうことができる。
j. いずれの活動においても、一人一人が責任を持って行動できるよう役割分担のプロジェクトを組み、提案を行っていった。提案に対しては、全員で話し合い、計画実行のサイクルを定着させ、子どもが作り上げていく学習形態を取った。このことが、子どもの、主体的参加、能動的参加につながり本事業の成功につながった。
(4)事業実施/管理運営上の配慮事項
a. 表面に出てこない、裏で支える保護者への負担は、かなり大きかったといえる。地域や社会教育とのより一層の連携が図る必要がある。
b.
子どもに主体的に取り組ませたが、子どもの力(体力、耐性)が高まっていなければ、子どもは、何をどのようにすればいいか戸惑い、空回りしてしまう。本事業の実践までに、子どもたちの力を高めておく必要がある。
5 事業の意義・成果?先駆性とモデル性
(1) 各小中学校等でモデルとして実施することで本事業が広がる可能性がある。
(2) 全国の青年会議所(JC)等においても本事業と同様の事業(100キロウォーク)が平成15年度から展開されており、今後も、社会教育の中での広がりが期待できる。
(3) 民間の旅行業者で実施する企画のモデルとなり得る。
(4) 社会教育の活動に位置づけ、プログラムの内容によっては、地域人材を引き付けることにつながると考えられる。
長距離を歩くという単純な営みのではあるが、歩くことを中心に据え、そのプログラムの中身や、ボランティア等スタッフの関わりなど、今後より一層の創意工夫を行うことで、ますますの発展が期待できる。
実施の主催が、関わる子どもたちの現状をしっかりと分析し、認識し、プログラム内容の工夫を行えば、子どもたちが勝ち取る力は、どのようにも高まるものである。
本事業の発展が意味あるものとなると確信する。
事例2:
目標は「タフな子ども」ー地域と共に歩む学校の創造ー
発表者: 長崎県壱岐市立霞翠小学校、松田裕見子(第22回大会)
資料整理担当:三浦清一郎
1 実践・研究の背景
(1) 子どもの耐性の欠如、主体性・積極性の不足、交流能力・協力の姿勢の不十分、合わせて家庭の教育力の低下、地域とのかかわりの希薄化を教育的に補完する。
(2) 目標は現代を生き抜くたくましさとやさしさをもった「タフな子ども」の育成におく。
(3) 解決策は学校と家庭と地域社会の連携ができるか否かにかかっている。
(4) 目標は「タフな子ども」ー地域と共に歩む学校の創造ーとした。
3 事例の特性
(1) 「タフ」の概念を明確化し、指導の目標を具体化したプログラムを設定し、きめ細かく実行した。
(2) 家庭との連携を具体的な活動目標に焦点化して実行した。
(3) 学校行事を地域社会に開いた。
(4) 地域の人材を始め、各種教育資源を学校教育に導入した。
(5) 定期的な研修会を実施し、教師の意識改革に努めた。
4 事例の概要
(1)内容
a. 学校の概要
*児童の状況
壱岐の島の農村部に位置し、児童数は120名を前後している。学校の児童診断によれば、子どもは「明るく」、「素直」であるが、「主体性」・「積極性」、「耐性」が不足しがちである。
*研究・実践の経緯
平成14年度から3年間、長崎県教育委員会から「タフな子どもを育むための実践モデル事業校」の指定を受けた。
b. 実践研究の仮説と資質の分類
「タフな子ども」の資質は7つに分類した。第1が体力。第2が忍耐力(耐性)。第3道徳的実践力。第4が学力。第5が表現力。第6がコミュニケーション力である。したがって、「タフな子ども」を育てるプログラムは、期待されるそれぞれの資質に対応して設定された。
第1は「体力向上プログラム」、第2は「「挑戦プログラム」である。第3は「基本的な生活習慣の確立プログラム」、第4は基礎学力向上プログラム、第5と第6は朗唱、発表、演技など表現能力を高める総合的なプログラムである。
(2)方法
a. ボランティアの多面的活用
指導の中心は当然教員集団であるが、地域の学校支援ボランティアを多様な分野で活用した。ボランティアの範囲は教科指導の支援から、パソコン、昼休みのさまざまな遊び、図書、環境など多岐に渡った。特に、子ども達が挑戦した島一周をごみを広いながら歩き抜くプログラムには多くの地域住民・保護者が参画した。
b. 目標別プログラムの実行と結果の記録
各プログラムの中身は以下の通りであるが、それぞれの成果はすべて記録するように努めた。3年間の記録は結果の成否、実績の経緯を明らかにしたのである。
*体力プログラムは「おはようマラソン」、「全校体育」、「サーキット・トレーニング」(バービー→スクワットジャンプ→平均台→タイヤ飛び越し→鉄棒→立ち幅跳び→肋木上り下がりで1セット)に力点をおいた。
*基礎学力向上プログラムは読み書き計算力の定着を目的とした。
そのため各種ドリルを充実し、「計算チャレンジ」、「音読タイム」、「漢字チャレンジ」、「読書タイム」検定などを工夫し、読書活動を平行させ、T.T.授業を導入し、習熟度別指導を導入した。
*基本的生活習慣の確立プログラムでは年間を通して「あいさつ、ことば使い、忘れ物なし、後片付け」の重点指導を行った。
*挑戦プログラムには、通学合宿、鍛練プログラムの実施を行った。
