2006年から見たオンライン学習環境の未来像

 業務をこなしつつ論文執筆に励む毎日が続いています。今書いているゲーム学習についての依頼論文のために、以前書いた原稿や関連文献に目を通しているのですが、その中で以下の記述に目が留まりました。マーク・プレンスキーの拙訳「テレビゲーム教育論」で10年ほど前に論じた学習環境の未来像です。
—-以下「テレビゲーム教育論」より抜粋—-
 ・・・おそらく数年のうちにすべてのオンライン教材の類は、標準化された評価ツールが組み込まれるようになるだろう。高校や大学向けのオンラインコースは、個別に認定を受け、生徒たちは複数の学校で卒業のための単位を取得できるようになるだろう。社会人教育ではすでに同様の構造になりつつあり、継続的な専門教育単位を蓄積できるようになっている。コースが個別に認定される制度が始まった時、市場の状況は大きく変わる。昔ながらの教室授業しか提供していない学校には厳しい時代となる。
 生徒たちはもはや一つの学校に入学して専攻を一つに決める必要はなくなる。オンラインの標準カリキュラムにアクセスして、好きなオンラインコースを選ぶだけでよくなる。化学であれば、どの学校で受けるかに関わらず、世界で最高水準の「有機化学入門」を受けることができる。それはちょうどゲーマーがどのメーカーかに関係なく自分の好きなゲームを選ぶのと同じだ。もちろん、十分に学べばある種の管理組織が取得した単位や学位の発行を行う。現在学校認定を行っている学術界は当然このような仕組みには抵抗するだろう。だが、ベルリンの壁もいつかは崩壊する。そしていったん崩壊すれば、教員も出版社も学校も、個別に同じ土俵で競いながら、「五つ星」の学習経験が得られるオンラインコースの提供に励むことになる。・・・

 ここで語られたかなりの部分は、MOOCの進展によって今まさに起きつつあることで、当時語られていた未来のオンライン学習環境が既に実現しようとしているのだなと感慨深く思いました。この本には、このような学習環境で、ゲームがどう関わるかも議論されています。訳書を出してから数えても既に7年経つ作品ですが、現在を議論する上で示唆に富む指摘も多いです。面白い本なのでわざわざ翻訳までしたわけですが、今読んでもやはり面白いです(手前味噌)。