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(第46回生涯学習フォーラム参加論文)

生涯学習の複合課題とプロジェクト・マネジメント
−なぜ、総合的なアプローチが必要か?−

平成16年6月19日(土)

福岡県立社会教育総合センター

三浦清一郎

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1   生涯学習の最重要課題―「子育て支援」と「高齢者の介護予防」
   今や生涯学習の最重要課題は二つに絞られたと言って過言ではない。「子育て支援」と「高齢者の介護予防」である。
   子育ての成否は未来の社会を決定する。現状では、子どもの「質」に関わる課題と子どもの「数」に関わる課題が同時に発生・進行している。当然両者は無関係ではない。数の少ない子どもに親は過剰な保護と過剰な自由(放任)を与える。結果的に、子どもの「質」は破壊される。育ってくる子どもの「質」が余りにも虚弱で、反社会的なので現在の親も、未来の親も、これ以上苦労する親にはなりたくない、と考えるのも当然の反応である。最近の出生率は1.29と新聞が報じた。国会が論じた年金の算定基礎は早くも崩れたのである。少子化は止めなければならない。女性の社会参画は推進しなければならない。すべての問題を解決するためには社会による子育て支援は不可欠である。「養育」の社会化は待ったなしである。
   高齢者の「介護問題」は近未来の地方財政を破綻させる。現状のままに高齢者が増え続ければ、どんなに社会が稼いでも財政は持たない。老人はいずれ社会の「厄介」を通り越して若年世代の敵となる。高齢社会では、若い世代を経済的に抑圧するのも多くの老人、若い世代のライフスタイルを認めようとしないのも多くの老人、若い世代の決定を常に邪魔するのも多くの老人、自ら学ぶことを停止し、自らを鍛える事を投げ出して無為徒食するのも多くの老人である。現状の高齢社会が続けば、こうした老人が世に満ちるのである。社会に依存してゲートボールやグランドゴルフ、歌や踊りにうつつを抜かしている"浦島"老人はやがて生物の必然のならいで、老い、惚ける。個人的に発生する家族問題はもちろん、社会が負担すべき医療費も、介護費も財政的に持つわけはない。それゆえ、高齢者の介護予防とは高齢者の心身の自立訓練と社会参加の勧めに外ならない。税金を投入した行政主導型の生涯学習(スポーツ)が選択的遊び、趣味、実益に終始した時代は終わったのである。今や、ごく少数の「元気老人」と大量の「厄介老人」及びその予備軍の「生涯学習格差」は巨大である。文科省の高齢者教育も、福祉行政の高齢者対策も、その教育発想において基本的に間違ったのである。現在行われている大部分の高齢者教室、高齢者大学の類いは高齢者を「消費者」として遊ばせ、「被扶養者」として面倒を見、社会貢献の役割を終わったものとして遇する。高齢者が急激に衰えるのは必然である。社会的活動の舞台を創設しない高齢者プログラムは、高齢者の「生きる力」の分析を過った時代錯誤の税金浪費に過ぎない。高齢者の教育に当てられている公金を「選択的に」投入するのであれば、高齢者の社会貢献事業にこそ投入されるべきである。「義務的に」投入するのであれば、「介護予防」の生涯学習・スポーツに投入すべきである。

