Do Less. Then, Do Even Less

 帰国して1か月ちょっとが過ぎた。帰国してすぐの頃は、日本を離れていた8か月のギャップがあちこちに感じられて、生活のあちこちを楽しんでいたのだが、だんだんと環境適応モードに入ってきてから忙しなくなった。どこかでウィルスをもらってきたのか熱を出して寝込んだり、無駄に情報量が多いのに疲れたり、まだ都会の生活に慣れてない感じの反応をしている。情報行動も触れられる情報がずいぶん変わったことで変化に適応する必要が生じている。
 帰国したらやらないといけなかったことと、やろうと思っていたことに着手しはじめたら、それだけで時間が足りなくなって一週間がまたたく間に過ぎていく。こうなるのもある種当たり前で、今までやりたいと思って手をつけずにいたことを解禁したので、その時点で帰国前よりもやろうとしていることの量が拡大しているのだ。それに人にも会えるようになったし、会合などにも参加できるようになった。外に出る数をかなり絞っても、確保できる作業時間というのは案外少ないものだと痛感する。解禁が早すぎたかと計画を見直したり、前と比較して共通するところを効率化しようとしたり、あれこれ試行錯誤する毎日だ。
 そんな毎日を続けていて、たまに読むライフハック系のブログに目を通していたら、次のような記事が出ていた。
The Lazy Manifesto: Do Less. Then, Do Even Less (zenhabits)


 「やることを減らして、さらに減らせ」というナマケのすすめ。怠けたい気持ちは自分の心のサインでそれを無視して無理を続けると燃え尽きにつながる。それに怠けたい気持ちは、やることを効率化して生産性を高めるモチベーションになるので、怠け心というのは否定的に見るべきものではないという考え方が示されている。
 重要でないことたくさんやるのでなく、少なくても重要なことをやりきる方が生産性が高いわけで、仕事の量ではなく、質を追う考え方。買うものを減らし、忙しい状態を減らし、コミュニケーションの量を減らし、不平や批判を減らし、計画や将来の不安を思い悩むのを減らし、周囲を決めつけたり期待しすぎたりするのも減らす、そういう考え方で生産性を見直してみることを奨励している。
 余計なものが減ったと思ったら、さらに減らして、何もしない時間を持つ。そしてその質の高い時間を楽しみ、大事なことに集中して、また最初から見直して余計なものを減らす。その時に大事な心構えは、流れに任せる、無理強いをしない、ツボを見つける、他の人に任せる、手出しをせずに、というようなこと。
 帰国前の半年は、やることを減らしに減らして、ほんとに研究だけに没頭していたおかげで新たな展開に達したのだが、環境が変わって心持が変わってくると、とたんに量を追う発想が戻り始めていた。ライフハックの人たちが行っているように、情報行動の習慣改善というのは、日々の食生活や健康管理と同じで常に気をつけていくもので、終わりがないものだ。
 今回の帰国のようにちょっと環境が変われば、それまでの習慣が崩れてしまったり、意味をなさなくなったりする。それによいと思って身につけた習慣でも、その枠にとどまっているとある段階から成長できなくなって、あるタイミングでその枠を壊す必要が出てきたりする。これは継続的な自己改善のサイクルなのであって、常にバランスをモニターしていく必要があるというのを再認識した。