妻来る&車買う

 東京にいる妻が長めの冬休みを取ってステートカレッジまでやってきた。二人ともそれぞれにひとりで暮らしていると粗食で済ませがちなところを、二人だとついよく食べて飲んでしまう。せっかく落ちた体重も復活基調になってきて気まずいので、少し運動を取り入れようというところ。
 妻はCNNのアンダーソン・クーパーのファンなので、日本では午前中にやっていて生では見れない「アンダーソン・クーパー360°」が生で見れると喜んでいる。普段は自分の好きな番組以外のテレビはあまり見てなくて、CNNはあまり見ていなかったので、改めてニュース番組をよく見ていると、アメリカに住んでいるくせによく知らなかったことがいろいろとでてくる。その国で生活していることでアンテナに触れる情報も多いのだけど、今はCNNやインターネットのニュースサイトでも情報としては十分に流れているし、逆にそれらに触れなければその国にいても触れないこともあるなと改めて感じた。
 それとここ数日にはもう一つ結構大きな出来事があった。妻が訪ねてくる少し前のクリスマス前の週末、車を運転中にいきなり飛び出してきた鹿をよけ切れずに思い切りはねてしまい、愛用のフォード車が大ダメージを受けた。とりあえず走るのだが、ライトは大破し、ボンネットがねじ曲がって、見た目はどうみても事故車。それにラジエーターが曲がってしまい、少し飛ばすと煙がでる始末。修理代の見積もりを取ったら、車を買った値段よりも高くついてしまうのでどうしたものかと困っていたところ、妻の一声に後押しされて今回は少しましな車を購入することにした。
 近所のディーラーを数件回り、ちょうど入荷したばかりの中古の2003年のシボレー(Chevrolet)車を勧められた。またしてもアメ車かと思いつつも、壊れたフォード車をそのまま下取ってくれて、手続きもすべてその日に終わって即納可というので即決で購入した。車のグレード自体が前の車よりも高いこともあり、快適さがずいぶん高まった。前の車はだいぶ安く変えたし乗り心地は悪くなかったものの、ランニングコストが年々増して結局金額的にはだいぶ投資額が増えていた。購入時にまとまった投資ができるかどうかにかかっているけれども、自動車のような高額商品は、できるればある程度最初にまとまった投資をして買った方が結果的には満足度が高くなるんではないかという経験を今回はした。

DDR+ビリーズブートキャンプ

 秋学期も終わり、はたと気づけばもうクリスマスになっていた。毎年この時期は冬ごもりのように一日中パソコンに向かって仕事するばかりの日々が続く。運動不足にならないために、大学のプールに行ったりすることもあるものの、冬休み中は大学の施設も休みが多いので、うちで何か代用するものを探す必要が生じる。
 一昨年は、PS2のアイトーイ用のフィットネスソフト「EyeToy: Kynetic」を利用した。昨年の今頃はちょうどWiiを買ったところだったこともあり、Wii SportsとDDRで適度に運動することができた
 今年は何をしているかというと、昨年に続いてDDRと、先日つい安売りに釣られて衝動買いしてしまったビリーズブートキャンプを組み合わせたメニューを取り入れている。組み合わせると言っても、それらを同時にやるわけではなく、その日の気分で適当にDDRをやってビリーのレッスンを一つこなすといったことをやっている。
 最初は筋肉痛がかなりキタのがきつかった。それとビリーばかりだと続かなそうだったが、DDRをアクセントに入れて無理せず適当に休み休みやって、なんとか続いている。1週間で効果が出ると書いてあるが、確かに身体が引き締まった感じがした。適当にやっている割には、この1ヶ月ほどで2キロ体重を落とすことができた。
 ビリーズブートキャンプは日本ではさんざん話題になって流行っていたので、今さらな感もあるのだけど、確かにあれだけ流行ったのもまあ納得な感じ。プログラムとしてペース良くデザインされていて、運動した気にさせられるところと、ビリーのコーチとしてのキャラクターの良さが組み合わさっているところに人気の理由があると感じた。一昨年やったEyeToy:Kineticも、プログラムとして悪くはなかったのだけど、どうしてもペースが遅いというか、ソフトウェアの読み込みやら場面に切り替えのせいでつなぎが悪くなりがちなのが運動のペース作りを妨げていて、使い心地がもう一つだった。このソフトはただ流すだけになってしまうビデオ教材の制約の範囲の中で、ビリーの語りや後ろにいる人たちを使うことで擬似的にインタラクションを取り入れることができている。
 このことは、教育メディアの使い方としてみれば、インタラクティブなメディアを使うよりも、制約はあっても使い慣れた古いメディアを使いこなした方が結果的に質のよいものができるという点で示唆的なところだ。
 最近発売されたWii Fitがヒットしていることもあり、これからWii用のフィットネス関連ソフトが注目されることだろう。でも新しいメディアを使えば効果が上がるというものではなく、目新しさに頼るばかりで使用感のよくないソフトはすぐに飽きられる。履歴管理や複数人プレイのような機能を売りにしたとしても、それらはオマケでしかなく、なんと言ってもまずはエクササイズのペース作りが一番重要になる。
 既存のゲーム型フィットネスプログラムはプログラム自体の質の面やデータの読み込みなどのテクニカルな面で肝心なエクササイズのフローを阻害しており、そのせいで従来のビデオ型プログラムに及んでいない。その部分でビリーズブートキャンプと同等かそれ以上のものができてしまえば、それはもう間違いなく従来のビデオプログラムを超えた次世代のフィットネスプログラムになるだろう。