2   「複合課題」の登場
   公害に「複合汚染」があるように、行政には「複合課題」が登場した。「子育て支援」も「介護予防」も緊急かつ「複合的な」行政課題である。「複合課題」とは行政上複数の分野にまたがる課題である。社会的には、多様な背景を有する。したがって、「複合課題」は多様な要求にまたがり、多様な機能を同時に果たさなければならない。通常の行政事務の日常業務では解決出来ない。分野横断型であるため、従来の、「縦割り」、「単独の」行政分野では解決出来ない。「複合」とは複数の課題を持つので複数の専門分野のアプローチを必要とする、という意味である。そうした複合的なアプローチは、「プロジェクトマネジメント」と呼ばれ、「インタラクティブマネジメント」と呼ばれ、時に「総合的マネジメント」と呼ばれる。名称の違いは、それぞれが最も重視している要因の違いに起因している。組織のあり方を重視すれば、「プロジェクトマネジメント」であり、機能の関係性に重点をおけば、「インタラクティブマネジメント」である。「総合的マネジメント」は、目標の「総合性」に注目している。本論ではその具体例を「子育て支援」を素材として論じている。上記のアプローチに即して言えば、「支援の目的」は総合的で、それぞれに明確でなければならない。当然、目標達成の組織は臨時の実行組織として「プロジェクト制」が必要である。また、「支援」に関わる様々な要素の「ネットワーク」と「関係性」が重要である。上記3点が「複合課題」の解決方法の3大条件となる。
   篠田は「総合的マネジメント」を5段階に分解する。第一は「総合」が必要となる目的の明確化である。第2は「総合性」を支える「維持」と「革新」と「支援」の目標である。第3は「維持」、「革新」、「支援」のそれぞれに対応する管理方法である。第4は複数の目標、複数の管理方法の「体系」であり、第5はそれらの「関係性」である(*1)。
                      
(*1)  篠田 修、目標達成力強化マニュアル、産能大学出版部、1996年、p.31〜40

3   複数の目的?複数の機能−現代の「子育て支援」は「複合課題」である−
  「子育て支援」には、保護者の支援機能があり、青少年の健全育成機能があり、地域教育力の活性化機能も含んでいる。結果的に、少子化対策機能を果たし、男女共同参画の促進機能を果たす。短期的には、学社連携や学校週5日制対応機能も果たす。これだけ多面的な目標があり、多様な機能を必要とする以上、単独の行政部門では到底対応不可能である。青少年健全育成は学校教育と社会教育にまたがる。保護者の子育て支援は生涯学習と福祉にまたがる。地域の活力・活性化問題は市役所・役場の全部署に関わる。少子化対策も同様である。男女共同参画は女性政策に関わる。それゆえ、現行の「子育て支援」事業には碌なものがないのである。「学童保育」は存在しても青少年の健全育成事業にはほど遠い。「子どもの居場所」を作っても少年集団は形成出来ず、活動メニューの指導者すら確保できていない。相談事業も子育てサロンもきれいごとの看板だけで、全面的な支援が必要な子どもにも、保護者にも行政サービスは届いてはいない。
   「生きる力」の創造のためには子どもの活動プログラムが必要である。大勢の子どもの活動のためには広くて、安全な拠点が必要である。活動プログラムが子どもの興味関心の多様性に対応しようとすれば、多様な指導者の発掘と確保が不可欠になる。労働の季節を終了した熟年層を放置すれば、必然的に「衰弱と死」に向かって急降下する。それゆえ、高齢者の能力を地域に活かし、高齢者自身の元気を回復するためには、子育て支援の指導者として彼等をお願いすることがもっとも身近な対応策である。
子どもの活動は当然家族のライフスタイルに関係する。女性が安心して社会に参画するためには、「子育て負担」を社会が引き受けなければならない。それゆえ、放課後や休暇中の子どもの活動機会が現在のように散発的ではほとんど意味を成さない。働く家族(特に、女性)の労働時間帯に一致したウィークデーの恒常的な活動・保育が必要である。
   現在、上記の条件をすべて満たした行政プログラムは存在しない。「学童保育」には子どもの豊かな活動がない。福岡県のアンビシャス広場のような「子どもの居場所」づくり事業では恒常性も、活動性も欠けている。学校の協力が得られない現状では、保育にも、活動にも、広くて安全な拠点を確保できない。学校5日制対応事業は週末の自由時間に対応している。ウィークデーの活動・保育の機能は果たすことができない。
   公民館や児童館の少年プログラムではごく少数の指導者しか配置出来ない。多数の少年の活動拠点としてはハードの面でも極めて不十分である。人材の確保でもハードの整備でも、すでに地方行政の財政難は大規模な少年事業を破綻させている。結論的に、ボランティア振興行政を抜本的に見直さなければ指導者の確保はできない。
   要は、福祉行政では表記の総合的な教育事業はできない。一方の教育行政には保育の視点が欠落しているので、男女共同参画の視点で落第である。また、理屈ばかりが先行している男女共同参画行政には少年問題に取り組む能力も意欲もないであろう。高齢者行政は高齢者の保護を考えても、高齢者の生涯学習的活用には思い至っていない。子育て支援行政は複合行政である。分野横断型のプロジェクトでなければ実行出来ない。それぞれの機能の「関係性」が重要なのである。ビジネスの世界では「インタラクティブ・マネジメント」と呼ぶ。「関係性重視」の経営である(*2)。ビジネスは「ネットワーク」で成り立つ。人間の生活は相互依存的であるからである。行政サービスも同じであろう。少年の活動を促進し、放課後や長期休暇中の保育を確保し、安心で、安全で、少年の多様な活動を保障する拠点を確保し、多様な指導者を配置し、熟年層の元気を回復するような複合的な施策が求められているのである。現代の「子育て支援」は、現行の縦割り行政の日常業務では取り組むことができない複合的な課題なのである。「複合性」を構成する多様な要因の「関係性」こそが重要なのである。「関係性」を重視し、総合的な「子育て支援」のあるべき状況を図示すれば、次のようになるであろう。
(*2)  嶋口充輝、関係性構築とその条件、矢作、青井、嶋口、和田、インタラクティブマネジメント、1996年、p.185

