強みの落とし穴

 何においても自分の得意なことや強みを持つことは基本的にはよいことだ。それは特定分野の知識や技術、芸、身体的能力などの形式で示され、いざという時に頼りになる武器になったり、勝ちパターンとなる自分の型を形成したり、心理的な安定をもたらしたりと、いろいろな効用がある。
 しかし強みというのは、時に自分の弱みや問題から目をそらす誘因となってしまって、自分の状態を正しく認識する目を曇らせ、その強みのせいで足をすくわれることにもつながる。圧倒的なトークの才能を持った人は、そのトークを軸にした仕事の仕方をするし、ルックスや肉体が自慢であればそれを活かした形でうまくやろうとする。腕っぷしの強い人はケンカに持ち込んで勝とうとするし、細かい作業が得意な人はその細かさを売りにする。基本はそれでよい。ところが、安易にその強みに頼る姿勢が身についてしまうと、その強みが足かせになってしまい、伸び悩んだり、その人の持つ潜在能力を出し切れなかったりすることになる。トークに頼らない方がよい局面で、他の手段を準備するのを面倒くさがってトークで乗り切ろうとしたり、ケンカはまずい局面でケンカしたり、新たなネタを仕込む手間を惜しんで、安易に自分の使い古しの得意ネタでお茶をにごしたり、そういうことをやっていると、自分を伸ばせない状態から抜け出せない悪循環に陥る。自負心や、ここまでできるはず、という自分のパフォーマンスへのイメージが邪魔して、新しいものを身につけにくくなる。そうなると何も強みのない人が一から何かを身につけるよりもしんどい状態になる。
 一方で、これぞという強みのない人というのは日々なかなか浮かばれないが、逆に強みのないことが強みになることもある。強みがない中で何とかしようと工夫することで、思いもつかないようなユニークな強みを見出すことになったり、気がついたらほどほどの強みがいくつもできていたりといったことも起こる。強みのある人が負けだすと脆かったり、チヤホヤされない状態に耐えられなかったりする一方で、強みのない人は、ある意味負け慣れていて、多少の負けはまるで平気だったり、注目されなくても気にならなかったりと打たれ強いことが多いのではないかと思う。なので特に強みのないこともうまく活かせば強みにもなる。
 この強みとは、能力的なことだけでなく、「慣れ」とも言い換えられる。慣れた仕事の仕方、慣れた言語、慣れた環境、慣れた人間関係、慣れ親しんだ中で生きていく方がうまくやっていくのは容易で、成果も出し易い。しかし、その慣れの外に何か可能性を感じたとしても、その慣れを捨てて新しい状況に飛び込むのは誰にとっても不安だし、面倒である。それはその慣れに自分の強みを見出す状況であればあるほどその不安や面倒さは高まる。停滞を避けるには、ある局面でその慣れへの見切りが必要だが、その見切りのタイミングを見定めるのはとても難しい。
 なので、よって立つ強みを持っている人の方が逆に躓いた時はダメージが大きかったりするので気をつけたほうがいいということと、人に誇れるような強みを持ってない人も嘆いてないでいろいろ試行錯誤していけば、ありきたりの強みなどどうでもよくなるようなはるかにユニークで、誰も及ぶところでない強みを持つチャンスはあるよ、というところに話は落ちてくる。
 忙しい時に限ってまったく関係ないことがいろいろ頭をよぎってくる。このエントリーもその全く関係ないことの一つだったりする。書いて満足したのでもう寝る。