英仏滞在雑感(2)

 前回のフランス編に続き、イギリス編。
 運良く今回招いてくれたコベントリー大学の関係者たちと出発前に合流できたおかげで、リヨンからコベントリーへの移動は特に問題なくスムーズに行くことができた。

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英仏滞在雑感

 ヨーロッパ出張から帰宅しました。仕事のことはまた別に書く機会があると思うので、ここでは引き続き個人的な雑感を簡単に。
 一番の感想は、アメリカだけ見てては見えないものがヨーロッパにはたくさんあって、もっとヨーロッパに目を向けた方が面白そうだし、よりよい判断をするための材料が得られそうだということ。それはシリアスゲームの話だけでなくて、生活のなかのちょっとした場面で経験する価値観や捉え方の違いにおいて、アメリカ的でない西洋文化の広がりがあって、アメリカはその一つのタイプに過ぎないということをこのわずかな滞在の間に考えさせられた。

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フランス流国際会議運営

 Serious Games Summit Europeに参加するために、フランスのリヨンにやってきた。概要的なことはシリアスゲームジャパンにのちほど書くとして、ここでは個人的な雑感を。
 今回は主催者が用意してくれたカンファレンス会場の隣のホテルに滞在した。リヨンの国際会議施設エリアで、前方はローヌ川が流れ、後方には公園があって、緑豊かでとても眺めの良くて気持ち良いところにある。
 このカンファレンスでは、ヨーロッパのシリアスゲーム分野で話題になっている開発者や研究者と会うことができて実りの多い機会になってよかったのはさておき、何よりインパクトがあったのは、フランス流のカンファレンス運営だった。開始時間は朝9時なのに時間を過ぎても一向に始まる気配を見せず、主催者あいさつを大幅に圧縮して調整しつつ、20分遅れで開始された。でもそれはまだましなもので、ランチと午後のセッションの調整の仕方はもっとすごかった。一般参加者には立食形式でカジュアルなランチを提供されていて、そこではワインがソフトドリンクのように出されていて、みんな当然のようにワインを飲んで談笑している。食べ物も今までに参加したどんなカンファレンスのランチよりも豪華で、まるで夜のレセプションを昼間っからやっているようなノリだった。
 さらにスピーカーや関係者にはVIPランチと称して、隣のヒルトンホテルのレセプションルームで着席式のコースランチが振舞われた。いかにもホテルの団体客用フレンチっぽいものが出てきて、こちらでもワインがテーブルに並び、フランス人はみんな普通に飲んでいた。これも日米の普通のカンファレンスでは考えられない。
 VIPランチは移動などで開始が遅れ、さらに料理の出るペースもコース料理なので遅くなり、セッション開始時間を超えても、みんな気にすることなく食事を楽しんでいた。結局、二つあるうちの一つのセッション会場は40分遅れで開始となり、一つ目を飛ばして二つ目の発表から始まった。まるまる一つの発表がすっ飛ばされて消えてしまい、主催者は悪びれる様子もなく普通に午後のセッションが続けられた。
 日本でこんなことになれば大事だし、そもそもこんなことにならないように主催者は気をもみながら会議運営をするものだが、ここでは他国からの参加者もフランス流だからしょうがないといった様子で笑って受け入れているし、フランス人もこういうものだとばかりにたいして恐縮もせずにやっている。フランス人の人生の優先順位は仕事ではなく、食にあるということを見せつけられ、格の違いというかなんというか、ギャフンと言わされた思いがした。少なくとも、僕とウィ先生のセッションはランチ前だったので被害にあわずにすんでほんとによかった。
 ラテンな人々の国はこんな感じだから仕事の生産性が上がらないのだよ、などとちょっと思いつつも、それでも実は彼らの人生の方が豊かかもなぁともちょっと思いつつ、生き方の価値観の違いとはこういうものかと考えさせられる経験だった。