4   総合的「子育て支援」の関係図
   女性の社会参画条件を整備し、子どもの「生きる力」を育み、熟年層の活動舞台を創造する行政分野横断型の総合的「子育て支援」プロジェクト


5   「養育」の社会化の必然

   子育ては原始の昔から原則として家族の中で始まる。しかし、現代の家族・家庭はもはや子育ての任務と機能を十分には全う出来ない。膨大な不登校児童の存在はそのまぎれもない証である。学校の低学年授業が授業にならない「授業崩壊」現象も家庭の育児機能不全の実態を如実に物語っている。  
それゆえ、「子育て支援」の目的を大別すれば二つである。第1は子どもへの直接的支援。第2は保護者、特に女性の「育児負担」に対する直接的支援である。この際、施策の現状は批判的に分析しなければならない。現在、行われている「家庭教育相談事業」や「子育てサロン」や「育児教室」などは行政による「間接支援」である。これらの「間接的支援」は選択的支援である。市民が選択して、活用しなければ気休め以上の意味は持たない。行政サービスの実態は、支援を必要とする市民にはほとんど届いていない。したがって、ほとんど役には立っていない。何よりの証拠は育児を巡る保護者の問題も、子どもの「質」を巡る問題もその大部分は解決されていないことである。子育て問題はますます多発し、ますます深刻化している。
"共稼ぎ"の家族にあっても、実際の家事や子育て負担は女性の肩にかかっている。男女共同参画を進め、女性の社会参画の条件を整えるためには、社会による養育の支援が不可欠である。
憲法の規定はもちろんのこと、個別の分野においても、男女雇用均等法が施行され、続いて男女共同参画社会基本法が制定されて、法的に男女は対等になった。しかし、法律は文化を律することはできない。伝統もしきたりも、法には従わない。従って、法律で「男の生活態度」は変わらない。男支配の文化で育ってきた男達は心情的にも変わりたくはない。女性の育児負担が変わらないのはそのためである。
   一方、文明の恩恵によってすでに男女の能力差はほとんど存在しない。女性自身の希望もあって社会は法律によって女性の権利を再確認し、その社会参画を明確に支援している。当然、女性は従来の男支配の文化に異義を唱える。女性の意識も女性の生活態度も大きく変わってしまったのである。「変わってしまった女」と「変わりたくない男」が衝突するのは不可避であった。衝突の結果は、晩婚化であり、非婚化であり、少子化であり、熟年離婚である。将来的には「生き残る妻」の「衰える夫」に対する「介護拒否」さえ予想させる。死後の墓ですら「変わろうとしなかった夫」と一緒には入りたくない、と公言する女性も登場している。社会は「変わりたくない男」に変革を迫ると同時に、日常的な子育て支援の制度を整えない限り、衝突の副作用はますます増大するだろう。様々な家族機能の外部化の中で「養育」は最後に残された領域である。外部化を促進する最大要因は女性の社会参画である。「育児」の重要性、育児の幸福論はそれぞれに正しいが、同時に育児に要する時間とエネルギーと能力を考慮すれば、育児こそが女性の社会参画を阻害する最大要因である。「少子化」は「子育て」が阻害要因として働いた証明である。育児が女性の社会参画の阻害要因でなければ、「少子化」は起らなかった筈である。女性の社会参画を保証し、合せて「少子化」に歯止めをかけようとすれば、養育の社会化は不可欠の施策になる。