*表現力とコミュニケーションのためには、朗唱、音読、太鼓、全校発表会等を企画した。
c. 結果の記録
体力トレーニングの結果も学力チャレンジの結果も、その他の活動の成果に付いても極力指標化して、児童の向上の結果を記録し続けた。これらは「体力に関するデータ」、「学力に関するデータ」、「生活全般に関するデータ」、「挑戦プログラムに関するデータ」、その他「保護者や地域住民の評価に関するデータ」として保存されている。児童/教員の活動を指標化し、記録を継続した結果、問題の分析、解決処方の方向を定める上で客観的な根拠となったことはいうまでもない。
(3)形態
「学校サポーター」の名称のもとに4つの組織でボランティアの活用を促進した。これらは「翠の会(タフ事業推進サポーター)」、「学校支援ボランティア」、「挑戦プログラム実行委員」、「ゲストティーチャー」の4種類である。ボランティアの活用に代表されるように住民との「協働」を実行に移したことが従来の学校になかった特徴である。
(4)成果
実践と研究成果の詳細は学校が作成した「研究紀要」に譲るが、子どもは疑いなく心身共に「タフ」に育ったのである。すべての分野で教員集団の共通理解の上に立って、教育の目標管理が徹底し、活動の成果は著しいものがあった。それはプログラムの成功であり、学校経営の成果である
結果の第1は体力の著しい向上、第2は学力の特筆すべき向上、第3は挑戦プログラム大成功、第4はマラソン、水泳、どろリンピック、クリ?ン作戦、朗唱、演技など全校発表会の充実などに見られる。特に、壱岐の島を徒歩で一周しながらごみを拾うという島の環境整備事業は、保護者と住民の支持を受けて2年に亘って大成功をおさめた。また、日常のさまざまなチャレンジ・プログラムを総合した全校発表会では、マラソン、演技、朗唱など表現力、コミュニケーションの能力、集団行動の維持能力などに抜群の伸びを示した。こうした活動の過程で子ども達の「耐性」が向上したはずである。耐性だけは現状の科学では数字にして測定は出来ないが、現象的には、集団活動の「行動耐性」に現れる。また、日常の規範を守ることによって我慢強い「欲求不満耐性」が現れる。その具体的な成果は、家庭との連携で進めた「親子の約束」の実行率に現れる。「親子の約束」事業は、各学級の担任が定期的に実施状況を点検しているので、「親子の約束カード」の提出率が把握できる。提出状況の向上は、約束が守れている証拠である。当然、事業の副産物として、学校に対する保護者の関心が高まり、学校への協力の姿勢も大いに前進した。
(5)事業実施/管理運営上の配慮事項
これまでの常識にとらわれない独自の学校運営を目ざした。そのためには教員が変わらなければスローガン倒れになる。霞翠小の実践のすべての出発点が教員集団の発想と姿勢にある。体力の向上も、困難プログラムへの挑戦の成功も、表現の素晴らしさも、学力の向上も、すべて教員集団の理解と団結と努力の成果である。保護者の圧倒的な支持もその大半は、教員集団が獲得したものであった。それゆえ、成功したモデル事業はどのようにその遺産の継承を叫ぼうとも、成果の発展を願おうとも、存続はしない。これらの成果を作り上げた教員集団は転勤によってやがて解体する。解体と共に蓄積したエネルギーも経験則も再び元の木阿弥に返る。残念ながらそれが人の世の宿命である。
5 事業の意義・成果?先駆性とモデル性
(1) 「タフ」概念を焦点化して具体的なプログラムを対応させることに成功している。
(2) 抽象的な論議を避けて、活動成果を指標化し、数字をもって教育の効果測定に挑戦した。
(3) 内部の苦労は察するに余りあるが、教員集団の共通理解が確立し、共同実践の体制も最後まで崩れなかった。
(4) 教員集団の熱意と努力が保護者を説得し、地域住民の協力を引き出し、学校と地域との具体的な「協働」のスタイルを実現した。
(5) 成果は子どもの集団行動と表現力に集約され、見る者の心を打つまでにその能力を高めた稀な例であろう。
6 事業の発展性ー今後の展望/残された課題
*霞翠小学校の成果は教員集団の勝利である。体力の向上も、困難プログラムへの挑戦の成功も、表現の素晴らしさも、学力の向上も、すべて教員集団の理解と団結と努力の成果である。保護者の圧倒的な支持もその大半は、教員集団が獲得したものであった。それゆえ、成功したモデル事業はどのようにその遺産の継承を叫ぼうとも、成果の発展を願おうとも、存続はしない。これらの成果を作り上げた教員集団は転勤によってやがて解体する。解体と共に蓄積したエネルギーも経験則も再び元の木阿弥に返る。残念ながらそれが人の世の宿命である。
*地域に土曜スクールや、サマースクールが始まった時、学校はどのように関わるのであろうか?もちろん、子育て支援は学校の任務ではないが、施設その他の学校資源の提供など、学校の協力できる範囲は大きい。学社連携がスローガン倒れにならないためには、子育て支援こそ次の地域の課題であり、学校が関わるべき課題である。学校が学校だけで教育を遂行する時代は終わったのである。家庭の教育力、地域の教育力の衰退がもたらした必然である。
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