来週は欧州ツアー

 今週末から、ヨーロッパ出張。フランスのリヨンと英国コベントリーの2ヶ所を訪問する。今週はその準備と博士論文研究の作業が重なって超過労働ウィーク。
 フランス・リヨンの方は、Serious Games Sessions Europe(シリアスゲームジャパンを参照)で、韓国のオンラインゲーム研究者として知られるウィ先生と一緒に発表してくる。ヨーロッパ各国のシリアスゲーム研究者、開発者がどのようなことに取り組んでいるのかを知るよい機会なのでとても楽しみだ。アメリカで開催されるシリアスゲームイベントにもヨーロッパからの参加者は多いが、わざわざ出てこない人たちも多いと思うし、実際今回の発表者の多くはアメリカで発表していない人たちだ。ちなみに、僕は今年のこのSerious Games Sessions EuropeのAdvisory Boardメンバーになっていて、プロポーザルの査読をやったりもした。だんだんとそういう仕事が増えてきている。
 英国・コベントリーの方は、コベントリー大学が設立した Serious Games Instituteの視察とここのプロジェクトに参加する研究者と企業のヒアリング。シリアスゲームを軸にした産業振興で大規模なプロジェクトが進行中とのことなので、どんなことをやっているかを見てくるのがとても楽しみだ。
 シリアスゲーム分野は、ヨーロッパの方もなかなか面白くなってきているので、今後もう少しヨーロッパの動向を力を入れてみていきたいところだ。

アマゾンの電子ブックリーダ「Kindle」発売

 Amazon.comのトップページを開くといつもと様子が違っていて、電子ブックリーダ「Kindle」の紹介文がトップに出ている。
 ワイヤレスで電子ブックをダウンロードして手軽に本が読める、薄くて軽い読書専用モバイル端末で、価格は399ドル。この端末の価格にネット接続料金(携帯電話のネットワークを使用)や登録料は含まれているようで、あとは新聞の購読や電子書籍などのコンテンツを個別に買って利用するスタイルらしい。
 アップルのIpodの書籍版のような感じで、アマゾンから直接電子ブックをダウンロードしてきて電子端末で読書を楽しむ新しいライフスタイル提案型の商品とも言えるが、レビュー欄に寄せられた消費者のコメントは賛否両論に分かれている。「こりゃすごい。絶対買う」というファンもいれば、「高すぎ。安けりゃ買う」、「こんな古臭い端末ダサくてつかえねー」といった意見もあって反応はまちまち。レビューというよりは、ただのコメント欄になっているが、アマゾンのこのクリスマス商戦の主力商品に対する消費者の声としては面白い。あと、商品ページではデモビデオも豊富に掲載されている。日本語の情報はIT Media Newsにでている。
 使い出したら便利な気もする反面、399ドルは高い気がするし、ワードファイルは読めてもPDFは未対応らしいのと、ファイルの転送関係もあんまり使いやすそうな感じがしない。紙媒体に対するニーズを完全にカバーして余りあるところまでいくには、あと何度かバージョンアップが必要そう。どうせならペン入力で自由に書きこみできたらいいのに、とかいろいろと欲も出てくるが、まずは重たい書籍を代替するところまでいけば上出来か。少しして値段も下がってこなれてくるころに購入を検討した方がよさそうな商品か。今のところ米国のみの発売とのこと。