6   教育と保育の統合
    −教育行政−福祉行政−男女共同参画行政の共同プロジェクト

   当面の目標は、「少子化」傾向に歯止めをかけることである。狭い国土では「少子化」もまた歓迎すべき現象だとする論は成り立たない。何故なら、人口が縮小均衡を取り戻す間、福祉や労働力構成など社会の混乱は図り知れない。この間、生き残った高齢者を社会は支え切れないからである。もちろん、「少子化」は「変わりたくない男」が変わらない限り止まることはない。そして、残念ながら、男の意識は当分変わらない。女性の社会参画はますます進む。家族が安心して子育てをするためには、「養育」の社会化が行政の任務である。乳幼児はもとより、学童期の子どもについても、放課後や休業中の養育のための社会的条件の整備が不可欠になるのである。従来の福祉の発想による保育は教育と統合されなければ家族の安心は保証できない。「少子化」は行政施策の統合を要求している。
    従来、地域において子どもの遊びや活動を支えてきた集団はすでに衰退し、あるいは衰退しつつある。環境も激変している。子どもが集団で安全に遊んだり、活動する条件はほとんど消滅している。「居場所」を確保し、活動を指導し、安全に目配りする指導者を発掘し、指導システムを制度化することが具体的な養育の支援策になったのである。子どもの生き生きとした活動は「居場所」を作っただけでは始まらない。それはすでに数十年にわたる「学童保育」の実践で学んだ筈である。現行の子どもの「ひろばづくり」の施策も、「子どもの居場所づくり」の方策も、地域環境の構造変動を十分には理解していない。子どもの危機的状況も理解していない。居場所を作っただけでは健全な育成は出来ない。子ども集団も形成されない。地域環境の構造変動はなまやさしいものではないのである。「居場所」と「子ども集団」と「指導/活動プログラム」が総合的に機能してはじめて子どもの発達に寄与する。行政の「縦割り」を排し、保育と教育を統合することが不可欠の課題になったのである。

7   組織横断型ー分野横断型「プロジェクト」の創設

   現行の行政機構を変えることができない以上、行政システムの中に特別の「プロジェクト」を創設するしかないのである。「プロジェクト」とは、「特定の目的を達成するための活動計画」(*3)の意味である。したがって、日常業務の遂行システムでは実行出来ない特別課題の達成が目的である。「既存の組織においては、組織間で壁ができ易く、複数の部署を巻き込んだ横野改革を拒みがち」であり、「縦割りの組織においては、組織が細分化されていることにより、担当している職務に関する合理性は追求されているものの、各組織において最適化を行おうとするため」、全体の合理性の追求が難しくなるのである(*4)。プロジェクトの推進に関する流れについては企業が様々な試行錯誤を詰み重ねている。メンバーの選出から実行計画書の作成まで、推進の必要作業については「社内プロジェクト推進マニュアル」に詳しいが、事業が「プロジェクト」である限り最も重要なのは部門の組み合わせであり、人選である。「多くの階層から人選」するのが基本である。プロジェクトが「複合事業」であれば、偏らない多様な情報が必要であり、複数の分野にまたがった人々の参加意識を高めなければならないからである(*5)。
   子育て支援事業は現代の行政における「プロジェクトマネジメント」を必要とする典型である。「子育て支援」を本格化しようとすれば、学校と社会教育と福祉と男女共同参画の担当課はプロジェクトチームの最低限の構成要因である。学校は「子どもの生活・活動拠点」を提供する。社会教育は、指導者の発掘・確保と研修を担当する。福祉は「保育の概念を拡大して、教育との融合を図り、教育行政と共同して、少子化対策および子育て支援の予算を確保する。男女共同参画の担当課は、教育行政福祉行政と共同歩調をとって、女性の社会参画と安心の子育て支援システムを両立させるべく、総合的子育て支援の意味を議会と住民に説得するのである。

