オンラインゲームと学習の接点

 MMOG(多人数参加型オンラインゲーム)の研究を始めて数ヶ月がたった。メインの研究の舞台はA Tale in the Desertというプレイヤー数2000人ほどのマイナーなMMOGである。このゲームは戦闘がまったくなくて、プレイヤーは古代エジプトのゲーム世界でひたすら農作業や土木工事や料理や花火作りなど、ひたすら労働をする。人と交わらずにソロでやると、もともと周りに人がいないゲームなので孤独であり、作業量が膨大なので投げ出したくなるのだが、いったんギルドに入れてもらうと、長老や先輩メンバー達が蓄積した資源や設備を使わせてもらえて、ギルドチャットの交流の輪にも入れてもらえるので、モチベーションを持続できて、もうちょっと続けようかという気になってくる。
  もともと研究のためにやっていたので、私のキャラクター、Kinjiroを育てるつもりもなくやっていたのだが、ある程度やりこんで世界を理解しないと、集めたデータの意味も深く理解できないことに気づいて、プレイヤーとして参加する時間を増やした。この間は、ギルドメンバーで石の掘り出し(10人とかで分業しないといけない)をやっていたので手伝った。自分の住むエリアで獲れる魚(ティラピアとナマズ)が物々交換所で他の魚よりもずいぶん高く売れるというのに気づいて、魚を売って花火の材料を買い込んだ。ゲームクリアのための試練の一つであるアート制作(下記画像)もやってみた。そうこうしていてある日、ギルドの長老がKinjiroを新入りからアソシエートに格上げしてくれた。最近私から知識をシェアする機会も出てきたりして、それがギルドへの貢献として認められたらしい。チャットで仲間がみな祝福してくれた。なんかちょっとうれしかった。
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 このゲーム、やってることはクリックでひたすらキャラクターに労働させることであって、あまりゲームっぽくない。料理もハーブの採集も、Webにあるデータベースを参照しながら丁寧に考えてやらないといけない。ゲームをしているというよりは、作業している。そしてどの作業をとっても、コンピュータを使ったデスクワークでやっていることと対して変わりがない。遊びでやるものとしては、渋すぎるゲームである。そこがこのゲームのマイナーさのゆえんでもあるのだが、学習とゲームの接点を探る私にとっては、格好の題材である。
 ゲームの中でひたすら釣り動作のクリックをして、獲った魚を物々交換して、自分がより価値を見出すものを見つける行為と、ひたすらクリックして書類作成やデータ編集をして対価を得るのと、何が違うんだろうという気がしてくる。人気のMMOGでは、キャラクターの装備品を現実世界の金銭で売買する現象が起きているし、Webにアフィリエイト広告をおいて対価を得ようとする作業も、ゲーム内での動作(選んでクリックして情報を編集する作業とかは)とかなり重なる。オンラインの株式取引はさらにゲーム的であり、特にデイトレードはゲームそのものである。すでにバーチャル世界とリアルな世界との境界はなくなってきていて、オンラインゲームをやっていると、そのことをさらに意識させられる。
 eラーニングとして提供されているオンライン教育は、どれも学校教育をモデルにしたものであって、学校教育の退屈さがしっかり反映されている。学校モデルは教室という場に参加することで参加者のコミットメントを確保できるという構造によって成り立っているのであって、オンライン教育では教室がもたらすコミットメントの機能は必然的に弱まる。そうした事情もあって、eラーニングは個別学習の教材提供システムとして発展している。しかし学習において重要な、学習者間のコミュニティ形成や自発的な学び合いを促すことはまるでできていない。自発的な学習コミュニティの形成においては、オンラインゲームの世界で起きていることの方がより学習コミュニティ的である。今eラーニングの分野でできていることよりも、オンラインゲームの世界で起きていることを軸にした方が、格段に質の高い学習機会を提供できると思う。今はその感覚を指先で感じながら、おぼろげに見えてきた全体像を把握しようとしているところである。