祝・ギターヒーローIII発売

 タイミングを逃してしまって、注目している人からすれば今さらな話だが、ギター型コントローラーを使ってプレイする音楽ゲーム「Guitar Hero III」が北米で発売された。いきなり100万本を超える売れ行きで、本作もクリスマス商戦にかけて売れまくるのは確実。三作目にしてようやく日本でも売り出されるのはめでたい。曲のラインナップを見れば、洋楽ハードロック・へヴィメタルファンの心を捉えるのは必須。ややマニアックな感のあるコナミの「ギターフリークス」では獲得し切れなかったユーザー層を獲得して、日本では一息ついている感じの音楽ゲーム市場の再拡大が期待できる。
 ちなみに、ギターヒーローIIIの対抗馬として、ギター、ベース、ドラム、ヴォーカルでバンドプレイできる「Rock Band」というゲームもまもなく発売されるので、こちらもかなり注目(個人的には最近趣味でゲームする時間がゼロ続きなのでチェックできるかはかなり微妙。一緒にプレイできる友だちいないし;。メイデンのRun to the Hills とか入っててかなり燃えそうなのだけど!)。

 このギターヒーローシリーズの何がそんなに人気なのかは、第一作のときからこまめにエントリーを書いて解説しているので、下記の過去エントリーを参照のこと。

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スキルの鈍りに対する感覚

 渡米して一週間が経過。時差ボケのせいで夕方以降は気を緩めると寝落ちして、起きると早起き過ぎでまだ真夜中、という毎日が続いた。そろそろ単なる早起きくらいの時間に戻りつつある。
 日米で生活のなかで使うスキルが違うため、移動してすぐはしばらく使わずに鈍っていたスキルのリハビリ期間のような感じになる。切り替わるスキルの筆頭はもちろん英語。誰しもが経験するように、しばらく使わないでいると普通に聞けていた音が聞けなくなり、言えていたことが言えなくなる。これは第二外国語なので仕方のないことだ。日本語でも多少ある。スピーチのつなぎ言葉が出てこないとか、社会人の作法的な表現が反射的に出てこないとかそういうところに現れてくる。
 ただ、移動も回を重ねてくると、数日前から無意識のうちに頭が準備しようとする。英語で考え出したり、戻ってから人に会うときのことを想像して受け答えを考えたり、CNNを見るようになったりする。アメリカに戻った後も、テレビドラマの会話を意識して集中して聞いたり、日常であえて会話が発生するようなことをして、練習機会を作ろうとする。自分がおよそどれくらいできるかがわかっているので、そこまで戻すための調整のような感じで活動している。自分の英語が今のレベルから上達しないのは、調整のレベルを超えたことをする努力を怠っているからだということも一応わかるようになる。
 車の運転も、日本では全く運転しない一方で、こちらに戻ってくると日常生活の一部になる。2ヶ月以上も運転しないと感覚が鈍っているかなと思いきや、5分も運転すればだいたいもとの感覚が戻ってきて、いつの間にかブランクのことは忘れて以前と変わらない感覚で運転できるようになる。水泳やゴルフや、しばらくやってなかったゲームをたまにやったときなどでも、基本的に何でもそんな感じ。身体的な運動技能の方が自分が意識している以上に身体が覚えているので感覚が戻りやすい。
 何事であれ、しばらく離れていればそのスキルは鈍って、自分がこれくらいできると思っていたことができなくなる。機能的な衰えと違って、鈍っている程度であれば少しやれば元に戻る。筋肉も脳みそも、いったん鍛えておけばそのレベルまでのキャパシティができる。あるスキルに熟達してくると、自分がどこまでできるかがわかり、鈍っていると自分ができていない状態を知覚できるようになる。スキルのレベルと自分の位置を把握できないのは、まだそのスキルに熟達していないか十分でない状態だろう。
 そしてその熟達の度合いも相対的なもので、自分のレベルが上がればまた未知の状態が訪れ、今までわかっていた気になっていたのは何だったんだ、という気になる。傍から見て達人の域にある人が、未熟さ認識していたり、素人目には違いがわからない動作が実はとても奥深いものだったりする境地がある。それらはその域に達してみないと、説明されただけでは解釈や想像を組み合わせて理解するしかなく、同じ目線ではまず理解できない。
 自分の力量の最大値とその中で今の自分がどれくらいできているかを知覚する力というのがスキルの熟達に付随していて、自分の達したレベルより下のレベルについては、少し動作を見ればだいたいどれくらいのレベルかを評価できるようになる。そのとき下地になっているのは自分の経験と感覚なのだろう。格闘技であれば相手と組めば自分より上か下かがわかるようになるし、人間力的なものも相手と対峙すればわかる。腕相撲で腕を組んだ瞬間に勝てるかどうかがだいたいわかるような感覚だ。自分の力量に対して自分が向かっている相手がどこにいるかで判断する感じだと思う。
 個々のスキルについてそれぞれそういう感覚があるとして、学習そのものに対する感覚を磨くことで、それぞれのスキルの感覚を助ける面もある。それがメタ認知や自己統制といった学習の分野で語られている熟達を早める学習の要素だったりする。
 学習について理解を深めることを本業としていても、学習について頭で考えてばかりいると、個人的な学習に対する感覚と結びつかない。なので自分の感覚を起点にして考えている肝心な時に、前に読んだ誰それの関連文献が結びついてこない。こういうのが自在に結びついてスラスラ言えるのがその分野の学者としての熟達なのだろう。
 そういう基準で考えて、自分がどれくらいわかっているかもわからないし、自分の最大値に比してどの位置にいるかもわからない。それをなんとかしようという努力も不足している。つまるところ、自分はこの分野の学者としての熟達には程遠いということだろう。