(*3)  E-Trainer.jp著、プロジェクトマネジメントの基本と仕組み、秀和システム、2000年、p.10
(*4)  同上、p.21
(*5)  沢本豊雄、社内プロジェクト推進マニュアル、PHP、1993年、p.35~36

8   豊津「寺子屋」のPPP(Public Private Partnership)モデル

   「財政難を背景に、公共サービスの受託ビジネスが大きく育とうとしている」と日本経済新聞が指摘した(日経2004年4月18日)。市場規模は6000億円になるだろうと想定している。「財政難」が「受託ビジネス」を育てるという背景には、役所でやると非効率だが、民間に任せれば管理が可能になるという意味が隠されている。「戦略的アウトソーシング」とはそういうことである。2003年度末の「民間委託度」ランキングの1位から4位までを福岡県の都市が占めた。春日市、小郡市、宗像市、筑紫野市の順である。その後に全国の都市が続く。福岡県は時代の先端を走っている。民間委託が最も進んでいる施設は、公園・児童遊園、コミュニティ・センター、市区民会館・公会堂、市区営病院・診療所と続く。庁舎の受付や学校給食の委託も始まっている。認可保育所の運営を受託した企業もある。従来の生涯学習には戦略的アウトソーシングの発想が皆無であった。生涯学習プログラムの充実は現状のシステムの範囲内でやろうとする発想しか出て来ないのはそのためである。したがって、関係者の意見を聞いただけでは現在の施策の延長上の発想しか出て来ない。したがって、「公的サービスの外部委託」のような未来予測は決して登場しない。
   福岡県京都郡豊津町の子育て支援事業は「寺子屋」の名称で運営している。運営原理は子育てに関係する複合的な目的をすべて網羅したPPP;Public Private Partnershipの方式(自治体経営における民間活力の活用法)である。主管課は人権対策課の女性政策係であるが、運営はプロジェクトの為に立ち上げた「実行委員会」方式を採用している。実行委員は男女共同参画懇話会を経験した委員の中から様々な職業的背景を有した人々を選考している。すべて民間人である。子育て支援の拠点会場は学校にお願いした。生涯学習施設として機能していない学校が子育て支援にその施設・機能を開放したことは画期的である。活動の指導者は民間から募集し、子育て支援に限定した研修プログラムを通して認定している。研修を受講していない者は指導に関わることはできない。指導者は「有志指導者」と呼ばれ、活動の指導に従事するボランティアである。日本社会の「ボランティアただ論」の反省に立って、「有志指導者」のボランティア活動には僅かではあるが活動を支援する「費用弁償」を行っている。参加児童は学校を経由した公募方式で呼びかけ、一日100円の有料制を採用している。子ども達の活動メニューは、「有志指導者」の指導領域を勘案して実行委員会が設定している。
   PPPによる「協働」原理の導入目的は、「最少のコストで行政サービスへの要求を満たす」ことである。原理は「経済性」、「効率性」、「有効性」であると換言することもできる(*6)。豊津「寺子屋」モデルはこれらの条件をすべて満たしている。PPP方式を採用しない限り事業実施が可能ではなかったことが最大の証明であろう。民間の活力を導入しない限り、50名を越える指導者を確保することは到底不可能であった。女性政策を担当する職員はたった一名である。実行委員による「プロジェクト制」を取らなければ、事業の運営は到底不可能であった。
   地方の生涯学習も福祉の子育て支援や介護予防プログラムも活動プログラムの多様性を欠落している。男女共同参画行政は口ばかりで、子育て支援の実施発想はない。また、子どもの活動を指導すべき生涯学習支援行政では、職員の給与にほとんどの行政資金を投入せざるを得ないので、事業予算は極めて貧弱であり、具体的事業はできない、のが実態である。こちらも「地域の教育力」などという掛け声ばかりで実質的な子育て支援ができないのはそのためである。行政職員を削減して、その給与分の財源で民間に事業実施を委託する。PPP方式こそが豊津モデルの示している方向である。

(*6)  杉田、光多、美原編著、日本版公共サービスの民間開放、LEC、2002年、p.7

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