再び米国生活

 ステートカレッジの自宅に到着しました。昨日は丸一日移動日で、成田からデトロイト経由の約16時間の移動。飛行機が1時間早く着いたのはよかったものの、入国審査と税関は長蛇の列で、抜けるのに1時間以上かかった。
 短期の語学研修と思しき大学生らしきご一行様が前にいて、誰も英語が通じなくて時間がかかっていた。みんなで英語を学びに出てくるのはよいのだけど、多くの場合、みんな日本人ばかりでつるんでしまってせっかく出てきた意味がなくなってしまい、あまり力がつかないままに帰国となってしまう。これも彼らのせいではなくて、何百時間も英語の時間を取っていながら、入国審査のやり取りくらいもできるようにならない日本の学校の英語教育の方にむしろ非が大きいと思う。習うより慣れろ、で海外に出た方が身につきやすいのは確かであっても、いきなり水の中に放り込まれた状態で泳ぎだすには根性がいる。泳ぎ方の見当もつかない状態で放り込まれたような状態では、みんなで手をつないで水につかったままになってしまうのも無理はない。
 それはさておき、アメリカ北東部に位置するペンシルバニア州のステートカレッジは、もうずいぶん寒い。今朝は余裕で氷点下。先週までは摂氏で20度くらいあがっていたそうなのだが、もう晩秋を過ぎて冬らしくなっている。紅葉のきれいな時期も過ぎていて、葉がかなり落ちてしまっている。これから北国の寒い冬がやってくる。
 今年は日本で一年の半分くらい過ごしたせいか、日本的な感覚が元に戻ってきている感じがする。一番感じるのは、清潔さが日本標準になった気がすることだ。著名ブロガーの渡辺千賀さんも書いていたが、アメリカ生活が長くなると、多少の薄汚さや食べ物の鮮度などは気にならなくなる。というかいちいち気にしていると生活ができない。それが、日本では赤福の偽装問題とか頻繁に報道されていて、食べ物の衛生には敏感になるし、家の広さの違いなどから、部屋の汚れが気になりやすい。日本での生活をしばらく続けてきて、そのペースに身体が慣れてしまっているようだ。衛生面の細かいことが以前より気になりだしたのを感じる。またもうしばらくすればこちらのペースに戻るのだろうけど、このような二重生活も長くなって、普段の何気ないことががらりと変わるために気づくことがあって面白い。
 戻ってきた翌朝は例によって時差ボケで夜明け前に目が覚め、やたら頭がすっきりしている。考えを整理しないといけないことはこういう頭の冴えたときに一気に進めて、その後は録りためたビデオを見ながら朝ごはんを食べて、メールや書類を片付けたりしながら過ごすのが今週の朝の日課になる。